こどもはおとなになる
季節は巡り、時は流れる
世界は揺れ動き移り変わる
私たちのこころもまた動きをとめない
摂理という大きな力は決してとめられない
変わらないものなど、
もはやなにもない・・・

でも世界は、
私たちのこころがかたちづくる
世界はきっとことばでできている

私たちは、日々、正解を求め生きてしまう
身のこなしを覚え、適応して、
じょうずに生きていこうとしてしまう
それが、正しい生き方なのだと
時に、錯覚する

けれど同時に、
変わらないものがあるんじゃないかと
信じたくなる
いや、きっとあるはずだと思う
ひとり立ち止まるのは怖いけど
小さな勇気を振り絞り
“自分が自分である”
そう信じるこころを 信じてあげたい

ひとはちょっぴり寂しがりやだけど
きっと他の生き物たちより
より多くを考えることができる
より多くを感じることができる

だから・・・
世界が、世の中が、
意思を変え、動きを変えたとしても
きっと振り回されずに立っていられる
自分のことばを信じることで、
どんな世界も作ることができるはず

そう、
世界は私たちの妄想がつくる

いつでも誰かに、なにかにふれて
積み重ねてきたものから生まれてくる感情は
どこを向いているのだろう?
記憶から溢れてくる想いは
なにを示しているのだろう?

立ち昇るこころをとらえられたとき、
「自分」というものはきっと見える
たしかな「自分」を
感じることができたとき、
希望や未来がきっと開ける

社会はそれを異端と呼ぶのか
恐れは消えてなくならない

自分から湧き起こる妄想や空想は
人と違ってもかまわない
違うからこそ価値がある

ちっちゃな勇気のその先に
“私のような誰か”と出会える時が訪れる
自分を生きるということは
他者をも生きるということ

自分の求める、心地よい世界を
素直にことばで紡げばいいのだ
ことばはきっと、繋がっている

こどもはおとなになる
けれどもずっと変わらない、
自分の中にある力強いなにかを頼りにしよう
お腹の深い深い底にある、
あたたかいものを頼りに生きよう
私たちは、ことばを紡ぐことをえらぶ

ことばから生まれた「もの」は
やがて商品として世の中を
社会を流れ拡がっていく
それは一見、顔のない冷たい無機物のよう

けれど、
そこに誰かのことばが添えられたとき
「商品」は「ことば」となる
「ことば」を纏うと「商品」は
私たちの世界で色を帯び、熱を発し
動き始める

それはきっと
あなたの 私の
誰しもの心地よい妄想の世界
こころの引き金が引かれたかのように
あたたかな想いで満たされる

それがプレコチリコが願う世界
「商品はことば」

それは、ことばで紡ぎ続けられる空の器