コーヒーで頭が冴えるのは、カフェインのせいか。

朝時間の充実

朝、会社に来てから午前中までは自分の時間に充てたい。社内からそんな声が上がり、さっそく取り組みが始まっています。

例えば、会議は原則として午後から。それまでの時間は本を読んだり、原稿を書いていたり。思い思いの時間の使い方ができるよう、朝礼を昼礼に変更してみたり・・・。行きつ戻りつ、試行錯誤をしながら働いています。

思えば様々な分野で活躍されている方は“朝型”の方が多いよう。朝のさえた頭を活用して、大切なタスクをこなすことは、その人本来のパフォーマンスを引き出すために必要な事なのかもしれません。

人間の集中力が続くのは、せいぜい90分程度だと聞いたことがあります。小学校から中学、高校へと学府が上がってゆくに従って授業時間が長くなってゆくのは、年齢とともに集中力が上がっていく期待の表れかもしれません。
ですが“何かを書く”という行為には、本を読むときよりもよほど頭のパワーを使ってしまうようで、一気に書き続けるのは1時間が限界。頭が止まるのが先か、手が止まるのが先か。どちらにせよ、一度手が止まってしまうといったん休憩が必要です。

ほっと一息、つきたいとき。そんな時にはカフェに行って、コーヒーを淹れます。カルディで買ってきた豆をきっちり50グラム、スタジオから借りてきたハンドミルで少し粗目に挽く。その少し待ち遠しい時間が、ケトルで沸かしたお湯を落ち着けるのにちょうどよい時間。

平らに慣らしたコーヒー粉に、いきわたるように。そっとお湯を回しかけると、生き返ったような粉たちが、パチパチと歓喜の声を上げます。しばらくその香りを楽しみ、いよいよ湯を回しかけてゆくと琥珀色の泡が盛り上がったきれいな土手が現れ、さらに香りが立っていきます。注いだ瞬間、白く水面に広がってゆく二度目、三度目のお湯は、さらに味を引き出してくれているようです・・・

そうやって楽しんでコーヒーを淹れていると、ぽつりぽつりと人が集まってきます。みんな、ちょっとの小休止を挟みたくなった様子。一緒に飲んでくれる人は歓迎です。一人分には多すぎるだけのコーヒーが、ちょうど入ったところですから。
今日の豆はうまいね。
どうやったの?
ひき具合は?

そう言う他愛のない会話が一番楽しいと気づいてから、気分転換に淹れたコーヒーなのか、会話を楽しみにコーヒーを淹れているのか、よく解らなくなってきてしまいました。多分そのどちらも大切なのでしょう

仕事で「ありがとう」「よくできた」と言われるのはもちろん大切。でも、コーヒーを淹れるだけ。ちょっとカフェカウンターに立つだけ。コーヒーをポットに入れて カウンターに置いておくだけ。それだけで誰かに喜んでもらえる。人間は誰かとつながりを分かち合えた時に幸せを感じると聞くけれど、ここではまさにそう。こんなに喜ばしいことはないように思います。

そうやって手を動かして、話をしている内に、さっきまで書いていた記事がおのずと整理されて、すっきりしてきたようです。
頭がさえるのは、カフェインのせいだけじゃないみたい・・・。

・・・そんなことを考えていると「私もコーヒーを淹れてみたい」そんなことを言ってくれる人も出てきました。
たった一杯のコーヒーから生まれる場。そこで起こることは、自分のためにしていたはずのことが周りに伝播していく、不思議な空間。

これからも、いろいろなことがそうやって広がっていったらな、そんなふうに思います