全社員でつくる中計合宿③「未来を迎えに。~10年先の組織と仲間~」

「急がば回れ」ということばがあります。プレコチリコという日本でもまったく新しい取り組みにとって、全社の業務をストップして臨んだ今回の合宿は回り道。しかしその回り道には確かな手ごたえがありました。

できっこないをあえてやる

合宿の主な活動は議論と発表です。
社員が4~5人のチームに分かれて、中期経営計画にまつわるお題について30分程度話し合い、1枚のホワイトボードにまとめて発表する。これだけをひたすらやり続けます。
数年先の未来、しかも企業という巨大な文脈で未来を描いていくのは簡単なことではありません。当たり前のことですが、数十分で完璧な結論が出るはずもなく、日常の仕事の中では目にすることのない数字や概念に揉みくちゃにされながら、何とかしてわかろうと食らいついていきます。
それでも一日の終わりに振り返ると、却ってわからないことが増えている自分に気がつく。ぽつぽつと「くやしい」、「もやもやする」という声が聞こえてきます。
そんなもどかしい思いをしてまで私たち社員が合宿に足を運ぶのは、何かひとつ「わかった!」ときの快感と高揚感、そしてこの合宿そのものが未来の仕事に直結するという確信があるからに他なりません。

「わからない」ってなんだろう?

このところわからないことが増え過ぎたおかげか、「わからない」とは何か、ということがだんだんとわかってきました。
合宿のチーム議論では、よく社員の意見が食い違うことがあります。それも、わかりやすく真っ向から対立するようなことは稀で、どちらかといえば、「お互いが同じテーマについて話していたつもりなのに、どうしてか話が噛み合わない」ような場合が殆どです。
私たち人間の認識は、これまで培ってきた知識や常識、考え方の法則や無意識の思い込みの内側を、ふわふわと漂っています。この認識の枠組みは社員同士それぞれで異なるので、単に自分の頭の中にある言葉をぶちまけ合うだけでは上手に伝わらず、「わからない」のです。

議論の位置づけ

「わかった!」をつくるためには、一度この思い込みを脱出して、外側から自分を捉えてあげる必要があります。私のチームで徐々に整理されていった方法は、議論されていることばそのものに注目するのではなく、話し合い全体をまるで地図のように捉え直すことです。
自分たちがいま現在どんな状況にいて、この議論の目的地はどこで、どういう筋道で話し合えばそこに辿り着けるのか、まずはそこを徹底的に議論する。
これがまとまらない内は絶対に本題に入らない。
なるべく社員の誰にでもわかる平凡なことばで「位置づけ」「意味づけ」「方向づけ」を行って、それらをホワイトボードにでかでかと書き残してからやっと、テーマについて話し始めます。

真逆というより表裏一体

議論は回を重ねるごとに活発に、そして濃密になっていきました。
うまく思い込みを外せた議論では、お互いのものの見かたや考え方、いわゆる視座を行き来しながら意見を交換し合うことができます。
「わからない」、「もやもや」を繰り返しつつ、社員同士の考え方、掘り下げてみたい方向、いまわかっていることをジリジリと手繰り寄せていくとある一瞬、誰かのふとした一言と自分の中の認識が重なって、「あっ、わかった!」が生まれる。
そのわかったことを踏まえると、今度は「だとしたらこうなんじゃないか?」という新たな問いが生まれます。問いは新しい「わからない」を生んで、次の「わかった」に繋がる。わかったとわからないは反発するの概念のようでいて、実際は互いが互いを生み出しながら拡大していくサイクルになっていたのです。

ことばで繋がっている

自分が思い込みにとらわれていると気付いている状態、すなわち「わからない」という現象は、ひとりだけではなかなか生み出せません。
もやもやせずに済むならそれに越したことはないのですが、かといって「わからない」が無いと、新しい「わかった!」も生まれない。
要するに、私たちプレコチリコの仕事において、わかる人がひとりで考えれば丸く収まることなんて何一つない。
常に新しい何かが生み出され続けている今日、すべてを「わかる人」なんて存在するはずもなく、答えは自ら創り出す必要があるわけです。
社員ひとりの発想には限界がありますが、会社全体で議論をひとつにすることで、発表を聞いている経営陣が「そうか、そうだったんだ!」と驚くような商品や切り口、アイデア、概念が生み出されていく。
よく近代社会は人々の思い込みで出来ていると言いますが、議論を通して認識を拡張された自分の「わかった!」が、ことばを介して他の誰かにも伝わって、チーム、会社、社会、そして世界へと、確かに繋がっている感触を得ました。

認識の拡張としての合宿

自分の認識を変えることで、目の前に広がる世界すらも変えられる。
認識は、相手と目線を合わせて、視座を抽出して、自分の認識の枠組みを一旦バラバラにして、再構成することで変えられる。事業を前に進めるのは誰かひとりにぐいぐい引っ張ってもらった方がよさそうだけれど、結局のところはこうして丁寧に議論を重ねていくことが、最も早く、確実で、効果的な手段なのだと感じます。
この認識の拡張はその場限りのものではありません。ことばは空間だけではなく時間すらも超えていくからです。ことばのはしごを一段一段作ってきた歴史上の先人たち。彼らのことばを借りて合宿で生み出された多くの「わかった!」も、文章に乗って未来のプレコチリコの仲間たちに伝わっていきます。受け継いだ「わかった!」をさらに拡げていくことが、未来の仲間の道標になる。そう信じることではじめて、険しい荒野に新たな地図を描いていくことができる。新しい仕事に取り組むことができる。
自分のことばが届くべき人に必ず届くと信じること。
合宿とは、そのために必要な回り道なのだと思います。