就活中の学生さんへ:「勝ち組・負け組」図式の“土俵の外”を見てみよう

就活中の学生さんへ:「勝ち組・負け組」図式の“土俵の外”を見てみよう

「採用という事業」の収益構造を知ろう

日本は確かに若者の失業率が低い。スペインやイタリア、その他のどの資本主義国に比べても日本人の若者の失業率は低い。みな、“一応は”、仕事を手にしている。しかし、これは「就職活動」というイベントを「意思」のない人間たちを増やすように構造化する「大手就活企業」の収益構造の都合によるところが大きい。彼らの収益の原理は、学生を「大量に・早く・何度でも」右から左にさばくことである。ゆえに、人間を個性なき「群れ」として扱うことが利益の源泉となる。人間を「意志」ある存在としてではなく、ひとつの「データ」として扱う。ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984』のような無機質な世界に仕立て上げることが、こうした企業にとっての利益のキモなのである。端的に、こうした企業にとっては学生や若者に「意思」がない方が都合よいのである。学生個別の人生にイチイチ対応するより、一括でベルトコンベヤに乗せて “処理” した方が、はるかにコストが下がる。この流れは、AI導入の流れに乗って、今後、ますます加速する。「あなたに合う会社はこれこれです」。その時、人間はデータの一つである。AIがあなたの将来を指示する時代がすでにそこまで来ている。

「就活企業」で働く人々がいわゆる「悪意の人」であるわけではない。これはある意味、仕方のないことである*。私たちは家具やインテリアを倉庫から出荷するたびに利益を得るが、彼らは学生や若者を「流通」させることで利益を得ているだけである。対象がモノか人間かの違いだけである。モノと人間と、システムでの扱いは変わらない。家具を商品とするか、人間を商品とするか、その違いである。企業の第一の使命は「向こう2~3年の業績を安定させる」こと。儲けを追求することは、近代社会である以上、世界から貧困をなくすためにも必要である。

しかし、こと学生の立場では、これはかなり気を付けなければならない事態でもある。自分自身の人生を、AIの統計処理に委ねてしまうことは、あなた自身を鬱や無気力の方向に追い込んでしまう。「就活企業」の収益構造が依拠する「勝ち組・負け組」図式は、企業にとっては「流通」をスムーズにするために「必要」だが、あなたにとっては害である。人間の生命は、エントロピーに逆らうネゲントロピーである。なんでもかんでも「資本効率」に従うと、次第に元気がなくなるようにメカニズムされているのである。ROI(投資とリターンの効率)という資本制生産システムはマルクスがいうように人間疎外のシステム*である。

 

*人間疎外のシステム:人間の意思とは関係なくある一定のリズムで回るシステムということ

*仕方のないこと:私は仕方がないとは思わない。こうしたビジネスはなくしていかなければならないと思う。アップルがトラキングデータを選択制にしたが、こうした流れは推し進めるべきと思う。

 

人生は自分自身で試行錯誤してこそ

時代が近代である以上、ある程度の座席争い*は仕方ない。しかし、それを自覚的に行うのか、不安に突き動かされるように無邪気に乗っかるのかは、あなたの人生に天地の開きをもたらす。競走馬のように目隠しされてまっすぐ走るだけの人生と、「勝ち組・負け組」図式の“土俵の外”を少しでも意識しながらバランスを取ろうとして生きる人生とは、内面の充実度に雲泥の差がもたらされる。あなたの不安は「近代社会」というものの構造がもたらしている。その自覚が重要なのである。自覚しても逃れられはしない、しかし、知ることで人間は救われるのである。ブッダがいうところの無明(むみょう)*の状態を脱することが、あなたが生まれてきた意味に気づきを与えてくれる。

無気力や鬱から自分自身を守る方法はとても難しいがある意味では簡単である。それは自分の将来のことは自分自身で試行錯誤することである。わからなくとも自分の頭でウンウン唸って考えること。間違ってもいいから、自分の意志でトライしてみることである。それが人間の生命のメカニズムに元来備わる学習機能を刺激し、あなたという生命を元気にしてくれる。人間とは学習する生き物である。それをジンワリ奪い去る「資本制生産システム」に無邪気に盲目的に従ってはいけない。自分の人生を、AIなどという機械ごときに任せてはいけない。ぶつかっても、失敗しても、自分の頭と体で考えること。それが「勝ち組・負け組」図式の“土俵の外”を眺めることに繋がっていくのである。

難しくて簡単な、簡単だけど難しい、就職活動のコツである。

 

*座席争い:システムに乗っかって待遇のいい、また、少しでも他人が羨む社会的地位を得ようとすること

*無明(むみょう):十二支縁起の一番目。世の中の仕組みを意識できていない状態のこと。無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死・・・と続く、人間の苦の源とされる人間存在の構造分析モデルといえる。

 

近代と格闘するひとりの哲学者:内山節(うちやまたかし)

確かに競争(座席争い)は避けられない。しかし、競争だけで人生を終わらせるのはもったいない。「仕事では息を止めて言われたことをする!だからこそ、少なくとも休日には人間らしい暮らしを!」社会人のイメージをこの程度に抱くことは、人生そのものを卑下することに等しい。あなたの人生はもっと豊かに出来るのである。近代の「鉄の檻」の中にあっても、実存を感じながら生きることは可能なのである。仕事はもっと豊かであるべきなのだ。あなたの将来はもっとワクワクするようなものであるべきなのである。仕事とは本来、ワクワク楽しいものである。会社とは本来、甲子園を目指す高校球児のように、人生を賭けるに値するものであるべきである。だから、「もっとほんとうのこと」を言い続ける。近代社会の「ほんとうのこと」を見つめて時を過ごしてほしい。

 

ここに一人の哲学者を紹介したい。こうした近代社会の根本的な問題に人生を賭けて向き合うひとりの日本人である。私が尊敬する哲学者。名前を内山節(うちやまたかし)という。マルクス研究の第一人者で、資本の論理に支配される近代という座席争い(=勝ち組・負け組図式)社会の中で、いかに人間が実存(=自分自身の唯一無二感)を感じることが可能か?を生涯を賭けて思索を深める哲学者である。ご本人も既存の学会などの座席争いにはまったく参加せず、研究者本来の姿に立ち返ろうと独学で哲学を収めた異色の経歴を持つ。

内山節は言う。マルクスの理論は、社会メカニズムを描くという点ではいまだに有効だが(物象化論)、その一方で、時代への手当てという点においては不十分である、と(『労働過程論ノート』に詳しい)。近代社会というどうしようもなく回る「鉄の檻」システムにおいて、人間が唯一無二感(=実存)を感じながら生きるためには、マルクス理論とは違う、独自の理論体系を生み出さなければならない、内山はそう考えた。それが「作る」という行為を軸とした生き方・働き方の提案なのである。

肝腎なのは、自分自身が「意思」を持つこと。日々、起こる出来事に、試行錯誤をもって対処しようと心に決めること。資本制生産システムに「作らされる」のではなく、会社にいながらも、自らの意思で社会や世界、そして、生活を「作る」ことである。

 

これが仕事というものです。

これが休日の過ごし方です。

これが幸せというものです。

 

そんな押し付けがましい資本の論理の都合に、心の中で逆らってみる。俺は(わたし)は、リクナビやマイナビの言いなりなどにはならないぞ。AIの奴隷などにはならないぞ、と反骨心を心の中に宿すことである。それが次の「意思」の芽を準備し、生きるエネルギーを蓄積し、次第に大きく育ててくれる。

リクナビやマイナビは、使うものである。決して就活企業の論理の手の平に無邪気に乗っかってはいけない。乗りながらも、その土俵を強く意識する。意思決定の際には、就活企業の意見など決して聞いてはいけないのである。

 

決定は、孤独の中で行うこと。

それが自分の人生を「作る」ことに繋がる。

 

全社員企画職:企画の仕事とは「意味」をつくりだす仕事

ここから先は、私たちの会社が内山節の哲学とどのように付き合っているかを少し紹介したい。現場現実の仕事の日常に、そして、リアルな組織の現実にどのような考え方で「作る」の哲学を取り入れているのかを紹介したい。

 

わたしたちの会社は「全社員企画職」という大きなテーマを掲げて組織を運営している。組織理念の核心は社員ひとりひとりが「意思」を持つということ、育てることである。もちろん簡単ではない。しかし、みなそれを楽しんでいる。職種は商品・素材企画、ライティング企画、カスタマーコンシェルジュ、商品・生産開発、経営企画など様々だが、すべての職種の核には「仮説」をもって仕事にあたること、という共通点がある。社内で飛び交うもっとも耳にする質問は「あなたはどう思うの?」である。

 

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わたしたちの「しごと」に対する考え方

 

商品は見る人によって違う顔を見せてくれるものである。見る人が見れば、それは原材料の集合に見える。木の板やプラスティック、金具などの部品の集まりに見えることだろう。それぞれコストがいくらいくらで、どんな方法で製造されているのか、そうした要素還元主義のカタマリである。

一方、消費者にとってはそんなことどうでもいいことである。それよりも何よりも、その商品は自分の人生をどのように豊かにしてくれるのか、その商品を自分の生活の一部にすることで、どんな「物語り」が紡がれ始めるのか、そこにこそ関心がある。商品を通して使っているシーンを想像しながら誰かとの関係を思い浮かべるとき、大事な誰かの笑顔や口ぐせを思い浮かべるとき、もはや「商品はことば」となる。商品は物理的な存在を超えて、もはや「意味」の連なりとなって目の前に立ち現れる。

売れ筋商品には、こうした「想起力」が豊かに備わっている、私たちはそう考えている。市場を開拓する力のある商品の「ちから」とは、こうした顧客ひとりひとりの人生の「物語り」に花を添える力のこと、そのものなのである。

 

企画の仕事とは、こうした「意味」を「作りだす」仕事である。事業を通して、顧客の「人生の意味づくり」のお手伝いをする仕事である。「お気に入り」とは、「お気に入りの」「意味」のこと。人間を深く洞察することで、それは確かに見えてくる。

 

カイシャを「作る」が「自分」作る_関係から立ち上がる仕事の中で

カイシャを「作る」とはどういうことか。日々の企画の仕事の中で、カイシャを「作る」とは、どういうことなのか。

私たちはこう考える。「関係づくり」こそ、カイシャを「作る」ということの本質である、と。商品との関係を「作る」。お客様との関係を「作る」。隣の部署との関係を「作る」。取引先との関係を「作る」。業務システムを関係性の中で理解し、その関係性を「作っていく」のである。社会との関係を「作る」税務や会計などの仕事もある。インターネットを介した人間同士の関係性を「作る」のがライターという仕事である。

そして、肝心なことのもうひとつ。それが未来との関係を「作る」ということである。事業の計画作りに参画することで、カイシャの未来を共に「作る」ことができる。決められた仕事を指示を受けて「作らされる」のではなく、その手でカイシャの未来を「作る」ことが可能なのである。時間との関係を取り入れることで、カイシャの未来は自分の未来と重なる。

「関係」こそが自分であり、その関係の束がカイシャというものの本質であらねばならない。ともすると「機能の連環」のみに心が奪われてしまいがちなカイシャというものの姿を、その関係性に目をやることでまったく違ったものに見えてくることに気が付ける。資本制生産システムの中にあっても、人間どうしの集まりであることを自覚できるようになるのである。関係性づくりは当然、試行錯誤を要する。小さな失敗を繰り返しながら、徐々にその姿を現す、そういうものである。一朝一夕で関係作りは達成できない。でも、だからこそ自分自身の人生に意味を感じることが出来るようになる。即席の機能としての仕事ではないからこそ、資本制生産システムの中にあっても人間の実存は立ち上がるのである。マルクスの人間疎外論・史的唯物論に対抗する唯一の方法論である。

 

関係づくりは、結果的に「ほんとうの自分」に気づく手がかりを私たちにもたらしてくれる。人間とは、関係から立ち上がる現象である。私たちの意識は、交流電燈のように点滅する光のようなものなのである。その光は、関係性が灯してくれるのである。宮沢賢治の詩*にある通りである。

 

関係作りとは、作ったらおしまいという一過性の活動ではない。常に変化の中にあり、しかも、放っておいたら腐ってしまうナマモノのような特徴を持つのだろう。繰り返し、繰り返し、気を使ってメンテナンスを施す必要がある。それがまさに、私たちのカイシャの仕事なのである。

 

*宮沢賢治の詩集『春と修羅』の一番最初の詩を読んでほしい。そのなかで宮沢賢治は人間を交流電燈の光に例えている。

 

仕事は機能でもあるが、関係作りの束でもある

就活中の学生の皆さん。

仕事を社会機能の一部として見るのをちょっとだけやめてみてほしい。勝ち組・負け組図式の中の座席争いのための手段と考えることをちょっとだけやめてみてほしい。

カイシャを機能ではなく、関係作りの手段として捉えてみてほしい。そうすると一味違った景色に出会えるはずである。それまで無機質な巨大な機械のカタマリのように感じていたこの近代社会というものに、少しだけ血が通っていることが見えてくる。カイシャという近代社会の象徴のような組織にも、人間らしい血の通う組織があることが見えてくるはずである。そのカイシャの具体的な仕事、取引先とのつながりにまで意識が向かうことだろう。

 

リクナビやマイナビのプラットフォームを活用しないことは、今は、とても出来ないことだろう。しかし、その中にあっても、血が通った仕事を作ろうともがくカイシャは確かに存在するのである。そんなカイシャをぜひ選んでほしいものである。そんなキラリと光るカイシャを、私はいくつも知っている。しかし、そんなカイシャほどひっそりと身を清めながら活動を続けているのである。どうしたらそんなカイシャを見つけることが出来るのか。それはあなたの「ものの見方・考え方」次第である。

 

「勝ち組・負け組図式」の土俵から、ちょっとだけ外に意識を向けて見よう。そうすれば就活の世界は、急に輝きだすに違いない。

 

少なくとも私たちのカイシャは、みな、そう思っている。

 

わたしたちは、皆さんの就活を応援します。

ぜひ、自身の成長を感じられる就職活動をしてください!