自信の育て方

上司の課題を解決しようとすること

もちろん会社における自信の育て方である。(100人規模の中堅企業をイメージしていることをお断りしておく。しかし、日本では99%が20人以下の会社である。)この場合、2つのパターンが考えられる。一般社員の場合とミドルマネジャの場合である。一般社員の場合はミドルマネジャが上司になる。ミドルマネジャの場合はトップマネジメントが上司になる。難易度は確かに違う。ミドルマネジャの方が難しいだろう。しかし、その基本的な形は同じである。上司の課題を解決すること。それは原理的に同じである。

よくある間違いは、隣の部門の同じ目線の同僚の課題を解決しようとすることである。これはよくある間違いである。これでは不満ばかりが溜まり、自信が生まれることはない。これは二つの理由でまずいのである。

まず、これは上司の顔をつぶす行為である。上司は上司で、その隣の部門の長とコミュニケーションを交わしているはずである。より高いトップマネジメントに指示されている課題解決を考えている。それを無視して現場同士が無断で相談を始めてしまうと上司は闇討ちにあった気がするだろう。それが善意だったとしても同じである。自分の知らないところでなになやら話が進んでいる・・・、これは感情的に許せない。なんでわざわざ現場同士で話し合うんだ?と直感する。面子丸つぶれである。

二つ目は、(一つ目の理由でもあるのだが)事業とはひとつの大きな仮説検証のメカニズムだという点である。細かなことはいろいろあるが、それでも大きな一つの仮説検証ループを形作っていることには変わりない。それを崩してしまう行為なのである。事業目的は一朝一夕では達成できない。何年にもわたる地道な行為の積み重ねが必須である。見えないかも知れないが、5年前の意思決定が業績に影響を及ぼしている、なんてこともザラにあるのである。だから事業体はこの大きな仮説検証のループを一番大事にする。学習する組織のシングル・ループと言われるものである。

個々の行為は一見バラバラに見えるかもしれないが、この仮説検証のループで一連の意味体系を構成している。これを崩す行為は、上司からすると味方に後ろから刺されるような心持がしてしまうのである。

 

ここでもメカニズム思考がカギを握る

それそのものが「いいアイディア」に感じられたとしても、今現在の「大きな仮説検証ループ」に組み込んでいなければ、それはすぐには取り入れることはかなわない。次の回転を待つしかない。つまり、実行して結果が見えてきて、仮説を再構成する際に取り入れるかどうかを検討するのである。部下は、このタイミングを見定めなければならない。

上司は部下の「見えなさ」にいつも悩まされていることが多いから、自分からこの大きなループを崩すようなことを誘いかけてくることもあるかもしれない。上司が部下におもねる瞬間である。しかし、それは本意ではないことが多い。そんな時、優秀な部下ならば、それを察して「すみません、慌てさせてしまって。それは時期尚早かもしれないですね。次回の仮説再構築の際に検討してください。」というだろう。これが言えたら上司は涙を流して喜ぶだろう。私も経験があるが、本当にありがたい瞬間である。

 

事業はメカニズムで動いているのである。しかも、そのメカニズムは仮説検証という拡大再生産を狙った動的なモノであり、市場という無我の生き物と接続している。市場という、巨大で、人間には制御できない渦のうねりに何とか掉さそうとするのが事業というものの宿命なのである。会社の中の活動は、この渦との関係制御の営みである。決して、目に見える社内だけの人間関係では決まらない。良かれと思ってやった行為が、上司に認められないことがあるのなら、この市場メカニズムと事業の仮説検証ループの接続を考えたうえで発案しているかを点検するべきである。

 

資本制生産システムはどの会社でも同じである

ミドルマネジャは当然、トップマネジメントの仮説検証ループを実現しようと分業している。分業された機能は、バリューチェーンのように上流から下流へつながっていることが多い。つまり商品を開発して、仕入れ・在庫して、販売・アフターサービスに連なるあれである。途中もちろん、システム開発や管理・人事といった補助機能も存在する。これは財務諸表の主活動と従活動、すなわち、限界利益の前に計上されている主活動と、販管費として計上されている従活動としてすでに整理され表現されていることが多い。上司とのコミュニケーションの土台は、この財務諸表の構造が提供してくれる。

財務に苦手意識を持つ向きも多いだろう。私たちの会社でも非常に多い。その場合の対処方法だが、少なくとも、上司にそうした態度を示すことである。わからないなりに、主活動(原価と変動費)・従活動(販管費)という活動の特定の仕方をイメージしてコミュニケーションに臨もう。それだけで上司の態度は優しくなるのではないか。

それは、上司はいつも業績のプレッシャーに晒されているからに他ならない。トップマネジメントのプレッシャーをミドルマネジャは直接感じ取っているはずである。_感じていなければそれはマネジャとして論外でしかない。これはまた別の問題_ 資本制生産システムが問答無用でぶん回る近代社会では、それは一時の休息も許してはくれない。それは原理的なものである。もちろん日夜、余裕を作る努力は重ねているはずではあるが、それでも市場は変化してやまない。完全休養など望むべくもない。これが事業と言うものの本質である。それは大きいとか小さいとか、会社の規模も業種業態も超越している。すべての会社が抱える問題である(政府の外郭団体はこのプレッシャーを解除する方法を編み出した。しかし、それが社会を蝕んでいるのであるが。)

 

出来ない理由を言う理由

システム思考は高度である。ゆえに、そう簡単には全体像が理解できない。しかし、それは上司も同じである。逆に、だからこそ助けてほしいのである。この社会は複雑に編み込まれた織物のようなものである。しかも、それは年々複雑さを増している。グローバリゼーションとIT革命の時代、その編み物は一気に絡み合いを強くし、巨大化した。もはやだれにも全体像はつかめないだろう。唯一わかっていることは、それが強くつながっているということ。そして、世界中がひとつになりつつあるということだけである。その正確なメカニズムを読み解いた人はいない。

その事実を受け入れることである。そうすれば「正解がわからないこと」は、自分を卑下する理由にはならない。出来ない理由を口走り、自分を守ろうと反射してしまう深層心理の奥深くには、偏差値教育の弊害がある。それは端的に、「どこかにわかっている人がいる」というイメージである。頭のいい人が自分以外にいるという鮮明なる思い込みである。しかし、それは冷戦崩壊とともに崩れ去ったのである。もう30年も前の時代のことである。

今の時代、正解はだれにもわからない。世界を一気に刷新するようなイノベーションも原理的には起こりようがない。アメリカの大統領の巨大な権限をもってしても、世界は一気には変えられない。オバマ大統領の前と後で、あなたの生活は劇的に変わったか?それを考えてみるべきである。トランプ大統領よりオバマ大統領の方が優れていたのは誰もが認めることだろうが、二人の差異はあなたの生活にはほとんど影響しないだろう。戦争の惨禍が自分に降りかかってこない限り、今日の生活はそのまま明日の生活である。

 

感情は他者との関係から現象するものだから

世界は複雑に編み込まれた織物のようなものである。それは自分の感情をも絡ませる目に見えないつながりである。アメリカ大統領が誰になろうが何にも変わらない、と言える一方で、遠く離れた世界の反対側の出来事が、私自身の心を揺さぶることもまた現実である。その違いは、心に刺さる「ことば」かどうかということである。

もちろんその織物は、いつも近くにいる上司ともつながっている。感情が揺さぶられるのが嫌だからといって、自分を傍観者の位置に置こうとしても無駄である。それそのものの企てが他者に跳ね返って自分の感情に作用している。

だから、少なくとも上司を助けようと「思うこと」である。人間の内面など他者にはわからない、と考える向きもあるがそんなことはまやかしである。人間の感情と感情は確かにつながっている。インターネットが世界中に張り巡らされたことで世界の反対側の人とのつながりばかりが強調される今日この頃ではあるが、基本はやはり隣の上司であろう。インターネットがあろうがなかろうが、それは常にすでにつながってしまっている。良くも悪くも、影響を与え合う関係なのである。

 

「出来ない理由」を「思う」こと、を戒めよう。それも組織内を駆け巡る。そして、誰かのモチベーションを簒奪する。逆に、上司の課題を、システム思考をもって解決しようと「思って」みよう。それは上司に必ず伝わる。人間はそうした感じる能力をもっているのである。IT革命とグローバリゼーションは、意図せずそのことを際立たせた。隣人への信頼が世界への信頼を醸成する時代に入ったのである。

そして、他者を適切に助けることが、自信を育てることにつながっていることをも自覚させてくれる時代に入ったのである。それが自信の育て方である。

まずは正しく「思う」こと。

「思うこと」そのものは、すでに織物の一部である。

そうして積み重ねられた信頼の重なりが、あなたの自信を少しずつ育てるのである。