心の自由を手に入れるために、若いころからすべきこと
勉強する目的とは何だろうか
人は何のために生きているのだろう?何を求めて努力するのだろう?勉強は何のためにするのだろうか?日々、自分の頭を使ってする知の探索のその先に、何があるというのだろうか?“わかった!”という学習のその先には、どんな境地が待っているのだろう?苦行を強いる、社員教育の正当性はどこにあるのだろうか?人間が手にできる至福の境地とは果たして何なのだろうか?
『論語』にヒントを見る
日々、集中しているときには知る由もない。そんなこと想像すらできない。だからこそ、知の探索のその先に、先人たちが到達したであろう最高の境地が何なのか、それを知りたい。少なくとも日々、自分がそれに近づいているのだということを信じたい。そう思って、様々な古典を探索してきた。そして、2500年前の中国の古典に、そのヒントを見た気がした。それが『論語』、それの一節である。
七十而従心所欲、不踰矩(心の欲するところに従えど、矩のりを踰こえず)
心の欲するままに行動しても社会の規範・掟を外れるようなことはなくなった
心の欲するままに行動すること
「心の欲するままに行動すること」
若い時分は、これに憧れていたのではないのか。
しかし、尾崎豊の歌のようにそれは、「盗んだバイクで走りだす」ことにしかならなかった。社会の規範をはずれることでしか自由は手に入らないと思い込んでいた。でも、『論語』はいう。それでも「矩のりを超えず」と。そういう境地があるのだと。「矩のり」とは社会規範や掟のこと。「踰える」は、「超える」だ。この文章は、「為政いせい」編の中の以下の下りに登場する。
学十有五にして志し、
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳従う
そして、
七十にして心の欲するところに従えど矩のりを踰こえず
最も有名な一節なのだが、初めて読んだときは、理解が七十歳の「矩のりを踰こえず」の文章にまで至らなかった。三十や四十の「立つ」や「惑わず」とは何なのか、そればかりに心が奪われて、とても七十歳の自分のことなど考えられなかった。でも、いま49歳になり、50を意識するようになったからなのか、急に60歳や70歳の「孔子の心」が気になり始めた。そうして、初めて、深く考えたのだ。
人間は自由を手に入れるために勉強する
人間はきっと、自由を手に入れるために勉強するのだ。それがリベラル・アーツ(学問)の意味だ。若いころの苦しく縛られたような感情は今、確実に変節してきている気がする。49歳の私は、いま、ようやくそれを予感し始めている。生きているだけで苦しかった自分が、今は逆に、「考えている=しゃべっている=そして、それに従って行動している」だけで心躍る時がある。ずっと、仕事がしていたいと思う瞬間が増えた。
もちろんまだ、自分の理解が追い付かず、苦しい時もある。暗闇の中でもがくような瞬間も多い。社会の圧力に潰されそうに感じることもある。でも、気が付けば「自分なら必ず突破できるはずだ」と信じられるようになっている。“わかった!”という、心が躍りだす瞬間を、自ら生み出すことが私にはできる。その先には、心が解き放たれた自由があるのだと、そのためにこそ学ぶのだと、最近は、ことに実感することが増えた。
積み重ねてきた「学習」を整理する
私自身は、これまで何をしてきたのだろう?その「内面史・内省史」を整理してみたくなった。そして、すでに折り返し地点を過ぎた自分の人生には、どんなトキメキが残されているのか知りたくなった。
学十有五で志し
まず、自分が必死で取り組んだのは「自分の頭で理解する」という実にシンプルなことだった。今の日本の教育制度の中で育った私は、答えを暗記することが勉強だと思っていたから、これがなかなか難しかった。中途半端な進学校に通っており、しかも、野球ばかりして世間を知らなかったこともあったからなのか、創業するまでは「学ぶ・勉強する・集中する」ということがどういうことなのか、正直、わかってなかったと思う。でも、創業して試練に晒されて、必死で自分の中に「意思」を探す中で、「学を志す」ということがどういうことなのか、“わかった!”気がする。最初は、確かに苦しかった。こんな苦しい状態がずっと続くのか、と恐れおののいたのを覚えている。自分だけで決めて創業したものの、結構、辛いな、そう思ったものだ。本当に、飽きっぽい俺に続けられるのか?「お前は、プラモデルも最後まで作ったことがないんだぞ」そんな不安も頭をよぎった。でも、半年くらいで、そんな不安は消え去った。人間とは慣れる動物である。それを実感した。
三十にして立つ
私の場合はこれが創業にあたるのだと思う。しかし、その本質は、創業というカタチにあるのではない。そうではなく、「『自分』として生きるという決断をする」という自身の内面の変化にこそ、それはあると思う。創業を内面史的に振り返ると、それは見えてくる。
勤めていた時の私は甘えていた。まだ、ここではないどこかに、自分の居場所を探していた気がする。本当の自分が、探せば見つかるはず、そう思っていた。当然、集中力は高まらない。「今ココ」を避ける卑怯さは、自分自身の存在根拠に跳ね返る。理解力は低下し、難しい社会の仕組みが理解できない。というか関心が持てない。「望んでここにいるわけではない・・・、俺はまだ本気出してないだけ・・・、本当の自分がきっとどこかに待っているはず・・・」頭の中は、そうしたモラトリアム汁ジルで満たされたまま。仕方なしに、就業時間だけ仕事をやっているフリをする。だから日曜日の夜に、翌日の出勤を思い、ため息が出る。
そんなモラトリアム状態を、強制的に断ち切ってくれたのが私の場合、創業だった。創業して、「今ココ」を生きる「覚悟を決め、腹を固め、決断」し、「ここではないどこか」を「断念」した。今に生きる「勇気」を奮い立たせた。
こうした内面の変化を『論語』では、「立つ」と表現する。
四十にして惑わず
今、その時の社会のメカニズムから逃げずに、毎日、必死に自分の生を引き受けていると、次第に、社内外に具体的な関係者が増えてくる。他者から信頼され、任される仕事が増える。他者から頼りにされるようになる。「自分」という輪郭が、リアル社会の中で浮き上がってくるような感覚だ。仕事の難しさや、わからないときの辛さは変わらないが、「こうやって生きていくのだろうな」という納得感が育ってくる。理由はわからないが、そんな自分がなんか誇らしい。若い時の焦りや不安はもうない。「自分はどこまでいけるのだろう?」「内面の高みはどこまでの世界を見せてくれるのだろう?」そんな欲が沸き起こる。それは、今まで感じたことのない感情だ。ジュワっと内面が温まる。世界を知り尽くすレールに乗った感覚、これが「不惑ふわく」の四十なんだと思う。
五十にして天命を知る
「天命」とは何か?それは、「信念」と言い換えられると思う。
これまで、さんざん人間や、社会や、世界のことを考えてきた。先人たちが残した知の遺産もさんざん探索した。まだまだ、捉えられていないものも多いが、人類の知の体系の全体像は見えてきた気がする。すると、気が付くことがある。「この世界はある一定のメカニズム・リズムで動いていること」「そのリズムには自分の意識は基本的に入っていないこと」そして、「誰にも未来はわからない」ということだ。これは自分の生き方に理論的な正解・根拠はない、ということを意味する。そう、世界を知り尽くす「不惑ふわく」は、その中で生きる自分のポジションを定める「信念」を誘い出すのだ。世界は見えてきた。それでお前は何をするのだ、と。
自分は何が好きで、何を嫌悪するのか。どんな人と付き合い続けたくて、どんな人とはこの先、死ぬまで会わなくても後悔しないのか。逆に、今は会ったことがないけど、こんな人と関係を構築したい、自分はこう思われて死んでいきたい・・・そんな思いが湧き上がってくる。明確な意思を持つ準備が、ようやく整ったといっていいのだと思う。それには、どうしても「学を志す」「立つ」「不惑」の基礎工事が必要だった。
「信念」には明確な根拠がない。だから「いい人」は、信念を持つことに後ろめたさを感じる。ただの頭の固い上の世代を見ればなおさらだ。「信念」は、簡単に「先入観」にすり替えられている。学習したくない言い訳に利用される。怠惰な自分の正当化に使われる。
でもやはり、真の「信念」は存在するのだと思う。学習し、自分が変化し続けたとしても、それでも揺るがない自信のある「自分」という在り方はあるのだと思う。「自分」というホメオスタシスは必ず「在る」。そして、それが次の「耳従う」と「心の自由」を準備してくれる。
六十にして耳従う
七十にして心の欲する所に従えど、矩のりを超えず
松下幸之助は晩年、「自分以外、みな師」と言っていたそうだ。「耳従う」とはそういう意味だろう。昔、私は、そんな訳ないだろっ、そう思っていた。自分より勉強もしない人がどうして自分の先生になるのか。そんな傲慢な気持ちが先に立っていた。でも、最近、それが少しわかる気がしてきた。「学習」というメカニズムが自然なものとなり、「信念」形成の「心理・社会メカニズム」の輪郭がはっきりしてくれば、自身を取り巻く他者が、みな師ということもありうるな、そう思えてきたのだ。「学ぶ」「立つ」「不惑」を基礎として積み重なった、ゆるぎない「信念」がそんな自分を可能にしてくれるのだろう。失礼のないように聞き流すこともできるようになるに違いない。
こうして心は、次第に「自由」に近づく
今の私には、それ(完全なる心の自由)はまだよくわからない。しかし、『論語』の中で孔子が述べている「学を志す」「立つ」「不惑」「天命」は、実感として腹に感じることができるようになってきている。だとするならば、きっと、「耳従う」にも、「矩を超えず」にも、届くはずだ。そう思える。2500年前に先人が記してくれた「道しるべ」を足早に駆け抜けたい。早くさきが見たい。そんな焦る気持ちを抑えながら、今日も、淡々と集中力を研ぎ澄まそう。それが必ず、自分自身に心の自由を届けてくれる。『論語』は私に、そう思わせてくれるのである。
再び、
学十有五にして志し
いずれ、心の自由を手にするためにすべきこと。それが学ぶことを決意することである。自分の頭を使うことを決意する、といってもいい。自分自身の生を引き受けるということである。人間はみな、なりたくて自分になったわけではない。気が付いたら自分という存在になっていた。だからこそ、自分を決断して引き受けるという儀式が必要になるのである。それは、仰々しいものではなく、内面で淡々と進む儀式だ。しかし、自身の未来に決定的に重要な儀式なのだ。それが、心の自由を手に入れるために、若い時にすべき最大のことである。