2024年卒 新卒採用がスタートしました。

2024年卒 新卒採用がスタートしました。

2024年卒 新卒採用スタート

3月1日より、2024年卒の新卒採用募集を開始しました。
現在はプレコチリコ株式会社のみでの採用活動ではありませんが、いっしょに事業をつくっていく仲間を募集していることに変わりはありません。

24卒の仲間探しをスタートする今、そういえば私は入社前「社員の横顔」にある採用コラムをよく読んでいたのだと思い出しました。
そこで、採用コラムを書いてみようと試みたのですが、やはり入社してたった一年でいえることは限られていて…。

今回は、私が行っている仕事でもあり、採用募集をしている部署でもある「メッセージ企画」に焦点をあててつつ、今かんじていることを率直に書いてみる方向に切り替えます。
それでも、なにかエントリーや選考の参考になることがあるといいなと思っています。

 

 

 

素直に反応するということ

そもそも、社員の横顔をしばらく更新していなかったあいだ、私は「商品企画」なる仕事をしていました。
8月の中旬に、ぽっと言われた異動から、半年。最初はなにがなんだか分からず、とにかく「商品」ってなんだ?「企画」するってなんだ?とうねうねしていました。

そんな日々のなかで、ん?おっ?と思うことが何回か重なるうちに、気づいたらわくわくが大きくなっていきました。
ただ、ふりかえるとなによりも大きかったことは「素直に反応する」ということばに、実感を得たときだったような気がします。

「企画」と聞くと、どうにもアイデア力とか人と違う考え方とか、そういうものが鍵になってくるような気がしてしまいます。
でも、「素直に反応する」は、それとはまったく別のことです。

素直に反応するべき、いちばんは「データ」でした。「データに素直に反応する」のです。
まっすぐに、できるだけ多くのデータと向き合う。どこかに、ふつうとは違う値がないのか。
すると、数値化されたデータや分析されてパーセンテージになったお客さんの声が、絡み合いながら、私にたくさん話しかけてくれる気がしました。
データを通じてお客さんと対話することができる可能性が、そこに光っているような気がしました。

つぎは、その声に素直に反応する。
でも、初めてのことで、どうすればお客さんのほんとうの声を、仮説にしていくことができるのか、さっぱり分かりませんでした。
論理をうしなわず、まだ見つかっていないお客さんの声をことばにすることなどできるのだろうか、という不安でいっぱいでした。

そんなときに、助けてくれたのは、社内に蓄積されていた資料たちでした。
今の自社の売上を支える商品を企画した先輩が残している資料を、じっと見る。
なぜ、このことばが、紙のこの部分に置かれているのか、このことばはどんなプロセスで生み出されたのか。ひとつひとつを読み解いていく。
そうしているうちに、今、売れているその商品が、どんな物語・仮説をもって、ことばを背負って、ビジュアル化されているかが、見えてくるような気がしました。

資料から読み解いた構造と論理の枠を素直に受け入れて、データの分析でわかったことを、忠実にできるだけ正確にことばにしていきました。
ただ、お客さんが心から求めていることのストーリーと詳細なところの言語化に、一度ではとうてい、辿りつくことはできなくて。
なんども書き直していくなかで、私は「商品」を企画しながら、どうじにもっと別のことをつくりあげていっているような感覚になっていました。

 

 

 

商品企画で浮きあがった「商品はことば」のひろがり

仮説を磨いていくのに、ゴールや正解はありません。
だから、いくらでも考えつづけられるし、逆に適当にすることもできる。なんとなくで物語りやことばを用意することは、できてしまう。
そんなとき、なにを頼りに、自分のすべきことを決めるのか。

「ぜったいに売上をつくりたい」「これを売れる商品にするんだ」
気づくとそればかり考えていました。会社に入ってからもしばらく、稼ぐとかお金とかにあまりいいイメージを抱いていなかったはずの私のなかに、自然とその文脈が流れていました。

「売れる」とは、お客さんの心に届くということであり、それは、表現したことが伝わった。私の知らない誰かと「商品」を通じて、知り合えた。物語りを通して新しい出会いをみつけた。
そんなような、幸せであたたかいものなのだと思うようになりました。

既存商品の売上データを通してお客さんと対話したからこそ、新しくつくる商品の数字もまた、今後の商品をつくるときの対話の種となるのだと考えると、大きなつながりのなかにいる気がして、わくわくするようになりました。

プレコが掲げる「商品はことば」
それは、お金がないと生きていけない社会のなかで、自分と世界とひとびとを好きでいる方法でもあり、世界観でもあり、同時に資本主義のメカニズムを自分のものとしてしまうような、そんな世界や社会までまるっと愛したつもりになれるような、そんな可能性すら、あるのではないのかと思ってしまいます。

 

 

 

「会社」だからこそできること

私自身、大学生のころは、身近なことや誰かの小さなことを小説にしていたし、短歌や詩は自分の今の視点をはっきりさせるためにつくっていたし、「たくさんの人へ」より「少数の満たされていない人へ」という考えで、ものをつくったり表現をしてみたり、というかんじでした。

でも、「会社」という「自分」より大きな文脈にのることで、ひとりではできないこと、手の届かないものに手が届く気がしたり、大きなことを語っても夢物語にならない方法を考えたりすることができると、つい最近になって、分かってきたような気がします。

それと同時に、「商品はことば」は、すごく大きなことで理想的で、それだけを「いいな」と思っていても、なにも始まらない類のものだということも、最近ようやく、心底思うようになりました。

つまり(こんなこと一年目の私が書いていいことではないような気がするけれど)無謀である、ということのような気もするし、生きているうちに結果がでるようなことでもないとも思っています。
だからこそ、「ことば」とか「ビジュアル」とかにメッセージをこめるエネルギーが湧いてくる。すべてを伝えきれないからこそ、ことばにし尽そう、という想いが諦められないものになっていくのだと思っています。

 

 

 

メッセージ企画という仕事

メッセージ企画は、商品企画をするだけでなく、よみものを書いたり、さまざまなメディアをつくったり、Webマーケティングだったりと仕事内容はさまざまです。私自身は、商品企画を通して得た「ことば」をつくっていくことでひろがる可能性を、よりダイレクトにつくっていけるような仕事だと思っています。

メッセージ企画は、終わりのない挑戦です。
でも、それは「メッセージをつくる」という仕事だからというわけではないのかもしれないとも感じています。
仕事をすること、そのものが途方もないことなのだということです。どんな仕事も、知らないことであふれていて、知らなきゃいけないことであふれている。

就職活動は、そんな「仕事をすること」の前にある「知ることがたくさんあることを知る機会」なのだと思います。それは、私自身がそうだったから、という以上の理由を持ち合わせているわけではないのですが、自分自身の内面にもまだ分かっていなかった部分があったんだ、という発見をする機会が「就職活動」でした。

ここまで、書いてきてなんですが、私自身は今でも「分からないことに気づく」ことすら、うまくできません。
ただ、それがうまくできないんだ、と分かるようになったのは、「就職活動」を通して自分の内面と向き合う方法が見えてきたからだとも思っています。
そして、今、商品企画のこと、これからのメッセージ企画のことを、振り返ったり想い起こしたりできるのも、また、会社に入ったからこそ考えられるようになったことなのだと思います。

まだ、すべてのことが途上です。
だから、読んでくれている学生の方に100%で「目指したい」と言ってもらう必要は、むしろないのかもしれません。
なんだか目指したいような気もする…みたいな曖昧な内面を、いっしょに掘って話していける時間を、我々と学生の方との間でもてることの方がずっと、有意義なのかもしれません。
そんなふうに、いっしょにつくっていける方と出会いたいと、心から思っています。

 

新卒採用ページはこちら
https://cospa-creation.co.jp/recruits/precocirico_saiyou.html