4つの未来_自分の心をワクワクに保つための理論

4つの未来_自分の心をワクワクに保つための理論

マル激の最新回を見て考えたこと

マル激の57日の最新回「見田宗介(=真木悠介)追悼特別番組_ゲスト大澤真幸さん」の回を見て考えた。故人となられた見田宗介さんが真木悠介さんと同一人物だったことを私はこの番組を見るまで知らなかったが、見田宗介さんの著作は何冊か読んでいたので、真木悠介さんの著作も早速手に入れて読んでみた。そのうちの1冊『人間解放の理論のために』を読み、素晴らしい視座を手に出来たのでまとめてみたい。

私は前回の「CEOの内省」で、退屈について書かざるを得なかった。長期休暇がこよなく嫌いであることを告白しなければならなかった。そして、そこから脱出する「理論体系(=ものの見方・考え方)」を探していたのである。それが少し見えた気がしたのだ。「未来」に対する視座を整理すれば、自分の心を瑞々しく保てるのかもしれない・・・

 

私たちはふだん何気なく「未来」や「将来」という言葉を厳密な区別なく使っている。「未来構想」と「将来不安」という言葉の「未来」に関する厳密な定義など考えたこともない。その一方で、図々しくも、素晴らしい「未来」を手にしたいとただ漠然と考えている。未来を作る精緻な理論を持っていないことには気が付いてすらいない。

でも、未来に対する見方を明確に整理することで、自分の心も変えられる。毎日をワクワク元気に生きるために何をどう考え、どう行為すればいいのか。事業に向かう正しい心の姿勢をも示してもらった気がした。近代という陥穽にハマらないで心をイキイキ保つための理論。そんなすごい理論を考えている人がいた。それが『人間解放の理論のために』が目指すところだった。

「4つの未来」という視座である。

 

①「将来」としての「未来」

私たちが普段「未来」というとき、何を思い描き、イメージしているだろうか。これが自分を元気に出来るかどうかの試金石になっているのである。今回は難しいことは省かざるを得ないが、マルクスの物象化論や疎外の概念を持ち出さなくとも、私たち近代人は「未来」を「将来」という意味で使っていることが多い。先にも触れたが「将来不安」という言葉がその典型ではないか。これが一つ目の「未来」のイメージである。「①未来」としておこう。

未来を将来と同じイメージで使うとどうなるか。勢い、老後資金の不安、親の介護のこと、子供の将来に対する心配・・・、小学生・中学生などであれば学校で強制的に書かされる作文のテーマである「将来の夢」などというものがイメージされる。この場合、未来という時間をひつとの帯(おび)のように描いているのではないか。時間という概念をあたかも歴史年表のごとく、ある一定の幅のある物理的なモノとしてイメージしている。私たちはこうした未来イメージに慣らされている。学校教育の影響も強いように思われるが、未来とはすなわち、平均寿命の晩年にやってくる「必然」としてのイメージである。このイメージが人々を生命保険や年金制度への関心に駆り立てる。

でも、ちょっと待て、そう言いたい。この「将来」という「未来」は、実は近代社会が生み出した幻想の一種でしかないのである。マルクスのいう資本制生産システム構造を内包する近代社会は、すべての社会現象、そして、内面の現象が資本の圧力に踊らされるという宿命を持つ。簡単にいうと私たち近代人はお金の不安から逃れることが出来ないということである。初めて会った人との会話の定番は「お仕事は何ですか?」である。宗教は?信念は?ご家族は何人?などとは決して聞かないのが礼儀である。地球上のすべての近代人が呪縛されている資本制生産システムの話題であれば、失礼に当たらないことがみな、暗にわかっているからである。「あなたの近代的な呪縛からの逃避方法は何ですか?」そう聞いている。「ああ、いいですねぇ」「羨ましい限りです」もしくは、「うわぁ辛いですね・・・」誰でもそのくらいのイメージが出来るのが近代社会というものの呪縛なのである。これをマルクスは疎外と呼んだのであった。

「①未来」は「将来」という意味で使うイメージとする。これは誰も逃れられないイメージではあるが、このイメージが私たちを不安に陥れる元凶でもあることを自覚したいものだ。このイメージを捨て去ることは不可能だが、せめて意識して使いたいものである。囚われているのは「将来不安」という名の疎外現象なのである。お金に使われてしまっている自分を振り返りたい。

 

②あるべき「未来」

次に整理すべきが「理想としての未来」である。「②未来」は「あるべき未来」のイメージである。

これは「①未来」の「将来」よりも少しワクワクさせてくれるような予感がある。だって理想なんだから。でも、これだけでもダメである。人間の感情はそんな単純には組みあがっていないらしい。すなわち、理想としての未来イメージだけでは、どうしても、本当にそうなのか?という感触から逃れられないのである。政治家がこんな未来をお約束しますと言ったときの私たちの反応は、「失笑」が定番であろう。何を言ってやがる、それが本音である。でも、それに踊らされるバカな選挙民もいるんだろうなぁ、がささやかな抵抗である。「②あるべき未来」イメージは、やはりどこか浮ついたままなのである。演繹的に過ぎると言ってもいいだろう。絵に描いた餅感がどうしてもぬぐえない。まったく使えない、ということではないだろうが、使い方を間違えるとお尻がモゾモゾして座りが悪くなる。それが「②未来」のイメージである。

 

③未来_情況の分析的・論理的帰結としての「未来」

次の未来が論理的な帰結としての分析的なイメージである。結論から先取りすれば、これはどうしても暗い未来にならざるを得ない。世界全体を機械仕掛けの全体メカニズムとして捉えざるを得ず、そうすると論理必然的に近代社会の未来は、ザラツキのない、つるんとした、ただ回っているだけのイメージにしかならないだろう。近代社会は、論理必然的に安心・安全・便利・快適に向かう宿命である。皆、失敗を避けることに汲々とする。無自覚に疎外された人々の群れは資本に操られるのみの意思なき大衆と化す。休日の過ごし方も、美味しいレストランの選び方も、結婚すべき相手ですらAIの選択に頼るようになるだろう。ましてや「未来」をや、であろう。自分の就職先を選ぶにしても、会社が採用者を選ぶにしても、すでにシステムで自動化されつつあるのである。アメリカではそうした会社の業績がすでに急上昇している。

物理の法則に熱力学第二法則というのがある。いわゆるエントロピーというやつだが、社会全体を機械仕掛けの意思なきシステムとして捉えると結果残るのは資本に操られる人間の姿でしかなくなるのである。それがエントロピー、完全なる宇宙の法則である。実際、意思を持ちたくないと考える人々が増えているのである。持たなければならない、そう考えてはいるらしい。しかし、本人はもはや自分の好みすらわからなくなってしまっている。自由からは出来るだけ逃走したい。そういう人々にとって戦後日本のアメリカ支配は、むしろ大歓迎なのである。プーチンじゃなくてよかたったぁ・・・支配者がアメリカでよかったですよね・・・、かなり本気でいっているのである。意思はもはや風前の灯である。

これが③未来のイメージである。個々の人間の意思を捨象し、社会全体を機械仕掛けの全体として捉え、その情況分析をもとに論理的必然・帰結を導くとこうなる。③未来は近代の場合、必ず暗いものとならざるを得ない。絶望しか導けないのである。

 

④未来_今作る「未来」

①も②も③も、そのイメージは必ずしもワクワクするものとはならなかった。それでも私たち近代人にとっては容易にイメージしやすい未来であった。日常的に使う思考はこの①~③の理論である。では見田宗介はこの絶望をどのようにひっくり返そうとしたのだろうか?それが④未来のイメージである。私たちがワクワクするための唯一の思考と行動の理論である。

それはこうである。未来は「今」「自分」が作っているものと捉えること。現在や自分の内面をも含めたメカニズムの総体として世界を捉え、そのメカニズムに作用させるべく自らの思考と行為を「企てる」、その結果として現象するもの、それが未来である、そう考える仕方である。ポイントは自分の内面をもメカニズムとして捉えること。そして、その自分の内面のメカニズムが外界の世界のメカニズムと地続きであり、意思次第では、世界を動かすことが可能であると捉え返すことである。そして、意志する現在が水面に波紋を広げるように物理的な時間を超え、未来を変化させていく。マルクスのいう疎外を意思の力で反転させ、うっちゃり返し、人々の内面の集合体である世界に影響を与えていく、そういうイメージである。

マルクスがいう物象化や疎外という概念は、資本によって人々の内面が空洞化していく様子を描いたものである。それは③未来のイメージで今も有効である。しかし、人間にはまだ意思が残っている。動物とは異なる唯一のものとして意志する自我がある。進化生物学的にみれば人間の発達した脳は、①~③の未来を描くことも可能になった。動物なら心配することもない未来を描くことも可能になった。しかし、その同じ能力を使って、未来を作るイメージをも描くことが可能である。物象化や疎外という現象の捉え方の視座を変化させれば、それはすぐさま動かしやすい世界のイメージである。インターネットやスマホによってつながりすぎた世界のイメージは、エントロピーをイメージすることも可能だが、イノベーションをイメージすることも可能なのである。すべてはあなたの意思次第、である。自分を被害者から、加害者へと位置付け直すのである。それが④未来の理論の核心である。

 

事業における「未来」

事業も同様である。事業は④未来が基本でなければならないのだが、①や②、③の未来の方がよく見る光景である。まずは事業における①~③の未来イメージを再確認したい。

①は事業承継などの議論の際に頻繁に話題に上がる。「創業社長であるあなたに今、何かあったらどうするんですか?社員が路頭に迷いますよ」、そう保険の加入を進められるのが常套である。わたしもいつも脅されている笑。

②の未来は特に投資家や当事者意識のないステークホルダーに求められることが多い。時にそれが社員であることもあって落ち込むのではあるが・・・こうした輩は理想を示してほしいと思う。そして、それに自分も乗っかりたいと切望するのである。しかし、決して自分の「心」を使おうとはしない。自分が変化の先頭に立つことは決してない。日本人の実に99%を超える。それが私の偽らざる実感である。

③の未来は主に学者のものである。現実世界を動かすすべを持たない学者が、その頭脳だけで描く未来イメージである。現実世界を動かす術とはすなわち経済的価値の創造機能のことである。端的に事業である。会社である。会社がもつ財務三票のことである。このことに無自覚な学者が多いように思う。そうすると必然的に未来は③型にならざるを得ない。下半身なき妄想は、幽霊のそれである。全共闘活動を、そう見田宗介も振り返っていた。そうして多くの闘志は転向していったのだそうだ。「今の若いものは・・・」それがこうした人たちの口癖である。恥る心を封印しサラリーマンに転向していった。生活を優先させていった。それは世界を動かす「テコ」としての理論を持たなかったからである。

では、④未来を事業に応用するとどうなるか。当然、下半身が現実世界に根を生やし、自分の意思が世界に影響を与えるそれである。これを事業の世界ではマーケティング&イノベーションの理論という。P・ドラッカーがその数ある著作で明らかにした理論である。これが④未来と完全に重なる。ハイデガーであればこれを投企と表現しただろう。世界・内・存在としての自分を未来へ投げ出す、そうしたイメージを描いたのであった。ハイデガーにおいても、ドラッカーにおいても、世界のメカニズムは自分の内面と地続きである。

事業の現場ではこれを仮説検証という言葉で表現することが多いだろう。市場をリサーチし、セグメンテ―ションし、ターゲティングし、ポジショニングする、マーケティング5段階を構成する。最後は当然、仕事の設計、となる。目の前にある「市場」は、世界の縮図として現れる。顧客は世界メカニズムの代表選手である。市場とはすなわち、顧客の内面のメカニズムである。20代女性のF1層を市場とは呼ばない理屈である。F1層という発想は、④未来を①や③の未来とはき違えている。顧客を創造し、ワクワク仕事をするためには、未来は④のイメージでなければならないのである。経営学にも近代の絶望はひっそりと入り込んでいる。MBAが会社を壊す、そのメカニズムである。

 

見田宗介は『人間解放の理論のために』の中で、世界を4つの層で捉えることを提案していた。下層から順に、「疎外の原理」「近代市民社会の歴史・原理」「現在の世界と日本の姿」、そして、現実世界の「リサーチ」である。一番上に位置する第4階層は、私はすなわち事業におけるマーケティングと重なった。ドラッカーももともと哲学者である。ハイデガーやヘーゲルを知らないわけがない。そうした哲学的な知識をベースにマネジメントを開発していったに違いない。その最重要の原理が第4層のリサーチから始まるマーケティングとイノベーションの理論である。

 

見田宗介は著作の中で、人間解放の理論を追求したのである。そこで出してきた体系が「未来の見方」の構造なのである。近代の呪縛に内面がからめとられ、退屈に毒されてしまわないように、未来にワクワクし人間の生を羽ばたかせるために、理論を開発する必要があると考えたのである。

 

まとめ

4つの未来。普段私たちが、何気なく使っているものの見方・考え方である未来に対するイメージを、見田宗介は、4つに分類して見事に整理して見せた。すなわち、

①未来=将来という名の年表の帯のような未来イメージ、これが疎外された近代人が描く典型的な不安な未来イメージである

②未来=理想としての未来イメージ、しかし、これはことばのむなしさを痛感させられるだけの最初から負けが確定している未来のイメージであった。「正しいことを言うだけでは人は動いてくれないんだよ」と嘆くときの未来イメージがこれであろう

③未来。これは、科学的思考、すなわち、分析的思考を構成的に、静止画・青写真に適用するかのように描く未来である。世界をあたかも一つの機械仕掛けの大掛かりなシステムのように捉えたイメージである。時に有効なこのイメージも、財務的下半身を伴わないものになった瞬間に、儚く崩れ去る運命なのである。いわば、予測可能な範囲での未来、受動的な未来である。

そして、

④未来のイメージ。見田宗介やドラッカー、ハイデガーなどの哲人たちは、これこそ人間の生を解放する唯一のイメージと考えたのである。ドラッカーが明らかにしたマーケティング&イノベーションの原理に重なる未来イメージである。自己の内面と外界のメカニズムを地続きと捉え返し疎外を逆転利用する理論なのであった。

 

未来に対する4つの視座の整理。これが人間がワクワクしながら毎日を過ごすために重要な理解を私たち近代人に提供してくれる。目からウロコの体験であった。そして、私の中で、マルクスとドラッカーが見田宗介の著作と重なった瞬間でもあった。

 

ようやく、長期休暇の退屈から脱出できた気がする。