ウルマンの『青春』は心の技術を語っている

ウルマンの『青春』は心の技術を語っている

サミュエル・ウルマン『青春』に文句を言いたいと思ったけれど・・・

松下幸之助はじめ、様々な経営者が額に入れて社長室に飾っていたということでも有名なサミュエル・ウルマンの詩『青春』。私も100%同意だし、その通りでしかないとも思ってきた。しかし、今回の合宿で学んだ衝撃はそんな生易しいものではない。近代社会という「鉄の檻」、しかも、それに対抗する具体的な策を持たない日本。戦後、すでに75年以上が過ぎ去り、その無策は、若い人であればあるほどに、深く、深く、浸潤してしまっている。「不作為の契機」が広く、社会全体を覆ってしまっている。ふと、ウルマンの詩を思い出し、文句を言いたくなったのである。「そんなんじゃ今の日本では処方箋にならないんだよ。まったく現場を知らない・・・」正しいことを言っただけでは、僕らは救われない。それほど病は膏肓に入る。

 

あらためてウルマンの有名な『青春』を読んでみたくなった。以下、その全文である(作山宗久訳)。短いので載せてみたい。

 

 

青春

 

青春とは人生のある期間ではなく

心の持ち方をいう

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、

たくましい意思、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

 

青春とは臆病さを退ける勇気

安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うときはじめて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥(あくた)になる。

※芥(あくた)・・・腐ったりなどして打ち捨てられているもの、ごみ。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、

驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、

人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。

人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

※駅逓(えきてい)・・・宿駅から宿駅へ荷物などを送ること。駅伝。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、

悲歎の氷にとざされるとき、

20歳であろうとひとは老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、

80歳であろうと人は青春にして已む。

※已む(やむ)・・・「死して後已む」(死んだあとになってようやく終わりとなる)。論語などの表現を引用している。吉田松陰もこの表現を使っている。だから、このウルマンの詩の場合「80歳であろうと人は青春のなかで命を閉じられる」そんな意味になろうか。

 

 

あらためて読み返すと、やはり、心打たれる自分がいた。文句を言おうと思って読み返したのではあるが、やはり、感動してしまった。ただ、一点、その解釈に工夫を施してみたくはなった。多くの人は、この詩を精神的な元気づけ・勇気づけと捉えているし、私もそう思ってきたけれど、本当はそれだけに閉じ込められるものではない。もっと、現場・現実に即した実践的・技術的な要素も含んでいる。私はそう解釈してみたい。特に「霊感」の部分である。

 

君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。

人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。

 

「君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある」、つまり、ひとの心と心は見えないところでつながっている。互いに共振する。「人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける」、自身の感情は、他者や記憶、世界からの「呼びかけ」に答える形で起こる。その「呼びかけ」を感じることができるかどうかは、自身の心の状態にかかっている。瑞々しい心(ウルマンの表現では「理想」)を失うとき、その「呼びかけ」は聞こえなくなってしまう・・・

つまり、自分の心が理想を抱き、瑞々しい状態を保っていれば、他者(他人・記憶・世界)との触れ合いで「美・希望・よろこび・勇気・パワー」を受け取ることが出来る。

自分自身の心が理想を抱いていれば・・・、

善き隣人との触れ合いが無限の可能性を引き出してくれる・・・

なんだか中計合宿の空気感と重なってきた。箱根の3日目の午前中、合宿の空気が最高潮に達したあの空間を思い出した。「自分自身の心が理想を抱いていれば・・・」これは、「理想=仮説」じゃないのか?「自分自身の心が『仮説』を抱いていれば・・・」・・・。

 

「鉄の檻」の中で「実存(唯一無二感)」を感じる方法

『青春』はウルマン80歳の時の詩集に収められたものらしい。この詩集は1920年の出版だそうだ。地はアメリカ。なんと、マックス・ウェーバーが死んだ年である。時代が頭の中で重なった。これも、「鉄の檻」への対抗として書かれたと思って間違いはない。ウルマンがウェーバーを意識していたかどうかは別として、感性豊かな詩人なら時代の構造的困難を肌で感じていただろう。南北戦争時代のアメリカ(1861年-1865年)にもすでに、「鉄の檻」からくる困難は生じていたということになる。偏差値教育を善しとするような重苦しい空気感。座席争いこそ人生。人間疎外はもはやデフォルト。それからすでに100年である。重苦しい空気のヴェールはさらに分厚さを増している。ちょっとやそっとじゃ、振り払えないモノなのかもしれない・・・

 

しかし、ここに処方箋が浮かび上がってきた。「自身の心が『仮説=理想』を抱いていれば、ひとは善き仲間から霊感を得ることが出来る」。その理想(=仮説)はどんどん膨らみ、「たくましい意思、ゆたかな想像力、燃える情熱」に育っていくのだろう。

「仮説」は次の「仮説」を生む。

「理想」は、次の「理想」を準備する。

「仮説とは勇気である」と箱根の合宿で感じたままに述べたのだけれど、ここでも同じような表現を使っていることに気付くし、それこそ、勇気をもらえる。「青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。」

 

「青春とは心の若さである」“あえて”技術論で捉える価値

ウルマンは「青春とは心の若さである」とはいうけれど、実はもっともっとテクニカルな、技術的な「コツ」のようなものも示していたんだなぁ、と改めて読み返して気が付く。なんだウルマンのいう「霊感」とは、箱根で経験した「仮説」じゃあないか。自由闊達に、仲間とともに広げる「仮説」。そう捉え返すことで、一気に、この詩は、自身の手元で躍動する。

その「仮説(=霊感)」が起点になり、自身の心の元気は成長する。「驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜」も、この「仮説=霊感」から生まれるのである。「科学的思考やモデル・データは道具である」のことば通り、「仮説」が牽引車となり、掘り進んでいく。その時の頼りになる相棒、それが「科学的アプローチ」なのであろう。

 

なんだかつながってしまった。強引ということはなさそうである。

箱根でつかんだ感触は、近代社会で実存を感じて生きる「コツ」なのであろう。他者とのソリダリテを育み、受け取る霊感(=仮説)を起点に知的探求を行う。その際にぶつかった壁の前では、科学的思考(データ、モデル)を駆使してひとつひとつ突破していく。

 

ウルマンとウェーバー、MBAと学問、そして、現場の仕事。

すべてが見事につながった。

 

すべて、近代という「鉄の檻」の中で、私たちが「実存」を感じて生きる方法論であった。

やはり青春とは、心の若さである。

ただし、他者から受け取る「霊感」を、事業の現場では「仮説」と呼ぶことにしよう。

 

仮説は霊感。

霊感が仮説。

納得である。