孤独のススメ(3)本の読み方を考える

孤独のススメ(3)本の読み方を考える

本は無理に読み切ろうとしてはいけない

せっかく買ったんだから、もったいないから、本を読むことは無条件に優れたことだから・・・。どんな理由があるにせよ、本を「端から端まで読まなければいけない」と思うことはやめるべきである。面白くて最後まで読んでしまった、というのなら仕方ない。しかし、義務感に駆られるように無理して最後まで読むのは無駄であるばかりか害がある。

もし「面白くない」と感じるのなら、あなたはそもそもその本を「読めて」いない。だから文字を追いかけるよりむしろ「なぜ面白くないのか?」を考えるべきである。一度、本を伏せて、問いを自分にぶつけてみる。そもそもこの本の言わんとすることは何なのか。自分の世界観のどこを密画化しようとしているのか。今の自分の知の探索に有効なのかどうか。

私たちは、本を読むことは無条件にいいことだと思わされてきた。全く読まないのは論外だが、読めばいいというものではない。読めば読むほど、内面が空っぽになる人だって多いのである。大事なのは本を読む目的の自覚である。「この本を読んだと人に言えたらカッコいいから」などという理由で読むのなら、それは百害あって一理なし、そう断言できる。私の上の世代はそういう人が大学紛争を主導していた。共産主義革命と言いつつ、誰もマルクスの言いたいことなど知らなかったのである。「疎外」概念が説明できる人が何人いることか。

騙されてはいけない。たくさん読むのが目的ではない。時に、1行しか進まなかったとしても、その1行の一つの「ことば」を何時間も何時間も、咀嚼のために自身の頭を使って考えるほうがはるかに実り豊かである。

 

複数の分野の本をスパイラルアップしながら読む

必然的に、複数の分野の本を並行して読むほうが有効ということになる。読みながらも、文字に支配されることなく、主体性を保っていれば「たしか同じような概念があの本にも出ていたなぁ」と言うことに気が付く。「ん?もしかしてあの哲学者が言いたかったのはこういうことなのか?」「あの人が言っていた概念に近い気がするけどどんなことばを使っていたっけ?」

2000年前の人だろうと、現代の人だろうと、西洋人だろうと、東洋人だろうと、人間が真理を探究しているのである。どこかに必ず共通点がある。ぶつかっている問題は、アナロジカルには同じことも多いのである。より深い問題は、ほとんど一般的な問題である。それは社会学でも宗教でも思想史でも経済学でもビジネスでも同じである。「イノベーション」というビジネス用語はもともとベルグソンという哲学者に強く影響を受けた経済学者シュンペーターの用語である。そういうことがわかればビジネスの理解も一気に進むのである。

真ん中に自分自身の課題があることを忘れなければ、複数の本がスパイラルアップされるように理解されるはず。10冊程度の本をそばに置き、横串を指すように読めるはず。そのほうが実は、知の探索の効果は大きい。

 

世界観を自分の中に作り上げるのが目的である

本を読む目的は、知の世界像を広げること。そして、世界像を密画化していくことである。そして、はじめ「他者のことば」でしかなかったものを、自身の細胞に刻み込み血液に流すことである。あたかも生まれた時から知っていたかのように自由自在に使えるようにするためである。多くのことばを自分のものにできればそれだけ人生は豊かに、そして、自由になる。

 

主役は本ではない、自身の内面である

どんな優れたことばであっても真理をもれなくダブりなく言い当てることはできない。いくら数多くのことばを並べても、依然、真理のほうがデカいのである。ことばは一つの側面に光を当てるのみである。ひとつのモノの見方を表現するのみである。真理は常に複数面体であるし超次元である。

だからこそ自身の内面を正直に感じなければならない。ことば以上のもの、ことばを超えたものが、常に「そこ」にあることを忘れてはいけない。人間の論理力にも認知力にも、限界があるのである。ことばは決して真理に届かない。

それでもわれわれは、ことばで真理に接近するしかすべがない。ことばは時に「数字」や「音」や「匂い」だったりすることもあるが、多くの場合それは言語である。やはりことばが知の探索の最大の武器である。

 

文字をなぞっているとき、自分の頭は使っていない

本に主導権を渡してはいけないのである。どんな古典でも、主導権はこちら側になければならない。自分の頭で考えることを忘れ、文字を追いかけだしたら要注意である。それを続けていると、自身の内面はがらんどうになってしまう。自分の好き嫌いがわからなくなったら要注意である。他者を主人にしてしまってはいけない。それは現代社会の典型的な病である。

常に自分のことばで言い直すように心がけなければならない。文脈を自分の頭で創造しなければならない。淀みない文章で書き直してみることである。「ソウヤク」するのである。

 

孤独を楽しめるか?

孤独は恥ずかしいことでも、寂しいことでもない。しかし、孤独を楽しむコツを知らなければ、すぐにまた他者にペースを取られてしまう。だから本の読み方は重要なのである。瞑想するにしても、内省するにしても、ある程度のことばのストックが記憶の中になければ虚しいだけ。しかし、ことばは常に他者のもの。他者のことばで内省することは困難である。

だから、他者のことばとの出会いである読書のコツを考えたかった。文字ヅラを追いかけるだけになってしまった経験は誰にでもあるだろう。それが「他者のことば」としての「ことば」に振り回されている瞬間である。だから、一度、立ち止まる。立ち止まって本を伏せ、天井を見上げるように「ことば」を噛みしめる。自身の細胞に刻み込む。

知の探索の目的、知の世界地図、そもそもなんで本を読んでいるのかを考えるのである。

知の探索にとって、盲目的に端から端まで読むのは無意味でしかないのである。

それが孤独を楽しむ、ひとつのコツである。