「就活をする私」と「いつもの私」は切り離せないことを知った日

「就活をする私」と「いつもの私」は切り離せないことを知った日

 

2023年4月入社の朝倉と申します。
つい先日から、春らしい軽やかな風を感じるようになりました。どこか懐かしい匂いのする風は、去年の今ごろを思い出させます。
インターンに参加して、エントリーシートとにらめっこをしながら、面接に向けてどうにか心を落ち着けようとしていた記憶。焦る気持ちを自覚しているのにも関わらず、そんな自分から目を背けて「頑張らなきゃ」と思っていた日々。
過去形で語っていますが、今でも新鮮に1年前の焦りを呼び起こせそうです。

就職活動真っ只中の皆さんは、現在、何を思っているでしょう。なかには、明確なことばには出来ない、漠然とした不安を抱えている方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、私が「就活の軸」について考えたことを、当時の体験を踏まえながらお伝えします。
就活の軸とは、そもそも一体何者なんでしょうか。

 

 

「自分は何者です」と語れないことの歯痒さ

「朝倉さんは、これまで何に力を入れてきたんですか? また、その理由はなんでしょうか?」
こう問われた時に、私の口から出てくることばは、どこか他人行儀でした。
もちろん何も準備してこなかったわけではなく、学生生活を振り返り、自分が体験してきたなにがしかを伝えようと力を尽くしました。それでもどことなく居心地が悪い。
ことばを重ねれば重ねるほど、自分が何者かわからなくなっていきました。

自己分析の一環で、自らの強みや適性のある職業を提示してくれる診断を受けてみたこともあります。
「あなたには○○という職業が向いています!」という文言が目に入った瞬間、湧き上がってきた寂しさをおさえきれませんでした。わかりやすい属性だけがひとり歩きして、自動で分類されていく空しさ。
そのことばからは、熱さも冷たさも何も感じ取れなかったのです。

自分が何者かも答えられないのに、就活の軸が定まるはずがないとも思っていました。働きたいと感じる企業と出会うために就活の方向性を固めるというのも、どこかズレている気がします。
なぜ働くのか。なぜ就活をするのか。
これらの問いは姿を現しているのに、あまりにも強大なそれを直視することが怖くて、いつも途中で目を逸らしてしまいました。

 

 

就活をする私と、芸術の近くに居続けた私

そんな葛藤を抱いたまま参加したのが、プレコチリコのインターンです。
実際に読み物を書いてみた5日間は、いつの間にか身につけていた鎧をひとつずつおろしていくような日々でした。
これまで生きたなかで、自身を守ろうと身につけた鎧。何かに立ち向かうために選んだ鎧。誰かのためになりたくて、でもそれ以上に傷つきたくなくて被った鎧。
なぜ、どうしてと問うたびに、固く結ばれていた紐がほどけていく。
考え続けることは茨の道の連続で、時々絡まっていましたがそれでも、考えることを無理に抑え込むよりもよほど人間らしい行為だと思いました。

そうして重い鎧を脱いだ頃に、私の核に近いところにあった問いの存在にようやく目を向けました。
「なぜ、表現することを続けてきたのか」
決して楽しいことばかりではなく、むしろ作品を生み出す苦しみを肌で感じながら、なぜ高校・大学と芸術を専攻する道を選んだのか。就活を始めるよりもずっと前から考えていたことです。考えても考えても、答えの出なかった問いです。
きっと就活には関係ないことだろうからと、向き合わないで良い理由を貼り付けて直視しなかった根源的な疑問。
就活をしている最中に見えてきたのは、ずっと芸術という分野の側で生きてきた自分の姿でした。
もしかしたら、何者だと断言することは出来ずとも、私が熱を持つ瞬間のことは伝えられるのかもしれません。

生きていくためにはお金が必要で、就活をするためにも費用がかかるし、好きなことを続けるのにもやはり金銭が必須で……。
自分にふりかかる制約が一度頭を支配すると、そのことしか思考できない状態になります。それを恐れた私は、出来るだけお金のことは考えないようにしていました。筆を握る時も、面接で受け答えしている時も。
就活をする自分と、いつもの自分を切り離して、一刻も早く安心を得たかったです。
しかし、どうやっても私を切り離すことは出来ず、聞こえてくる声を無視することも叶わず。結局、中途半端に我を見失いました。
もっと、私が本当に思っていたことは、その制約の奥にあったかもしれないのに。

 

 

「就活の軸」その輪郭が浮かびあがってきた

はじめの問いに立ち返ります。
就活の軸とは一体なんでしょうか。

私は、答えの用意されていない問いに向き合う、第一歩であると考えます。

正解のない問いは怖いです。これまでの経験値や、蓄積した周りの人々の声や知恵を総動員させても、納得のいく結論は出ないかもしれません。それでも向き合うことに意味があると思います。

私の就活の軸は、ことばに温度を感じられる場所を探すことでした。
真っ直ぐで泥臭い、あたたかな眼差しを持って書かれた言葉。俯瞰して、涼し気な目元を細めて書かれた言葉。温度が感じられる文章って、こういうものだと思っています。
そういった言葉には、理想と現実の要素が混じっている気がします。私自身が葛藤してきたものでもあり、きっとこれからも意識し続けることです。

 

 

ほかでもない今、伝えたいこと

今回の記事では、就活中に感じたことを掘り起こしながら、今だから語れることを中心に構成しました。
あの日、あの時、何を思っていたのか。
私の場合、感情があとから追い付いてくることの方が多く、経験したことが体に馴染むまで少し時間がかかります。以前はそんな自分を「もっと瞬発力があればなあ」なんて悲観的に見ていましたが、今はこの感覚も悪くないと思うようになりました。それはポジティブに捉えられるようになったからとか、この1年で成長したからということではなくて。
打ち消そうとしていた負の感情を、一旦この身に引き受けるようになったからではないかなと思っています。誰かを羨む気持ちも、表現をしたくてうずうずしている時も、私の中ではどちらも熱を発するもので、どこかに捨て置けるものではなかったから。
これから「問い」に向き合おうとしている皆さんに、何か少しでも感じるものがあったのなら幸いです。

もし、また自分を見失う時が来れば、就活のためというくくりから少し顔をあげてみた日のことを思い返したいです。
これまで身につけていた鎧の形をなぞって、他者の気配に耳を澄ませた経験が、私の根底に根付いてきたような気がします。