ゾンビランド、日本!

ゾンビランド、日本!

2002年、石井紘基議員 暗殺事件

早く読まなければ、そう思って引っかかっていた本をようやく読んだ。石井紘基(いしい・こうき)元衆議院議員の本である。石井議員は20021025日、国家予算の全貌解明を目前に暗殺された国会議員である。当時、民主党の衆議院議員として国政調査権をフル活用し、日本のお金の流れを解明しようとしていた矢先だった。その石井紘基議員の遺作ともいえる本を読んだのだ。暗殺という事実が内容の真実性を際立たせてしまっている。実行犯は、日本最大の裏組織であることがすでに分かっている。終身刑が確定し服役している。

衝撃を受けた、というよりむしろ、私自身の社会に対する見方・感触を数字で裏付けられて腹が定まったというべきか。足の先から胸のあたりまでゾンビのように腐ってしまった日本社会・日本経済への対処の仕方を自分なりに明確にしなければならない、そう改めて思わせてくれるに十分な調査内容だった。何度も読んで頭に叩き込まなければならない。腹を固めなければならない。

 

近代社会の唯一のエンジン_イノベーション

近代経済を動かすエンジンの存在を意識できないと、この本の内容はうまくつかめない。人間の体で言えば心臓にあたる存在である。それはイノベーション。平たく言うと、“わかった!”という大規模な認識の刷新のことである。それが市場で起こること。企業が仕掛けることである。こうして市場は縮小均衡をまぬかれ拡大再生産される。資本主義だけでなく、社会主義にも共産主義にも必須の機能である。

お金は、分配する前に十分増やさなければならないのである。社会全体でのイノベーションの集積があるから金利はプラスになりえる。いま、日本の金利がマイナスなのは周知であろう。すなわち、イノベーションが足りないということである。その日本社会の実態を描き出してくれている。日本からはどうしてイノベーションの種が失われつつあるのか、それがすべての国民の喫緊の課題である。

 

日本経済・エトスの実態

日本経済の中心産業にはイノベーションがない。自動車と電気と機械、そして、私たちが携わる消費財産業を除くすべての産業の主要プレーヤーは国家官僚とその系列であるという事実。本質はその立場・身分にあるわけではないので、データのその何倍もの浸食が実体であろう。

日本のGDP(国民総生産)の実に半分が、「利権」を目的とした特殊法人や公益法人、その子会社・孫会社・系列予算(特別会計や補助金)で占められている。官僚が作り上げた「利権」の巣窟たる会社はじつに3000超。その取引先の土建業者や農家などまで含めると日本がゾンビのように侵されている姿がイメージできるではないか。(日本の上場企業も3000超である)

建設業界に君臨する日本道路公団。ここは世界一のスパーゼネコンである。予算は実に5兆円規模。ここが日本の道路関連の建設工事を仕切っている。その下に鹿島や大成、清水といったゼネコン各社がぶら下がっている。そして、その下には下請けが、そして、そのまた下には孫請けが・・・。首都高速や阪神高速道路など特別に切り分けられている利権もあるので、その予算規模は年間10兆円余りだと想像すればいい。ニトリが15個、ソニーやパナソニックと同等の規模である。

こうしたピラミッド構造が実に70以上。サイズはそれぞれ1兆円を超える。まさに複雑に編み込まれた蜘蛛の巣のように、カネが上から下へと流される。そこに群がるゾンビたちの数は直接雇用で400万人。つらなる企業群まで含めると3000万人に達する。その家族まで含めると8000万人規模である。日本の人口の3分の2である。さらに経済的付加価値活動に従事している企業にまで行政指導や規制で縛り付けることを考え合わせると、日本の就業人口6000万人の何割が「利権化」しているのか、と戦慄する。「足先から胸まで腐る」では認識が甘い。すでに顎の下まで腐敗は進んでいるのかもしれない。

ニトリ・ソニー・京セラなどの有名企業やベンチャー系企業など、ざっと頭に浮かぶ企業を除くすべてが利権産業だと考えて差し支えないほどである。日本には、そのド真ん中にイチゴ大福に入った大きなイチゴのような存在として利権ビジネスが存在する。しかもアンコはほぼない。大福の皮もとても薄いだろう。そして、そのイチゴは年々加速度的に増大している。もはや体の60%を超える超巨大な癌である。それを1000兆円を超える赤字国債が支える・・・、その赤字国債は、従順でなんにも言わない私たち善良な国民の銀行預金や郵便貯金・生命保険が支える・・・。

他の先進国にもこうした官製経済はある。しかし、その割合はずっと小さいし、基本認識としてサブ扱いだ。あくまでイノベ―ションをその命脈とする市場機能を中心に置き、それを補う形で官による規制を実行する。そうしなければ、経済全体が腐ることを一応知っているからだ。すべてが褒められるわけではもちろんないが、まだ、そこには節度がある。宗教の存在がそれを最後の最後で支えているのだろう(他国もかなり押し切られそうではあるが)。

日本のイチゴは見た目だけである。すでに腐り、新鮮さのかけらもない。

 

日本からは「潔さ」が消えて久しい

別の文章にも書いたことだが、この日本には「潔さ」という価値観が消えて久しい。実に嘆かわしいことだが、今や社会科学の常識である。

私たち日本人は、戦後の急性アノミーの上に立っているゆえに、社会から生きる動機を与えてもらえない数少ない国民なのである。だからみんな、小さな承認を求めて右往左往してしまう。ソリダリテがなければ人間は生きてゆけないから、私たちの多くは藁をもすがる思いですがりつくものを探し求める。そしていま、日本社会のど真ん中に君臨する「神」が、官僚様・お役人様の意向というわけである。戦後75年、その「神」を国民みんなで育ててしまったのだ。

こう考えてみればいい。オリンピック委員会から会社でつくる商品(うちならベッド)の大量発注が来た。実に10万台。それは誇らしいことか、恥ずべきことか、ということだ。99%以上の人たちが実家の両親に報告したくなるのではないだろうか。うちの会社は国から仕事を依頼される「ちゃんとしたいい会社」なんだよ、と。この心象風景がゾンビのもとである。多分、私も自慢してしまう。さすがに恥ずべきことだと思うだろうが、こうした話を両親からも求められているというのを直感してしまうので、喜ぶ顔見たさに負けてしまうかもしれないと思う。

「潔さ」とは、簡単に言うと武士道精神である。カネより誇り、立派に生きることをこそ自分自身の生の基盤に据える内面の構造である。今では、極道映画の中に登場する本宮泰風や小沢人志くらいかもしれない。道を極める凛とした心。まさに希少動物である。

 

日本はソ連のように崩壊するのか

私も戦後生まれなので、むしろこうしたゾンビ化した心的構造が理解できてしまう。油断すると自分がゾンビに侵されてしまうのがわかる。業績が少しでもいいと機嫌がよくなるし、融資を受けるとやはりホッとする。もし毎日のように売上・利益に追い立てられることがなければ、自分は腑抜けてしまうだろう。期限のある莫大な借金を抱え、給料や家賃といった固定費の支払いに責任をもたなければどうなることか。社員であれば、油断すると解雇されてしまうという危機感がなくなれば、やはり精神は抜け殻になるかもしれない。社会のエンジンは、私たち一人一人の心の中にある危機感でしかないのである。これのみがイノベ―ションの原動力である。

『ソビエト帝国の崩壊(小室直樹著)』という本がある。実にソ連崩壊の10年以上前、未来を予言した書物として注目されたのでるが、崩壊の根本的原因が今の日本にそっくりなのである。まさにゾンビ化である。社員の遅刻や無断欠勤が常態化し、工場は納期を守らず、借金は返済されない・・・。レーニンが理想した武士道精神(キリスト教圏では行動的禁欲エトス)は見事に消え去り、社会の中には疑心暗鬼という空気が充満していたらしい。革命から100年余り。日本が戦後75年だとすると背筋が寒くなる。

イノベーションなき社会は崩壊する。イノベーションを支えるのは私たち一人一人の起業家精神・武士道精神。世界は宗教がそれを支えたが、日本に今、現世で努力する明確な理由(=宗教)はない。その必要な穴を「おかみ」が埋めてしまっている。そのメカニズムをガッチリと踏み固め続けている。菅政権のもと、今日も継続中である。

 

お隣、中国との決定的な違い

お隣中国も、共産党を中心とする社会主義国ではないか、そう思う向きもあるだろう。しかし、日本と決定的に違うのは、それが指摘できるようになっているかどうかという点なのである。メディアやネットの規制、そして監視カメラなどで窮屈な社会だと批判されてはいるが、少なくともAはA、BはBと銘打たれている。認識できるようにはなっている。しかし、日本にはこのわかりやすさがない。特殊法人の名前や事業は「ふるさと〇〇」だとか「国民健康増進〇〇」だとかいう名前ですべて塗り固められている。耳障りのよいことばで覆い隠されているのである。実態は癌なのにホクロといって安心しているようなものである。実態はこうして見事に隠される。これでは専門医でも見分けがつかない。

国家予算がその最たるもの。なんと国会で審議される中心にある(とされている)予算より「特別会計」とか「補助金」と呼んでいるお金のほうが大きいのである。その規模2.5倍。まったく「特別」でも「補助」でもない。そこが官僚利権のメインストリームである。その下に、GDPの実に半分がぶら下がる。

しかも、日本の場合、それを国会で承認した正式な法律で守っていることが多い。本当はすべて憲法違反なのだが、戦後義務教育のせいでConstitutionという憲法の機能を知っている国民はまず存在しないから、違憲である法律が廃止されたり改正されることはない。財務官僚はそのことを百も承知である。東大法学部ネットワークで、その技芸を骨の髄まで叩き込まれるらしい。

石井議員は、国会で堂々とそこに切り込んだから暗殺されたのだが・・・

 

私たちにできることはあるのか

油断すると自分自身がゾンビになってしまう。映画『ワールドウォーZ』や『ウォーキングデッド』『ゾンビランド』なんかを思い出す。必死で生きないとこの世界はすべてがゾンビになってしまう。私たちにできることはあるのだろうか。

戦争でもない限り、この社会が革命的に変わることはありそうもない。戦後アノミーによるソリダリテの喪失がその原理だとするならば、官僚や特殊法人を一掃してもそれは一時の慰めにしかならないだろう。やはり効果的なワクチンを地道に開発するしかない。

 

まずは、名を正す。この国の現状を表現する偽りのことばを正すことからだろう。この国は、世界に冠たる社会主義国なのだから、「日本は社会主義国」である、とまずは堂々と認めよう。日本道路公団は世界一のスーパーゼネコンなのだから、そうマスコミも報道しよう。ODAは貧しい外国人を支援するためのモノではなく、日本の企業に売上を回すためだと認めよう。本当に必要なのは井戸だったりするのだから。特殊法人がどんな放漫経営をしているかを理解するために財務の知識を一般教養としよう。わたしたち国民も、数字が苦手では騙されるだけである。

そして、現実を真実のことばに置き換えながら、新しい真実のことばを紡ぐことをしよう。内省に正確に裏打ちされた、自分に正直な表現を探し出そう。「私の内省は潔くあるのか?」そうした問いを自分自身に向けながら、違和感を排除した表現の自由を楽しもう。嘘偽りのない「ことば」の集積で社会を構築しなおすこと。社会の隅々まで、その「ことば」を届けること。苦手分野に腰が引けていてもしかたない。あらたな分野に挑むこと。ことばを紡ぐことを武器に・・・

多くの日本人がことばに敏感になること。それが今の私たちにできる最初の一歩だと思う。

人を傷つけずに行う社会変革は、これしかないと思う。