孤独のススメ(1)強さを考える

経営者でいようとするから強く現象できるようになった

よく、「社長だから出来るんですよね」「社長だから強いんですよね」「強い人だから社長をやっているんですよね」といったことを言われる。創業して20年、何度こうしたことを言われてきたか。でも、本当にそうなのだろうか。

私自身、自分が強いと思ったことはない。むしろ、うだうだ悩み、行動することをためらう弱い自分にいつも嫌気がさしている。創業して最初の2~3年は「自分は経営者に向いていないのではないか」と悩むことも多かったと記憶している。

でも、いつしか、悩むことと考えることは違うんだな、ということに気が付いた。悩んでいると自分が思っているときは、実は、なんとか現実から逃れられないかと逃げ道を一生懸命探しているだけだということに気が付いた。弱い自分を周囲にアピールすることでダメな結果が出ることに保険をかけていることに気が付いた。なんだ、そんなこと無意味じゃん、そう気が付いた。

「いい会社がつくりたい」その思いこそが重要なんだ、いや、その思いだけが重要なんだということに気がついた。そして、その思いを強くしているとき、自分が強い人として現象しているということに気が付いた。周りを忘れるほどに集中しているとき、周囲は私を強い人だと認識するらしいことも。

私は子供の頃、プラモデルを最後まで完成させたことがない。10歳の頃、大きな船のプラモデルを懇願して母に買ってもらった時も、結局、未完成のまま捨ててしまった。母は何にも言わなかったが「ほれ見たことか」と顔に書いてあったのを記憶している。それなりに深く傷ついたが、そんな私が会社の経営をもう20年も続けている。

だから思う。人は強い人として生まれてくるわけじゃない。なにかのメカニズムが作用して、ある時、強い人として現象してしまうんだ、と。そして、その現象が起きるとき、その人の内面は充実感で満たされる。不安が消え去るわけではないが、そのプレッシャーさえもなくてはならない肥やしになってしまう。人はもともと強いのではない。強く現象するように、モノの見方・考え方を作りこんできただけなのである。

 

一番大事なのは「ことば」を味わう時間(結んでひらいて)

そんな私が一番大事にしている時間がある。それが「孤独になる時間」である。特に、朝のまだ薄暗いうちに起きることが出来た日は上機嫌が私を満たす。寝たあとなので、身体も疲れが取れているのか、自然と頭が回りだす。昨日考えていたことに突然答えが下りてくるのもこの時間である。

そうしてすぐに紙とペンをとる。忘れないうちに、消えてしまわないうちに、ひらめいたことを書き殴る。そして、起承転結に整理して、ひとつのまとまった文脈に整える。淀みない文章を書く準備である。

過去の記憶がよみがえり、座りの悪いことばにそっと席が与えられる、そんな感覚である。カチャっと頭の中で音がする。うまく説明できなかった時の絡み合ったことばがこのとき整理されるのだ。そうか、こんな風に考えればよかったのだ。こういう順序で説明すればよかったのだ。次の機会が待ち遠しくなる。文章が身体の中から溢れ出す瞬間だ。

私は、本を読むことよりも、こうして記憶の中の「ことば」を味わう時間を大事にしている。本や動画で出会った「いい表現」を、ひとから聞いたことばや表現とつなぎ合わせたり、順序を入れ替えてみたり。結んで、ひらいて、好きなように創作する。そうした時間である。

「ことば」は、味わうことで自分のものになるらしい。しっくりと身体の中の細胞に沈殿するように、血液の中を自然と流れ出すように。皮膚の表面に付着していただけだったものが、細胞壁を突き抜けて体液と同化してしまような感覚であろうか。それがなんとも心地よい。なにか、美味しくて栄養のある食べ物を消化したような、そんな感触に近い気がする。腹の下あたりに力が入ってきて、自分が強くなったような気になれる。

 

「人脈は財産」は大嘘だと思う

経営者は人脈が命だと思われている人が多い気がする。夜は毎日のように会食が入っていて、下手をするとランチや朝食まで仕事の話をしながら過ごしているイメージを持っている人がいるようだが、そんなことはない。それは、法人営業をビジネスモデルにしている駆け出しの社長さんに限る。もしくは、誰かに会っていないと不安になるイケてない社長さんである。それか、近代の鉄の檻に完全に毒されているかである。人脈(有名な方の名刺)が業績に直結することなど滅多にない。いや全くない。少なくとも私には一度もない。

世界を股にかけ、いつも飛行機のファーストクラス(もしくはプライベートジェット)で、移動、移動の連続のイメージなのかもしれないが、それは幻想である。そういう日もあるにはあるだろうが、正直な社長さんなら、そんなの無意味だと知っている。そういうイメージを周囲に植え付けておけば、あれこれ詮索されなくて済むと思っている人は多いだろうが、それだけである。忙しいのはだいたい「フリ」であって、本当に毎日忙しいとしたらそれは社長失格でしかない。バタバタ、忙しい社長ほど会社は火の車である。

社長に忙しくしていてほしいと思っているのは、だいたい社員のほうである。部下は上司が忙しいとなぜか安心するものらしい。上司がバタバタしていれば、その時はなんにも言われなくて済むからなのだろうが、それを社長も忖度し、自分自身を忙しく見せようとするのだろう。

 

日本人には孤独になる時間がどうしても必要である

孤独は悪いこと、恥ずかしいこと、そう思っている日本人が多いのではないだろうか。メールやSNSが当たり前の時代ということも後押ししているのだろうが、ひとと繋がっていないと、一瞬たりとも安心できなくなっている人が多い気がする。そうしたことを奨励するようなテレビドラマや映画なんかもあるのかもしれない。学校時代の昔の友人を大事にすることが人間として大事だとでも思っているのか、虚しい会話で心の空虚を埋めてしまう。

しかし、それは決して友人を大事にすることではないだろう。むしろ、その人の大事な時間をも奪ってしまっていることに気が付かなきゃならない。時には、怒られてもいいから、メールに返事をしないことを決断すべきである。強制的に孤独になる時間を作る必要がある。

日本には明確な宗教がない。その代わり「世間」という名の信仰が心の中に居座っている。キリスト教徒やイスラム教徒などのように神との内なる対話がない分、日本人は他者を「神」にしてしまったのである。戦後のアノミーがこれを加速した。そして、21世紀に入り、グローバル化やIT革命がこれをさらに加速する。

しかし、それでは落ち着いて自分の人生を楽しむことは不可能である。自分の内面に自信が持てないで、人生を楽しむことはできない。自分自身以外、頼りにできるものはどこにもないのだということを、私たち日本人は、そろそろ気が付いてもいいころではないか。

それでなくても近代社会は、そのシステムが轟音と共にぶん回っているのである。近代の鉄の檻(マックスウェーバーのことば)は、この先も消え去ることは期待できない。私たちはこの鋼鉄と化した社会システムと死ぬまで付き合っていかなければならない運命なのである。

だからこそ、まず頼るべきは他者ではなく自分の内面である。そのための孤独な時間なのである。メールやSNSに邪魔されず、一人静かに内面と対話する孤独な時間。恥を感じるよりむしろ、誇りを感じるべきなのではないだろうか。

 

孤独のススメ

そうして初めて、時折、強い自分が現象するのではないだろうか。気が付くと周囲から、落ち着いてきたね、とか、強い人だねと言われることだろう。

私は日本人全員に、孤独になる時間を強制的にでも作るべきだと主張したい。そうしなければ、私たち日本人が幸せになることはない気がする。思想史や宗教を学んできて、そして、20年の創業経営者という時を与えられ、そう思うようになった。

私たち日本人は、バタバタすることを戒めなければならないのである。静かに、内向的に、過ごす時間をもっと大切にするべきなのである。特に朝のまだ静かな薄暗い時間、そうした貴重な体験を自分にプレゼントしてみてはどうか。就業時間のあわただしさが、朝の行きかう人々の喧騒が、また、違ったものとして感じられるのではないだろうか。