「外の世界」にリアルに触れる通勤時間

「外の世界」にリアルに触れる通勤時間

この会社に入ってから、毎朝バスで通勤しています。在宅ワークも普及し、通勤時間がなくなって良かった、というような意見もありますが、必ずしも会社に行く必要がなくなった中で、自分にとっての通勤時間について考えてみました。

自宅からバス停までは歩いて20分ほど。遠いようにも感じますが、いろんなものを見たり聞いたり考えたりしながら歩いていると、思ったよりあっという間に着くんです。この家と会社を結ぶ時間がわたしにとって「外の世界」をリアルに見て、感じるいい時間になっていることに最近気づきました。ただの家と会社の往復だと思っていた時もあったけれど、すこし顔をあげて歩くだけで違う世界に見えてくるのです。

家を出て、閑静な住宅街からきれいに整備された緑道を抜けて、美術館やスポーツジムが並ぶ通りへ出るいつものルート。緊急事態宣言が出ていた頃はしんと静まり返っていたこの道。ようやく最近になって朝の散歩をする人や学校へ向かう学生の姿も見られるようになりました。スポーツジム、美術館などの施設も再開し、これまでは意識していなかったけれど、直接関わることはなくとも、風景に「人の気配」があることで街が動いている、生きているように感じられるんだなあと気づかされました。

人の姿はもちろんのこと緑道に咲く植物たちも日々観察しながら歩いています。今は梅雨時なので紫陽花に目を奪われ。青い花が咲いているから酸性の土なのかなあとか、7月に入れば去年も楽しませてくれた百日紅の花がまた咲き始めるかな、とか。毎日通る分、変化もよくわかって、毎日見ていても飽きることはありません。

バスに乗る時間もまた「外の世界」に触れる時間。電車とはまた違う、独特の空気が住宅街を走るバスの中には流れています。
乗り降りの時に「おねがいしまーす」「ありがとうございましたあ」と言う人。それが何人もいるし、なんだか楽しそうなのでわたしもいつの間にか言うようになったり。福祉施設の近くも通るので障害のある人が乗ることも多く、困っている人がいれば自然と助け合うような、程よく心地いい連帯感もあります。殺伐とした、ぎゅうぎゅうに押し込まれ人が「物体」になる通勤電車とは違う、ちゃんと1人1人の「人間」が乗っていると感じるのがバスの好きなところです。

見慣れた光景だと思っていたけれど、家や会社という自分の「住む世界」のあいだにも、また別の、「外の世界」が広がっているようにも思えてきました。

最近は少し早めに家を出て、朝の時間で本を読むことが多くなりました。最近読んでいるのがドラッカーの「経営者の条件」。こういう難しそうな本を選ぶのは自分でも少し意外。そこに出てくる「(成果が存在する唯一の場所たる)外の世界を見る」という言葉に、市場や顧客という存在にとらわれない、より広い「外の世界」を感じました。街もそう、自然も、人もそう。学問や宗教、芸術もそう。それは自分の範囲外にあるものすべてなのかなあ・・・と。

かといっていきなり世界規模、宇宙規模で考えるのは難しいし、漠然としすぎてよくわからない。そうではなくても、通勤途中に出会うような、もっと近いところにも見るべき「外」、リアルに感じられる「外の世界」は広がっているように思います。いつでも触れられるけど意識しないと触れられない、そんな身近な「外の世界」に触れ、考えるきっかけを与えてくれるのが通勤時間なのかも。そんなことを考えながら今日も梅雨の中、歩いてきたのでした。