自分の仕事に誇りが持てるか 本当の働きがいを求めて

自分の仕事に誇りが持てるか 本当の働きがいを求めて

先日、友人とメッセージのやり取りをしていた時のこと。仕事を探しているというその友人は「人の役に立つ仕事がしたい」「直接“ありがとう”の言葉が聞ける仕事がいいんだよね」という話をしてくれました。そして、「売上に振り回される仕事は嫌なんだ」とも。以前アパレルの販売職をしていたけれど、売上ノルマに追われるうちにお客様に満足してもらいたいという本当の目的を見失ってしまった経験からそう思うようになったそうです。

その話を聞いたときに感じた、ちょっとした違和感。

「仕事」について考えることが多くなった今のわたしは、彼女にどんな言葉をかけられるだろうか、と少し考え込んでしまいました。

人の役に立つ(と思える)仕事ってなんだろう

仕事で人の役に立ちたい、ありがとうの言葉が聞きたい、と思うのは自然な感情です。人に感謝されたくてやるわけではないけれど、自分のしたことによって目の前の人が喜ぶ姿が見られれば、それはもちろんうれしいし、次も頑張ろうと思える。いわゆる働きがい、働く動機を生み出し続けるには、実際にどれだけ役立っているか、よりもどれだけ「役立ってる感」を感じられるか、が大事なような気がします。

でも、世の中は複雑になりすぎて、表面化しない物事もたくさんあって、すべての仕事がそうやって「役立ってる感」を簡単には感じられないのが現実。それを感じやすいだろうと、人と直接対話する仕事を選んでも、ノルマに追われているうちに結局自分が売上をつくるためだけの替えの利く駒のように感じてしまい「役立ってる感」は薄れてしまうのです。「役立ってる感」を感じるには、”わたしが”やらなきゃ、という「使命感」が同時に必要なのだと思います。

それらの感情が生まれるのもきっと人と人とのつながり。ただお金とモノ・サービスの交換だけの取引関係では終わらない、双方向に(あるいは多方面へ)続いていくつながりが見えると自分が社会の中で、一員として「役立ってる感」「使命感」を感じられるのだと思います。お会計が済んだら終わり、ではない、さらに関係性が続いてゆくような、つながりです。

つながりが生まれる場所

このようなつながりが生まれる場所はどんなところなのでしょうか。例えば地元客に愛される小さな個人商店、おもてなしの行き届いたホテルや旅館、あるいはテーマパークや遊園地でもそんなつながりを感じられるかもしれません。やはり直接人と関わる場所が多い印象です。そのような場所で働く人は仕事に誇りを持っているように感じられます。お金で支払われる対価以上の価値を自分たちが与えられているという自負があるような、そんな印象を受けるのです。

精算される仕事ではなく、“余剰”が生みだせる仕事がしたい。「お金に振り回されたくない」といった友人の言葉の裏にはそんな思いがあるように感じました。

仕事への誇りは、自動的に与えられるものではないから

ではそういう場所を選んで働けば自分の望む働きができて、誇りを持てるのか。そうかもしれないけれど、でも「そういうところで働くといいよ」と彼女に言う気にはなれませんでした。その人の大切にしたい「働きがい」はその場所に行けば自動的に与えられるものではないし、そう思ってしまうと永遠に「ここではないどこか」を探し求めることになるから。

つながりがすでに生まれている(と自分が思う)場所に行くのも1つの選択だけど、それではいつまでも自分の見えている、すでに知っている範囲から抜け出せないように思います。わたしたちが今つくっているインターネット上の居場所も、新しいつながりが生まれていくことを目指しているように、まだ誰も知らない、気づいていないつながりのカタチもあるのです。直接「ありがとう」が聞ける仕事がしたい、とこだわるのも大切かもしれないけれど、直接言葉で聞けなくても、より反響の重さを感じられる、表面化していない仕事もあるように思います。
現にわたしたちはそれをつくっている、つくれると信じてやっているのです。

結局わたしは友人に「自分の本当に思っていることは何か、よくよく考えてみるといいんじゃないかな」ということを伝えました。もしかしたら今見えていない世界が、もっと広がっていることに気づけるかもしれないよ、と。それは自分自身に対しても、改めて仕事で何を感じたいか、何を与えていきたいかを見つめ直すための言葉でした。

与えられるものではない、何を与えられるか、それを本気でできると信じられるか。会社と自分の人生を重ねるとはきっとそういうこと。誇りが持てる仕事はそうやって自分の手で、世界を広げながら作っていくしかないのだと、友人に向けて思った言葉は、いつの間にか自分自身を励ましていたのでした。