自分を好きでいられる生き方、年齢の重ね方

自分を好きでいられる生き方、年齢の重ね方

年齢を重ねることに対する意識の変化

最近、ものかき部のメンバーと年齢についての話をよくしています。どうして年を取ることってネガティブなイメージがあるんだろう?女性だとやっぱり見た目が変わっていくことに対する抵抗感?年齢を重ねてもずっと魅力的な人もたくさんいるよね。きっと内面の成長の方が大事だよね…などと話をしていく中で、私自身の中にあった年齢やそれに伴う変化に対する考え方を意識するようになりました。なんとなく、年齢を重ねることに漠然と不安があったのですが、一体それはどうしてだろう。ちょっと立ち止まって振り返ってみることにしました。

「新人」から抜け出したころ

私は今年29歳、社会人7年目です。
まだまだ若いと言われる年齢だけど、ものすごく若いわけではない。社会人になって間もない頃に感じていたのは、仕事への評価ではなく「若さ」に対する期待や、あるいは諦めでした。

「新人だから○○しないと!」「まだまだ若くていいよね!」
「若いんだからできなくても仕方ないね…」

仕事での成果を出せていないうちは自分自身に対する評価ではなく、可能性に対する評価、判断をされていたように思います。素直に受け入れがたい気持ちもあったけど、他にやり方が分からず、なんとなく会社の慣習に習ってその時に期待される「新人らしい」振る舞いに徹していました。そうしていれば自分の居場所はここだと感じられて安心できたのです。

求められるポジションに収まるように、あまりはみ出さないように、自分の意志をどこかに置いて無意識に周りの期待に合わせていっていたように思います。そして年齢が少し上がって、「新人」ポジションから抜け出し、ものすごく若いわけではなくなってこれからどうしていこうと思った時。それまで自分の頭で考えることを止めていたことにようやく気付き、あれ、私ってこの会社で何がしたかったんだっけ?と分からなくなっていたのでした。

「ありたい自分」は自分の意志から作られているか

仕事でもプライベートでも、あらゆる場面で年齢に応じてその時に求められるポジションや良いとされる状況に自分を合わせようとしていたように思います。誰かと比べているつもりはなくても、無意識にその時の「ありたい自分」が自分の価値観ではなく世間から押し付けられた価値観でできあがっていました。

色んな行動の動機が「そろそろ〇歳だし」「世間的にはこの歳だとこれくらいが普通だし…」という世間の価値観に合わせないと、というものになって、自分自身のために何かを変えるということを考えられていませんでした。だから、仕事やプライベートの環境や立ち位置が変わっていった時に、自分自身の意志がない状態で起こっていくから漠然とした不安を感じてしまっていたのだと思います。

「自分がどうありたいのか」
真正面から自分と向き合うことを避けて誰かのことばで自分を上書きしていただけだったのです。

誰かの価値観に流されない生き方をするために

今までは年齢が上がると経験値が増えて自動的に人としてステップアップできるような気がしていました。たしかに仕事でもプライベートでも色んな経験をして考え方が変わったことはあります。でも、それは自分の意志、自分の価値観に素直に反応したものだったのか?と言われるとただ流されてきただけのようにも思えて、その時だけの一過性の世間的な価値に囚われすぎていた気がしてきました。

自分の大事にしたいことってなんだろう、これからどうなっていきたいんだろう。
今の年齢や置かれたポジションへの模範解答に合わせることではなく、自分がどう思っているのかを考えられるようになりたい。そのために学び続けるのが本当の大人なんだろうなと思うようになりました。見た目や役職、年齢などの期間限定の価値でもない、自分だけの大事なものを育てるために年齢を重ねていきたい。素直にそう思います。

世間の価値観に流されそうになることもあるかもしれないけれど、その時にちゃんと立ち止まれるように。自分の頭で考え、意志を持って、いつでも自分で自分を好きでいられるような年齢の重ね方をしていきたいです。