素直に生きる

素直に生きる

 

 

最近、新卒4人で話していると「素直に話したい」というような言葉をよく耳にします。今までのかさねかき日記の中にもよく登場しているし、私も気づかないうちに使っているかもしれません。

ただ、私は「素直」ということばを、この会社に来るまでは好意的な意味で使ったり受け取ったりしてきませんでした。素直と言われるよりもめんどくさいとかややこしいとか言われるほうが自分に合っている気がしていました。「素直だね」と言われるとなんだか馬鹿にされているような気になったこともありました。
では「素直」とはいったい何者なのか、どうしたら素直に話していることになるのか、立ち止まって考えてみようと思います。

 

 

◆素直とはなにか

①飾り気がなくありのままであるさま。素朴。質朴。
②心の正しいさま。ねじけた心、腹黒い心などを持っていないさま。正直。
③心や気だてが他に逆らわないで、おだやかなさま。ひねくれたところのないさま。従順。
④とどこおりのないさま。物事が抵抗なくすんなりいくさま。また、平穏無事なさま。
⑤形状がまっすぐであるさま。曲がったりゆがんだりしていないさま。
⑥技芸などに癖がなくて正しいさま。

辞書には6つも意味がでていて、簡単に使うけれど多様な意味がある、すなわち多様な受け取り方や解釈ができうることばであることが分かりました。
そのうえで、人の性格に対しての意味も含むものは①②③であることも容易に読み解けます。
しかし、その3つはそれぞれ異なった人物像を浮かび上がらせる解説に思えてなりません。

 

 

◆飾り気がなくありのままであるさま。素朴。質朴。

辞書の「解説」を解説しようと試みることほど、傲慢なことばの使い方はないでしょうし、そんなことができるとは思っていません。
ただ、あくまで本当の意味での自己分析というのを、この機にやってみたいと思ったのです。

飾り気がないとは、自分をよくみせようと思っていないことであり、ありのままは嘘偽りのないということ。素朴は人の性格・言動などのほかにも使われることがありますが、そのときの意味合いとして「自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと。単純で発達していないこと。また、そのさま」とされています。質朴は「性格がすなおで律義なこと」。

自分をよくみせようと思っていないため、嘘偽りがない。しかし、それは単純で発達していないという意味にもとれる。「素直」の解説①からは、まだ物心ついていない子どもを指して「素直」と使うときのイメージがわきました。

 

 

◆心や気だてが他に逆らわないで、おだやかなさま。ひねくれたところのないさま。従順。

ふたつ目が難しそうなので、先にこちらを考えてみようと思います。
私は、この解説を読み、100歳を超えた自分の曾祖母を思い起こしました。戦争を経験し、子どもを育て、仕事と家事をこなし、今では3人の孫と4人の曾孫をもつ彼女は、もうすべてを分かったかのように、いつもおだやかで健康に過ごしています。世界の成り行きに従って、解説で「他」とされていることに逆らわずにいても、自分を見失わないのだと思います。
解説③からは、そんなすべてを俯瞰してみたようなおおらかさをまとった気配がしました。

 

 

◆心の正しいさま。ねじけた心、腹黒い心などを持っていないさま。正直。

これがもっとも「解説」を解説してみようと試みたときに、難しい気がします。
まず、真ん中の「ねじけた心、腹黒い心などを持っていないさま」というのはそれなりに理解が容易な気がします。損得勘定で相手や対峙した事柄を判断しないということでしょう。

では、「心の正しいさま」とはなんなのでしょう。
正しいと聞くと、ルールやマナーに従って「こう思うのが正しい」とか「こう感じなければいけない」ということを思うことのように感じます。しかし、それらは「正しい心」をつくろうとする行為であって「心の正しいさま」ではない気がします。

「正しい心のさま」ではなく「心の正しいさま」と解説には書いてあります。「正しい心のさま」は「真面目」であって、解説②の最後にある「正直」とは必ずしも一致しないように思います。

「心の正しいさま」はまず「心」が先に存在することを私に教えてくれます。では、その「心」とはなんなのかを考えようとしたときに、解説③も「心」が前提になっていることに気が付きます。私が曾祖母に感じたことの中に「心」が隠れているのかもしれないと思わせてくれます。

 

 

◆心をつくる習慣

この会社には振り返りシートというものがあって、毎週金曜日に書いて提出し、それに社長がコメントをくださいます。そのフォーマットの右上に「もう一人の自分との対話」と書いてあります。
入社初日に振り返りシートを書こうとしたときから、この言葉がずっと気になっていました。「もう一人の自分」とはなんだろう、「対話」するってどういうことだろう。なぜそれを仕事でやるのだろう。

3カ月近くもちつづけた疑問のコタエが「素直」によってみえたきがします。
「心の正しいさま」の「心」を見つめ、言葉にし、内省によって刷新していく。正直に生きることがまず、成果をつくる第一歩なのかもしれない。だから、日常の業務の時間を割いてでも、振り返りシートを書くのかもしれない。
そんなふうに思えてきました。(これからまた捉え方や振り返りシートがもつ意味は変わるのかもしれませんが。)

「心の正しいさま」になる(なろうとしてなれるものでもないと思いますが、意識しているうちにそれが習慣化するのが近道ではある気がします。)ためには、ルールやマナーを覚える前に、自分の「心」とはなんであるかを知らなければならない。自分がなにを思い、なにを感じていて、どうしたいのか。そして、それらをルールやマナーではなく、もっとほんとうに大切なことに照らして、ずるくないか、醜くないかを考えなければいけない。

それを続けていけば、子どものもつ屈託のない純粋さがずっと自分の胸にいて、時がたって年を取ったら、おだやかに世界を見つめられるようになるのかもしれません。
そんな生き方がしたいし、そんな年の取り方がしたい、今はそんなふうに思っています。