「科学」と「実存」_❿

「科学」と「実存」_❿

社会主義革命では人間の解放はなされなかった

近代社会とは「鉄の檻」であるとは、マックスウェーバーがその主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論証したことである。1920年のそのモデルは今も有効である。要は、私たち近代人は、「資本の論理(=資本の増殖運動)」に経営者も従業員も従わざるを得ないということである。主体は私たち人間のようであってそうではない。資本がこの社会の主役である。私たち人間は、その資本の増殖活動に巻き込まれざるを得ない。マルクスはそれを人間疎外論・史的唯物論の概念で解き明かしていった。そして、社会主義革命こそが、人間を解放すると考えた。その思想はその後、変遷を重ね、レーニン主義や、スターリン主義に変質する。世界中が社会主義革命の熱に浮かされることになった。そして、20世紀の終わり、ソ連の崩壊で一応の幕を閉じた。

資本の運動法則を解き明かしたマルクス経済学は今だ有効である。しかし、それは単に社会の法則を現わしたものであって、人間の実存とは本来関係ない。人間の実存を、この資本制生産システムの中にあって実現するには、それとは全く関係ない「主体としての人間」の理論が必要である。内山節はそう考えた。

 

内山節「つくる」の哲学_『労働過程論ノート』超読解

哲学者の内山節は、マルクスの理論は、資本の力学は解明したかもしれないが、働くものとしての人間を解放する理論には届かないと『労働過程論ノート』のなかで論証した。人間が実存を感じながら働くには、他に理論的バックボーンが必要である。彼は、生涯をかけて「資本主義社会の中で働く人間の実存」を求め続けている。

内山節の昨今の強調点であるように見える、里山の復活や、環境・医療・教育、そして、農村や山・川までも公共財(コモンズ)として扱うことにわたしは反対ではない。しかし、私は、内山節の問題意識の原点をこそ見つめたいと思う。問題意識が同じでも、置かれた状況によってその解決策は異なるはずである。人間の在りようは多様である。私は、私の存在形式の中に内山の哲学を位置付けてみたい。

私は、現役の経営者として内山の哲学を読んでいる。端的にそれは、長期の戦略と中期の戦略の相違に現れる。長期と中期で、打ち手は同じではない。経営者としてのわたしには、手持ちの武器を最大限活用して、「今」をも捨てずに、あるべき未来につなげる責任がある。ゆえに、私は、内山節の『労働過程論ノート』を、この会社の現実に位置付けた。

 

「つくる」とは何か_何を「つくる」のか

内山節の主張はシンプルである。人間疎外を発生させる資本の運動の中で座席争いに邁進するのはたいがいにして、人間は「つくる」活動を取り戻すべき、ということである。その象徴が昔の日本の農村である。農業は、「農村という世界」と一体である。水や土地を管理する過程でどうしても地域の人々との協働が発生する。それが、日本の共同体を根底で支えてきたメカニズムである、と。そうした、農村的関係性は、都市を拠点とする今のカイシャというものの中で果たして実現可能なのだろうか。

私は、内山節の「つくる」を、21世紀のカイシャの中にも応用できるのではないか、と思う。そう解釈を拡大して、働く者の「実存」をこそ現象させたいと願う。それは、私自身、会社経営において「実存」を感じて生きている、そう思ってきたからこそでもある。資本制生産システムにおいては、何も従業員という立場の人間だけが疎外されるわけではない。資本家も同様、資本運動による疎外の対象である。それでもしかし、私は「実存」を感じながら仕事にあたってきたように思う。それはどうして可能だったのか?創業経営者なら好き勝手出来たから、単にそれだけなのか。でも、ヒントにはなるかもしれない。そんな自分自身の内面史をも参照しながら、近々の合宿における社員たちの様子を思い起こしてみたい。資本の論理という「鉄の檻」の内側に居ながらにして、主体(いわゆる存在論における実存のありよう)を放棄しない、21世紀のカイシャのかたちを考えてみたい。

 

カイシャを「手作り」するということ

人間が実存を感じながら働くには、「つくる」ということが必要である、内山節の最大の主張である。でも、資本の論理の中における労働者には、この「つくる」がなく、「つくらされている」という側面のみがある、という。従業員は、自分の未来を「つくっている」という感覚がそもそもない。資本の論理に日々「つくらされている」。

しかし、である。近々の中期経営計画合宿に参加した社員が口々に言っていたのは、「自分で会社を手作りしている感覚が得られて元気が出た」というものだった。合宿の内容は決して簡単ではなかった。変動損益計算書を全社員が読み解きながら、未来を描くための戦略モデルを抽出していく。私どもの会社では3つの事業が走っているため、その3つとも分析の対象とする忙しさである。それでも社員たちは目を輝かせっぱなしだった。正直、体力的にも、精神的にも、きつかったと思う。しかし、誰一人、脱落するものはいなかった。みな自分のことばでしゃべりたくて仕方がない、という感じだった。毎回の打ち上げの食事会は、時間制限をはるかに超えて一人一人が感想を自分のことばで語ってくれた。哲学書を読んで「実存」という言葉を理解しなくても、「実存」とは何なのかがはっきり理解できた。その時、社員たちは「つくらされていた」わけではない。確かに会社を自分の手で「つくっていた」のではないか。

創業から20年、初めて感じる感触だった。

 

合宿で「つくった」もの

合宿では何を「つくった」のだろうか。その中心にあったのは「科学的思考」を原理とする「論理と数字」である。みな、初めから数字が得意だったわけではない。最初、苦手意識を口にするものもいた。しかし、合宿が進むにつれて、そんな言葉も次第に消えていく。普段なら、敬遠していたかもしれない、MBAの授業で教えるようなフレームワークなども皆、「わかりたい」一心で食らいついていた。頑張ったチームメイトとは、最後、肩を抱き合って涙していた。私ももらい泣きした。

「つくった」ものは「未来」だったのではないか。会社の未来ではなく、自分たち自身の「未来」だったのではないだろうか。今回の合宿では人事制度や資本政策は話題にできなかったが、それも次回以降の合宿で取り上げたいと思っている。そうすれば、すべてはつながってくるはずである。資本制生産システムという「鉄の檻」にあっても、自分自身の輝ける未来は「つくれる」のだと。意思を持って上り坂を上る覚悟さえすれば、「鉄の檻」の中でも人間は「実存」を感じて生きることが出来る。夢のない人がいくと思われている「カイシャ」という場所でも、甲子園出場を目指す高校球児のような晴れやかな感情を抱くことが出来る。それが証明されたのではないか。私はそう感じたのである。

 

「実存」とは、「わたし」に唯一無二の存在を感じること

社員たちの合宿中の発言でもう一つ、気が付いたことがある。社員の誰かが一日の振り返りの場面で言った一言である。「これまで感じたことがなかった当事者意識を会社に対して感じました」と。私はそれを聞きながら、これも人間の「実存」の一側面なのではないかと思った。実存主義哲学の「実存」。ニーチェが言う「実存」の範囲の中にある、そう思ったのである。その社員は、その時、ハタラクという場面において「わたし(その社員自身のこと)」という存在に強い「唯一無二感」を感じたのではないか。なくてはならない存在として感じられたのではないか、そう思った。それは、合宿前、意図したことではなかった。何かを懸命に「つくった」結果、訪れた恍惚である。求めて掴んだものではなく、懸命な仕事の後に味わえる「うまい酒」のようなものであった。きつい練習の終わりに訪れる部員との連帯感のようなものであった。

 

私たちは、戦後日本社会から消え去ったといわれているソリダリテの種を生んだのかもしれない。戦後のアノミー社会が失った権威や規範意識を取り戻せたのかもしれない。組織からは自然と、「こうしなければだめだよね」という戒律意識も発生していたのである。私自身が押され気味だった。

 

「科学」的思考という道具を目の前の仕事に徹底的に使っていくと、「実存」という名の光りが現われるのだろうか。「科学的思考」と「実存」、つまり、目的合理と価値合理は、論理的に直行するのではなかったか。それなのに、二つはいとも簡単に接続された。目的合理の徹底的な追及が、価値合理を見事に現象させた。「生き残る」は「生きる」と地続きなのか。それとも「原因」・「結果」の関係か?

 

人間の知能は計り知れない。世界は複雑で巨大だ。論理的に「科学」と「実存」を仕分けしても、そんなもの現実には無意味なのかもしれない。やはり論理はただの道具であるのだろう。人間の能力や世界はそれを、はるかに超えた存在なのだろう。

 

マルクスが追い求め、その後、世界中が探し求めていた「資本主義という鉄の檻の中における実存」に私たちは触れることが出来たのだろうか。「科学」と「実存」の関係はどうなっているのだろうか。論理的な直行も、たかだか論理の枠内での話だったのだろうか。

 

やはり、「実存」は「科学」的に分析する対象ではない、ということか。わたしたち主体の「実存」は、仕事の後の「うまい酒」のように単に感じるものでしかないものなのかもしれない。

 

みなさんはどう感じるだろうか。