商品を「知る」には、自らが「仮説を持つ」しか方法がない

商品を「知る」には、自らが「仮説を持つ」しか方法がない

「商品」を知るとは、その商品の「仮説を持つ」ということ

その商品をいくら使ってみても、類似商品が販売されている店舗を何度見に行っても、その商品の生産現場である工場を何度訪れてみても、原材料やスペックをいくら頭に叩き込んでみても、実績数字や原価構造・利益率を知っていても、残念ながら、その商品を「知った」ということにはならない。当人も、なんかうわ滑っている感じがぬぐえないだろう。なんだか表面的な理解にとどまっているような気持ちが消えないだろう。

顧客の立場で商品を「見る」ことは重要だが、それでも商品を「知る」ことは出来ない。顧客はやはり顧客である。自分の都合にとっていいか悪いか、それのみ。商品を「未来に向かって」どうしたい、こうしたい、という意思は持たない。そこに作為はない。

「商品を知る」とは、その商品の「仮説」を「持つ」ということである。「仮説」を「持つ」とは、その商品の、市場における構造的位置を知るということにほかならず、対象市場の時間軸と空間軸を構造的に把握したうえで、それをいかに乗りこなそうとしているのか(=仮説)を理解し、自分自身がやってみようと意図することに他ならない。つまり、その商品は、これまでどんな「仮説」を立てて成功や失敗を繰り返してきたのか。その結果、市場の反応(販売データ)はどう変化してきたのか。都度都度の仮説はうまくいったのか、いまいちだったのか、改善の余地はあったのか、なかったのか。いま、あなたがその商品の担当マーケターなら、どんな仮説を立案するか。そうしたことを、自分の頭で考える。なりきって考えてみる。商品の仮説検証サイクルに自分自身を同期させるのである。「商品を知る」とは、そうした作業を地道に行うことに他ならない。

 

※対象を認識するということは、対象の側にポイントがあるのではなく、認識する主体、つまり、私たちの側がどう運動するのか?ということにかかっている。私たちがどんな物語りを帯びてその対象物を眺めているか、である。ゆえに、未来に向けて対象と共に行動を起こすとき、私たち人間は対象を深く知ったという感触を手にする。それが「机」か「テーブル」かは、私たちがどう使うかにかかっているのだ。対象に価値を感じるのは、価値ある物語りを対象物に重ね合わせているからに他ならない。対象物そのものに価値があるとか、ないとか、はありえない理屈である。商品を知るという行為も同様であろう。哲学の存在論的発想が真理であろう。仏教の縁起思想も同じ構造である。

 

 

まずは「仮説」を考えてみる

逆向きに言い直してみよう。商品を知ろうと思ったら、まず、自分自身がその商品に対する「仮説」を考えてみるということである。「〇〇が〇〇になったら、売上が2倍になるのではないか」という、無邪気な仮説(=霊感)から始めよう。そして、そのうえで、その商品の根本的顧客価値、つまり、それがそう呼ばれているということの理由をことばにする。「こたつ」と聞いて何を思い浮かべるのか。「こたつ」とは何か、である。

ひとしきり霊感を働かせたら、次に「データ」を見る。データを道具として、その商品が置かれた市場での位置を把握する。時間軸と空間軸をイメージし、果たして顧客に価値は届いているのか、顧客の顔はどう変化してきたのか、今は顧客からはどんなメッセージが呼びかけられているのか、それを考える。(ちなみに、価値とは常に相対的なモノであるから、あまり競合を意識しすぎないほうが得策である。強い競合が現われたから売上が下がっているのだとしても、立てるべき仮説は、自分の商品をいかにリニューアルするか、しかないかである。大砲で敵の商品をぶっ飛ばすわけにはいかない。変わるべきは常に自分である。)

データ(売上年計グラフ)の傾きをまずは大きく捉え、そのデータの向こう側にいる顧客の心を推理するのだ。データはなにも無機質なものなどではない。体温のある人間が向こう側にはいる。市場とは人間の意識の集積でしかない。それを抽象化して数字で表現しているだけ。選挙の投票行為と同じである。

 

この段階で、競合他社の事例研究やPLC(プロダクト・ライフ・サイクル)、3C、「釣り堀りとエサのアナロジー」といったフレームワークを使うことは有効である。そして、「〇〇を〇〇したら、売上が2倍(10倍)になるのではないか」の、「〇〇」の精度を高めていく。

そして、その「仮説」の精度をさらに磨き上げ、実現可能性まで確認するために、バリューチェーン(サプライチェーン)を奥深く突っ込んでいくのである。この段階では、実際の取引先の担当者さんやデザイナーさん、工場長との人脈が役に立つことだろう。先輩社員の経験が生きる場面である。お願いして話をつないでもらおう(他者活用)。

 

「会社を知る」とは、その会社の「仮説を知る」ということ

少し話を広げて見よう。

ここまでは、主に社員をイメージして書いてきたのではあるが、この「仮説を知る」という作法は、その他、どんな場面でも有効である。

サムライ業の専門家がクライアントの経営者に興味を持っていると思われたい時、金融機関の担当者が営業活動で顧客企業の経営者に気に入られたいと考えているとき、マスコミの取材担当者が経営者に限らず優秀な社員を記事にしようと取材シナリオを作っているとき。そんな時は、その相手先の会社の、事業の、仮説・検証の歴史にまずは興味を持つことである。時間が限られているなら、自分がその経営者ならいまどんな仮説を持つだろうか、と考えてみることである。そんな人間はほとんどいないから、経営者なら感動すること必至であろう。取り入るということではなく、自然と気に入られてその会社に誘われることになるやもしれない。それほど「仮説」思考が習慣になっているビジネスパーソンは貴重なのである。

 

経営者の頭にある「3つの仮説サイクル」

事業経営者の頭の中には、常に3つの仮説検証のサイクルがある。その3つをどうにか生成発展させようと日夜、思考を巡らせている。

まずは商品やサービスのレイヤーでの仮説検証の状態。シングル・ループといったりする。頭の中は、仮説検証の単位で区切られている。SKUやカテゴリーではない。そうしたデータももちろん参考にはするが、業績を左右するのは、ひとつひとつの「仮説」の精度だと骨身に染みてわかっているので、自然と頭の中は「仮説検証のサイクル単位」で区切られてしまう。その数は、事業の成長と共にどんどん増える。したがって、それをいかに絞り込むか、どうグルーピングするか、それを同時に考える。

しかし、それにも限界がある。したがって次の「仮説検証サイクル」である。商品やサービスそのものを「俯瞰する視座」である。主に人事や組織、管理会計、経営企画などの機能がこれにあたる。「ダブル・ループ」と呼ぶこともある。その中心的なものは「人」である。端的に社員。社員をどう育てるのか。その具体体施策が核の核。楽しみながら、持続可能なように、仕組みを、ノウハウを整える。その目的は、市場での仮説検証サイクルを「大掛かりに」行うことである。会社が成長すると、シングル・ループの単位が増えるといった。それはあたかも、戦場での戦線が拡大するかの如しである。現場を指揮する中尉(事業ではディレクター)の数は、それに比例して必要になる理屈である。Aの市場で戦っているときにBの市場が手薄になったらもともこもない。そこを敵に突かれて守りは崩壊する。これが、企業がぶつかる30億の壁・50億の壁・100億の壁、というものの正体(メカニズム)である。その壁を突破するために「ダブル・ループ」の仮説検証という視座が必要とされる。「〇〇が〇〇すれば、戦線拡大できるのではないか?」このレイヤーでも発想は同じである。管理会計や中期経営計画も、焦点は人の成長である。経営を見える化=わかりやすくすることで理解を促す、そうした努力である。

あとは、これらをなぜ行うのか。なぜ、事業に一生懸命にならなければならないのか、という視座。その仮説検証もある。シングルとダブルにあやかってトリプルという人もいるそうだ。経営理念、組織理念、事業・企業ブランディングに関わる思想・哲学である。これに答えるには、会社や市場・業界の中を見ていても埒が明かない。人事政策や組織政策とは大きくかかわるが、それも経営学的な視野では歯が立たないだろう。必要なのは、「近代社会」をまるごと捉えるという視座、人類の歴史・思想史をわしづかみにしようとする覚悟だろう。

 

経営者にはわかっている。会社に必要なのは「仮説」である、と。他の何よりも、有効な新しい「仮説」が枯渇した時、会社は倒産する、と。お金や資産、もちろん、人材といった意見ももっともではあるが、それらを突き詰めていくと「仮説」に行きつく。経営者は、有効な資産かどうかのその「有効性」を「仮説」に求めているのである。目には見えない「仮説」をこそ、ジーーーっと見つめている。

 

「力んで出るのはうんこだけ」、技術論を展開しよう

ちょっと表現が汚くて恐縮だが、わかりやすいのでご容赦願いたい。

会社にコミットしたい、できることなら楽しく仕事をしたい、そう思ったら、「ちからを入れて」会社を好きになろうとか、その会社の経営者を好きになろうとか思うより先に、その会社が今、抱いているだろう「仮説」に興味を寄せることである。その会社の経営者が抱いているであろう3つの「仮説」に興味を持ってみることだろう。好きとか嫌いは結果であって、目的ではないのである。

商品やサービスを「自分のものにしたい」と考える場合も同様である。「自分は家具なんか今まで興味なんかもったことない」などと考えないで、まずは、純粋な霊感から生まれる「仮説」を語ってみることである。自然な生活者としての自分から生まれる感覚をことばにしてみる。そのうえで、仲間と共に、データやモデル・フレームワークなどを活用して、その「仮説」を確からしいものにしていくのである。

人間はたくさん考えたこと、多く触れ合ったものを結果的に好きになる傾向があるのである。逆に、ほとんど触れたことがない対象を好きになるということはない。人間は「文脈のかさね書き」で出来ている。人間の感情は、ことばの重なりで動くようにメカニズムされているのである。感情は結果としての現象でしかない。理性では、自分の感情ですら、実はコントロールできないのである。

 

力まず、しなやかに、仮説を考えてみよう。

それが対象にコミットメントする方法論である。

 

最初は多少、強引でもいいのである。

だけど、ちょっとのあいだ、我慢する。

多少の『ライザップ』はいい栄養剤である。

 

「商品を知る」とは「仮説を持つ」こと。

そのための多少の努力。

 

「仮説」を持つと、あなたの中の「興味」という電燈の光がパッと灯る。

そして対象はいつの間にか「自分のもの」になっている。

お試しあれ。