論語とドラッカーとミスチルと息子

論語とドラッカーとミスチルと息子

ゆうべ、寝る前、息子と一緒にミスチルの曲を聞いた。『SENSE』というアルバムの1曲目と2曲目。『Iアイ』という曲と『擬態ぎたい』という曲。しみじみ「今、これの歌詞にはまってるんだぁ」と息子。まずは『Iアイ』の一節・・・

 

♪処方された薬にすがりつく「Iアイ」

「誰も悪くないの」とか

言い出すんでしょ!?

自分を責めるふりをして許しを請え Ah

誰も見ないワンマンショー

泣いて傷ついたふりして

気を引いてみようかなぁ Ah

そんな風に自分を甘やかすのでしょう

支持してくれるスポンサーに媚を売る「Iアイ」

挙句には「死にたい」とか言い出すんでしょう!?

思い通りにいかないときの一発芸 どう!?

 

14歳と言えば、もう大人である。いや、それでは月並みな言い方だ。冷静な自意識を育て、ありのままの社会をのぞき込もうとしている年齢といえようか。鋭すぎる感覚に、正直、驚いた。日々、成長していくのだなぁ・・・という感慨もふと浮かぶが、それよりも何よりも、息子の顔と、歌詞を、交互にのぞき込んでしまった。こいつは哲学者なのか・・・?子供はみんな哲学者・・・そんな言葉が浮かんでは消える。

言い訳ばかりするずるい大人(俺の事だろうか?)が周りにたくさん目に付くのだろうか。学校は楽しくないのか?それとも自分自身の内面を振り返っているのか。なんだか、頼もしくも、怖くもあった。私自身、強烈に自分を振り返らされた。眠気も吹き飛んだよ、おい。

そして、2曲目の『擬態』の一節。「ここ、いいよねぇ」と息子。

 

♪富を得たものはそうでない者より

満たされてるって思ってるの!?

障害を持つものはそうでない者より

不自由だって誰が決めんの!?

目じゃないとこ 耳じゃないどこかを使って

見聞きしなければ見落としてしまう

何かに擬態したものばかり

 

近代社会で座席争いに邁進する大人を痛烈に批判する歌詞。息子に、「お父さんは、そんな大人じゃないよな!?」そう、言われてる気がして身につまされた。「目じゃないとこ、耳じゃないどこか」ってどこのことを言っているのだろう?息子はどう考えているのか。「見落としてしまう」「何かに擬態したものばかり」・・・人間社会とは、思い込みで出来ている・・・もしくは、大人はみな何かを演じているだけじゃないか、そういうことなのか。人生って、自分って、人間って・・・。そういえば、ちょっと前、息子にこんなことも聞かれた。「人間性って何?」難しすぎて答えられなかった・・・

 

先日の社内の精読会で読んだ『ドラッカーと論語』にこんな箇所があった。著者の安冨歩さんは、「第4章 全体主義〈組織の罠〉」の一節で、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』を引用しながら、ドラッカーマネジメントの起源に迫る。そして、ドラッカーが痛烈にナチスドイツ時代の国民を批判する箇所を取り上げる。ナチスが力を誇示し始めたドイツ国内において、ユダヤ人教員を迫害するのを尻目に、フランクフルト大学の著名な教授たちが「私の研究費はいただけるのですか」と保身的な対応しかしなかった姿を、「無関心の罪」として断罪するドラッカーを取り上げる。ドラッカーマネジメントの思想的起源はここにこそある、と。そして、次に論語を引用する。

 

子曰く。人が遠くのことに配慮しないのであれば、必ず近くに憂いが生じる。(衛霊公第十五、十二)

 

ミスチルの歌詞とダブった・・・「支持してくれるスポンサーに媚を売る『Iアイ』」・・・「誰も悪くないとか言い出すんでしょ」「目じゃないとこ、耳じゃないどこかを使って、見聞きしなければ見落としてしまう」・・・

ドラッカーと孔子とミスチルと、14歳の少年の、純なる眼差し、正義感が重なるようじゃないか。また、わが身を振り返る・・・

 

What do you want to be remembered for? あなたは何をもって覚えられたいですか?

 

ドラッカーが著書のどこかの箇所で綴っていた。ドラッカーが中学生くらいの時に、宗教の先生が言った言葉だそうだ。この質問に答えられなければ、君は、人生を無駄に過ごしたことになるよ。そう、その先生は言った。わたしは、誰に何をもって覚えてもらいたいのだろうか?息子に、「擬態」した大人、「自分を責めるふりをして許しを請う」ような大人だとは思われたくない・・・そういうことなのだろうか。胸が締め付けられる・・・

 

「お前は最大限の努力をしているのか」

 

よく頭に浮かぶ言葉だ。誰が言ったか、いつ耳にしたのか、覚えてないが、なぜか、よく思い出す。そういえば、俺のおやじが言っていたのか・・・急におやじに会いたくなった。

 

自分も、もう49になる。時代は、逆戻りせず前に進む。頭には白髪が目立ち始めてきた。創業期のメンバーたちも同じように20年分、歳を重ねているのだろう。人間皆、やはり歳は取るのだな・・・ブッダもそんなこと言ってたっけ。諸行無常・諸法無我・縁起。世界は自我とは関係なしに回り続ける。人間は、他者との関係からは、逃れることができない。人生は苦である・・・

事業とはなんだろう?いい会社とはなんだろうか。「富を得たものはそうでない者より、満たされてるっておもってんの?」。では、富ではない、豊かさとは何か。

意味のある事業が作りたい。そう心から思う。でも、今日も数字に追いかけられる自分もいる。お金(富なのか?)から一時も逃れられない自分もいる。「デタラメを、誠実を、すべて自分のもんにできたなら、もっと強くなれるのに」・・・『擬態』の最後にミスチルが歌う。数字は人生のデタラメ。なくてはならないけど、やはり、デタラメでしかないのだろう。なら、誠実とは何か。「遠くの事への配慮」。孔子の言葉にしがみつく・・・

でも、今日が始まる。今日も、元気な社員の顔に、溌溂とした笑顔に、癒される。オフィスには、若い明るい笑い声がこだまする。

「お前は、精いっぱいの努力をしているのか?」

今夜もまた、ミスチルの曲が聞きたい。