全体を把握し続けることの価値(1)

全体を把握し続けることの価値(1)

経営トップ_その参謀役の作法

現場の社員ではない、経営トップとそれを支える参謀役(経営企画室や社長室などトップを補佐する役割)の頭の使い方、その作法についての話である。特に「参謀役」を意識して書きたい。ミドルマネジャや担当部長など、ある部分的な機能・役割について担当する人は、今回は対象ではない。

どちらが重要、というような話をしたいのではない。日本では、全体を把握し続けるゼネラリストの存在価値が、機能に特化するスペシャリストの存在価値ほどには理解されていないので、特に「参謀役」の話を強調したいのである。また、その組織の拡大フェーズによってもそのニーズは異なる。100億を狙う会社に参謀は必要ない。社長一人で事足りる。しかし、100億の会社が1000億を狙うとき、もう社長の手には負えない。必ずどこかにほころびが出る。一人の頭の中だけで処理するには世界が広がりすぎたのである。

一言で言うとそれは「全体を全体のまま把握し続ける責任」ということになろう。「今、何をすべきなのか、それはなぜか」と言い換えてもいい。近代社会という巨大で複雑、しかも、変化してやまない世界にあって、常に組織の構成メンバーが意思を持ってことにあたるための仕事である。全員の生産性に関わる価値ある仕事である。これがなければメンバーは、実は一歩たりとも動けないのだが・・・、世間にはその仕事の存在すらわかってもらえないことが多い。「経営者は経営をしなければならない」。その意味は、実は、近代社会というものの建てつけがわからなければわからない(「まとめ」で触れるがちょっとだけ_日本は今だ近代ではない。つまり人々に「作為=意思」が乏しい。ゆえにエネルギッシュなトップによるワンマン経営が業績を上げる例が多いのである。しかし、これでは、お金は廻っても社会はいずれ干上がってしまう)

 

記憶に残りやすくするために、10の作法にまとめてみた。経営理念の策定や中期経営計画の策定、ビジョンを示すこと、また、商品開発やシステム開発の重要性など、経営の教科書に書かれているようなわかりやすいことは書かなかった。それらが必要ないということではない。それらを適切に運用し意思決定していくうえで必要な、もっと深く、本質的な「モノの見かた・考え方」を書こうと思う。

 

すなわち

1.早期の認知(取り巻くメカニズムの)

2.状況の意味付け(議論の座標を定めること)

3.大きな意思決定(座標の中の位置・方向を定めること)

4.すべきこと・すべきでないことの決定

5.組織に潜む矛盾の調整(組織マトリクス問題の調整)

6.解釈枠組みの提供(それは何問題なのか)

7.組織学習支援

8.説明責任

9.本人の学習

10.エネルギー源の供給

 

10項目である。1~3まで、4~6まで、7~10までの大きく3つに分けて考える。以下、詳細に見ていきたい。

 

1. 早期の認知(取り巻くメカニズムの)

近代社会はメカニズムで動く。近代資本市場は特に、人間疎外の自動運転システムである。もちろんこれは「モデル」なので、実際は人間の恣意が混入する。日本の場合はその割合が他国より大きい。しかし、新興市場(私たちが携わる消費財EC市場)の場合は、人間の恣意性はほとんど入らない。規制なき、人間疎外のメカニズムである。

ゆえに、まず第一に、その動きを正確に把握することが求められる。現実的には1~3を繰り返し、認識を鮮明にしていく。1~3は依存関係にあるといっていい。すなわち、【「1認知」 ⇄ 「2意味付け」 ⇄ 「3位置づけ」】である。これでようやく議論が出来る。議論の土台が出来上がる。

 

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(注記)しかし、である。はなから躓くのであるが、日本の場合は実はこれだけではうまくいかない。戦後日本には、国民全体にひとつの大きな「文脈・物語り」が流れていないのである。西洋民主主義国家では当たり前の「資本主義・民主主義の大前提=一神教的宗教観」が共有されていない。「契約が絶対である・ことばは絶対である」という観念が日本人にはない。しかも、中国やインドなど一神教ではない地域にあるもの、すなわち、形式論理的な思考形式も日本にだけは存在しない。日本は世界で唯一の「空(くう)」の論理が流れる地域である。1~3は、実は2階部分であって、日本にはそれを支える1階部分がない。でもこれは、経営トップというよりも「日本の会社の創業者」の仕事であろう。勤めて社会的な仕事である。近代マネジメントの範疇ではない。ゆえに今回のこの文章の中ではあまり触れられない。

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では、具体体にどうやって「認知」に至るのか。それは、全体の計画を自らの手で作ることしかないだろう。経営計画を立案し・実行し・検証する、そのサイクルを自らの手で行うしか方法はない。作られた計画の説明をいくら受けてもダメである。

そして、ここが最も難しいところなのだが、鉛筆ナメナメで数字を置いていくような計画作りでもダメ、認知をしようとただ力んでもまたダメなのである。数字はあくまで現場の活動の結果。なので、活動分析を伴うものでなければ「認知」には無意味である。「風が吹けば桶屋が儲かる」的に、一つ一つ現場の具体的な活動をイメージしながら組み上げる。「この活動の後には何が来るのか」「どんな活動の連鎖を組むべきか」「その時、顧客は喜ぶのか」「これは本当に実現可能なのだろうか」「結局、活動の結果どうなればいいのか」「何を我々は望んでいるのか」そんな問いを投げかけながら、「数字」と「活動」を行ったり来たりする。(創業社長はこれを日常の習慣としている)

 

2. 状況の意味付け(議論の座標を定めること)

数字と活動の、行ったり来たりの思考の中で、時に、より大きな枠組みに自分自身をズームアウトする必要もある。具体的には、長期計画を考えたりする中で気づきを得る。

主に会社の外のことを考えるのが「2.状況の意味付け」にあたる。

すなわち、外部環境の論理的帰結を考えること。21世紀のこの先の数十年、技術は、社会は、人々の意識は、どう変化していくのか。単なる対象市場の分析ではない。社会そのものの変化を考える(対象市場の分析は機能責任者の役割である)。

そんなことわかるのか?といぶかる向きもあるかもしれない。その通りなのだが、それでも、未来を言語化することには大きな意味がある。もし、その通りにならなかったら「それ」を修正すればいいだけだからである。議論がなければ修正すらできない。また、一から「認知・意味付け・位置づけ」をやる羽目になる。変化の後では手遅れである。対策が後手に回ってしまうのである。

 

3. 大きな意思決定(座標の中の位置と方向を定める)

ズームアウトのもう一方、会社の中については、自社の使命に帰ることである。そもそも私たちはなんで業績を上げる必要があるのか、である。ミッションやクレドの議論とオーバーラップしてくる議論である。利益は何のために稼ぐのか。稼いだお金を何に再投資するのか、である。「3.大きな意思決定(座標の中の意思と方向を定める)」である。

先にも少し触れたが、日本の会社の場合、ここがもっとも難しいかもしれない。「なんでお金を稼ぐ必要があるのか?」という宗教的な難題にぶつかってしまう。日本人はそもそも「お金はそこそこでいい」そう思っている。お金を稼ぐより、周りから浮くことの方が恐ろしい。空気を破ること、すなわち、ケガレなのである。それが日本教。近代社会がそもそも馴染みにくいエートスである。だから、会社の使命といったとき、1~3以前的な1階部分の問題に触れざるを得ない。だからそこは組織の作り方、持ち時間(猶予の時間)の大小に関わるだろう。これをスキップする会社(わからない奴は切り捨てるという判断)があっても致し方ない。

 

(次回は4~6)