オスの脳・メスの脳、その正反対の働き
外界を認識するのが得意だからこそ、自分の感情がよくわからないオスの脳
どこかのなにかで読んだお話である。でも、妙に納得したのではっきり覚えている。誰しも、興味が尽きない男と女の違いの話である。
オスの脳は、外界を認識するのが得意なのだそう。それは野生の動物で考えるとわかりやすいとか。獲物を狙うその「脳」は遺伝学的・生物学的に外界の状況認識の力が発達した。オスの意識はだいたい外に向いている。今ではそれはそのまま社会における座席争いの脳である。「生活に有利なポジション取ったぞ、ガオぉ~」って感じか。でも、そのおかげか、オスの脳は、自分自身の感情がよくわからないとか。ついでに自分の体調すらわからない。極端になると着ているものなどお構いなし。「これっておしゃれじゃないんですか?ガオ」である。一番不得意な質問が自分の感情を聞かれること。そんなことオスの脳は考えたことがないのである。
自分の気持ちに敏感なメスの脳。だからこそ、外界のことなど興味がない。
一方、メスの脳は自分の感情や体調にとても敏感に出来ているらしい。子供を産み育てようとする母性がそうさせているとか。身の回り30cmに自分を汚す何かが近づくと極端に「嫌~っ」な顔をする。逆に、自分の性質を高める物体は内側に積極的に入れようとする。関心はいつも自分に向いているそう。逆に、だからこそ、外界の認識などどこ吹く風。外の世界がどうなろうと、それは私の関心事ではない。「それって男の仕事じゃないんですか?」。歳をとっても、時代が近代になっても、メスの脳は外を向くのが苦手中の苦手。新聞を読むより自分の爪の手入れをする。自分を守ってくれるオスを200万年前から婚活中なのだそう。
オスの脳とメスの脳は、ことほどさように真逆なんだとか。妙に当たっていて腹立たしいやら、感心するやら。皆さんはどう感じるだろう。
自分を相対化できないオスとメス
その本にはこんなことも書かれていた。
そんなオスとメスの脳の働きの違いを自分自身で自覚できないと、つまりは自分というメカニズムを相対化できないと、近代は少し生きづらい、と。男女の違いを基本、意識しないで済むように設計されている(または設計しようとしている)のが近代社会なのだから、あまり野生を表に出すと社会構造・社会機能とバッティングするのだそう。男女機会均等法や男女共同参画は時代の構造的な流れ。オスは自分の感情を振り返り、メスは社会の構造的な理解に努めるべし。それが近代人の最低限の作法となる。野生は一時、退却せざるを得ない。
それがうまくいっているのが北欧の国々だとか。スウェーデンやデンマーク。幸福度調査でいつも世界一を競っている国々だ。経済も社会も人生も、好調なのだそう。逆に不幸にも幸福度で先進国断トツのどん尻を走っているのがわがニッポン。オスの脳とメスの脳を相対化できていないことがその主な原因ではないか。そんな大胆な分析をしていた。
じっとわが身を振り返る・・・、身につまされる話ではないか。
克服した時
でも、こんな希望も書かれていた。
オスもメスも、そうした自分自身が生まれもって抱える脳の働きを自覚し、不得意なところを克服した人が、世界的に活躍している男女に多いのだとか。日本人でも何人か名前が挙がっていた気がする。
男性は自分の気持ちを表現できるようになると、外界の状況把握という本来の強みと重なってしなやかな社会設計を実現するとか。福島原発の事故を先導してしまった痛恨の失敗も起こさなくなるのではないか、と。男性に必要なのは自分の気持ちを振り返り表現するしなやかさ、とか。
女性は外界の状況把握に努めること。論理思考や空間軸・時間軸での外界の把握が、その女性を近代の女王に押し上げるとか。本来、持っているしなやかな性質と相まって、21世紀の社会に善きこと限りない。母性が社会に向けられるとき、マザーテレサのような大きな愛が生まれ出るとか。
いろいろ納得である。
オスの脳を持つ人も、メスの脳を持つ人も、お互い気を付けたいものです。そして、近代社会でより良く生きるヒントがたくさん発見できる本でした。
ちなみに著者は女性です。とても魅力ある女性だなぁ、と思ったのを覚えています。
そうそう、AIは男性脳の発達の究極とか。バランスを取るためにも女性の活躍が望まれる、と。そんなことも書かれていました。