京都と芸術 東京と仕事

京都と芸術 東京と仕事

◆京都の魔力

「京都のまちは魔力をもっているから、ながくここにいないほうがいい。」
ある方が私に口酸っぱく言っていたことの意味がこの数日でわかった気がします。

先日、母校で会社説明会を行いました。
「学生」という肩書なしに京都や学校にいくのははじめてのことでしたし、それが母校だったので半分は学校の人、半分は会社の人のような統一されない気持ち悪さで前日は驚くほど緊張していました。
それでも、京都駅構内をでると、そこには京都が広がっていました。見慣れた景色だからとかではなく、空気が地上近くにむっと溜まっていて、かつ誰かにずっと見られている気がする、あの感覚が戻ってきたように感じました。
母校に入ると、すっと安心する気持ちとすこしの恥ずかしさなんかで、居心地いいような悪いような不思議な感覚がありました。そのときは、特に考える間も余裕もなかったのですが、振り返ってみて、あの不思議な感情の正体が見えてきた気がするので書いてみようと思います。

 

 

◆社会人になって変わったこと

中学一年生の4月の国語の授業で「中学生になって変わったこと」というテーマで作文を書くように言われたことを、最近よく思い出します。
周りは例えば部活とか制服とか勉強のこととかを書いていた中で、授業の半分くらいの時間、作文を書きだせずに頭をかかえていた私は結局「なにも変わっていない。周りから中学生という肩書で見られるようになっただけだ」と怒った感じの文章を提出しました。生意気だったなと思いつつ、今の自分と照らし合わせてみることのできる指標のようにも感じられます。

説明会には、大学生と見分けがつかないくらいラフな格好でいくことにしました。外見は大学生とぜんぜん変わらないままの私が母校に行って「説明会」という就活生に向けた場で「会社の人」として後輩に会う。おしゃべりしたことのある何人かの後輩の顔が浮かびます。卒業式からたった3カ月しか経っていないけれど、「会社の人」になった私がどんなふうに映ったのか。変わっているように感じたか変わらないように見えたのか。
真相はわからないし、もし思ったことがあれば連絡ください、という感じですが、自分の実感として、はっきり「学生ではなくなったな」と思えたし、そのことに意味があったと思っています。

 

 

◆なぜ企業に就職したのか

京都芸大に流れる独特の雰囲気、未来を素手でつかみにいくような無謀さと美しさを今回、はっきりと感じ取った気がします。学生はエネルギーを驚くほどにまとっていて、自分も同じくらいのエネルギーを作り出して放出しなければ!という感じになります。
大学生だった頃の私は、その感覚が忘れられなかったし、学校で作品やことばと向き合う時間が大切でした。それは芸術が作り出す生命力に似た力に引き寄せられていたからだと思います。

もう一方で、なにかに守られている感覚というか世界が優しく存在する感じもありました。
説明会後の週末、学生時代のバイト先から当時、住んでいた家の前まで訳もなく歩いてみました。足元からふわふわと浮いてきてなんだか落ち着かず、それでも歩くことをやめられなくて、結局、元の家の前を通り過ぎて学生時代に縁のあった場所の前まで行って、通り過ぎて、を繰り返していました。
そのうちに、ながく住んできた人が多くいる京都の土地は、様々な文化や慣習がかたちを変えながら、歴史とともに受け継がれ、ひとつの大きな共同体のかたちをしているように思えてきました。そして学生は、その上に、ただ乗っかっているような気がするのです。
京都という土地が人を魅了して離さないのには、共同体のもつ求心力によるものなのかもしれません。

芸術を京都で学ぶとは、生命力を感じながら土地にひきつけられることだと考えたら、それは恐ろしく幸せで抜け出せなくなる魔力がたしかに存在する気がしてきました。

1年前の今頃の私は、その魔力に強く惹かれつつも、どうしてもこのまま京都にいてはいけないと感じながら、進路を考えていた気がします。

 

 

◆東京で、仕事で、学ぶ

東京という土地もまた、京都とは全く違う魔力をもっているような気がします。「東京」に憧れたり怖がったり、生き残るために逃れられなかったり、生きるために田舎に引っ越してみたり。なんだかいつも特別扱いされているのに、どこかと比較されてばかりの土地な気がしてなりません。かくいう私は「自分は東京で生きていけるのだろうか」と根拠のない不安を抱いていました。それに、自分に仕事ができるのだろうか、本当に役に立てるのだろうかというのも、同時に胸のうちにあったと思います。

東京という土地はそこに根付く共同体みたいなものの存在は微塵も感じられなくて、だからこそ社会のシステムをまわすのにはすごく向いているのだと思います。でも、やっぱりそれだけだと寂しくて、自分の輪郭があいまいになっていくのに、他者や物との距離はどんどん遠くなるような感覚が襲ってくる。やるせなくなって、つい京都と芸術の世界へ逃げ込みたくなってしまいます。

それでも、私が東京で仕事をすることを選んだのは、これからも選び続けるつもりでいるのは、会社に確かな芸術があるからだと思います。これから作っていけるいくつもの絵やことばがあるからだと思います。

東京という場所で仕事を通して、生命力にあふれた求心力のある場をつくれたら。
今、そんな妄想がもつ魔力に包まれながら、私は東京で生きているのだと思います。