【精読会報告】ブランディングのヒント~「思う」ことで世界は変えられる~小室直樹『痛快!憲法学』②

週替わりでメンバーと書籍を変えながら開催されている社内での精読会。「痛快!憲法学」はその中でも基礎中の基礎と呼べるようなテーマを扱っています。なぜ憲法の本?という話はぜひ①の記事をご覧ください。

そもそも憲法とは国が国民を守るために作ったようなイメージがあるのではないでしょうか。この本では、憲法の歴史的、思想的な背景から、その構造は巨大な力を持つ国家という怪獣から国民自らが自分たちを守るための「意志」として持っておくものだという概念を教えてくれます。国の偉い人たちが考えて運用してくれているんだろうな~と自分に関係ないものとして気にせず生きていたわたしのような人間には目からうろこの連続。そんな風に習った覚えはまったくないし、実際そうやって教えていないのです。

憲法、国家に対しての考え方が逆を向いているから、そもそも今の時代がどういうものなのか、近代という構造、社会とは何なのかが捉えられずに自分の周り、世間をぼんやり見つめることしかできなくなっているのです。今回も精読会を通して、わたしたちは何をしようとしているのか、社会に対してどんな貢献をしたいのかを考えることができました。

誰かが「思う」ことで世界は動く

世界史が大きく動く時の背景には必ず「思う」力が働いています。歴史に名を遺す英雄や偉人は誰もが思わなかったことを「思う」ことによって世界を変えてきました。それがいかに特別なことか。人間は変化させられることをおそれる生き物ですが、自分の意思を超えた力によって考え方を変えられた時に、次の時代に向かう大きなエネルギーが生み出されるように思います。今の社会をつくる近代という仕組みが立ち上がったきっかけを、この本では宗教改革によってプロテスタントの信仰が広がったことからだったという論を展開しています。

宗教を持たない日本人(私自身も含め)には理解しがたい感覚ではありますが、信仰とは最も強い思い込みなのではないでしょうか。思想と自分の意志とが結びついた時、無意識までもが思想によって覆された時、どれほどの衝撃があるのでしょう。広大な海や、山などの自然を目の前にした時のような、ただただ圧倒される感覚が近いような気もしています。私は瀬戸内海に囲まれた土地で育ったのですが、初めて太平洋を見たときの衝撃はそれはとても大きなものでした。計り知れない大きさの恐怖と、一方で地球というその腕に抱かれている安心とぬくもり。それが愛なのか何なのかはよくわかっていません。プロテスタントの人々が信じた神も似たような感覚を与えたのでしょうか。自分の人生を超えた、壮大な世界の物語り。その中での自分という存在がいかに微々たるものなのかを思い知らされるのです。物語りから投げかけられる「じゃあ、お前はどう生きるのか」という問いを「思う」ことができたとき、自分の生まれたことの無意味さと意味を同時に感じられた時に歴史を変えるほどの力が生み出されたのかな…なんて想像を膨らませてみます。

思想だけが陳腐化していく

その思想が疑いようもなく論理的で、世界を形づくる大発見であっても、何百年も経つうちに「変化」だったことは「当たり前」になっていきます。信仰は形だけのものとなり、物語りが問いかけているものを無視するようになります。多くの日本人が憲法に守られていると信じ込んでいるように、「思う」力の大きさを恐れて意図的に閉じ込められてしまうこともあります。でもその状態にわたしたちは不自由さを感じることもなく、むしろ変えられることを恐れる本能が働いて守られている心地よさすら感じるのです。

だけど「思う」力、問いと向き合うという意思をベースに作られた近代という仕組みは変わらずに存在し、その中でわたしたちは生きています。それはどういうことなのか。思想のベースがない状態で仕組みだけに必死で乗っかっている状態なのです。それをうまく乗りこなすことができる人もいれば、当然できない人もいる。それはそもそも人間がそれに合わせてできていないから。思想という、大きな衝撃とともに考え方を変えさせられたことによって成立する社会の中で、その思想を持たないわたしたちは生きていかなければならないのです。

プレコチリコの仕事

わたしたちは宗教をつくりたいわけではないし、近代をぶち壊そうともしていません。逆に近代に合わせて本当の自分の思いを無視してお金儲けに徹しようとも思わない。じゃあ何をしようとしているのか。近代という仕組みとわたしたちの内面との矛盾と向き合い、この時代に必要な新しい「思う」力をつくっていこうとしているのかなと私は思っています。会社という組織自体が近代のメカニズムに組み込まれた存在である以上、その本来の存在意義である社会を良くしていくという使命は果たしていくべきだと思うし、同じところを回り続けるのではなく、より大きな貢献をもたらす組織でありたい。その原動力となる「思う」力、自らを問い続ける力を、宗教ではなく世界観としてつくり、広げていきたいと考えています。

まずはつくっていく私たち自身、一人ひとりがプレコチリコを信じ、「思う」力を持てているか。信じる神がいない中でどうやったら自分自身を変えさせられる勇気をもつことができるか。「仕事」が「生きること」そのものに変わるとはどういうことなのか。

近代を紐解く憲法学の本を読んで、そんなことを考えた会でした。