私たちの働き方哲学(2) 再び、「es」を巡って・・・

私たちの働き方哲学(2) 再び、「es」を巡って・・・

人生を思い通りにするには、esをつかむこと

esとは我々の無意識のことである。無意識が私たちを根底で突き動かしている。そして、無意識(es)は、関係から起こる現象である。

その現象が自分の中にある「あたりまえ」(=ふつうこうだよねという感覚)を形作っている。そして、それが毎日の自分自身の習慣・生活スタイルを方向付ける。毎日の生活スタイル、つまり、時間の使い方を決定づける。

毎日の時間の使い方によって、その人の人生は決まる。どんな人生を妄想するかより、毎日の時間の使い方で人生は決まる。

自分の人生を思い通りにしたいのならば、この「あたりまえ」、つまりは、自身のesを捕まえることである。捕まえて書き換える。怠惰な自分を変えられないのは、このes(=「あたりまえ」)を書き換えようとしないからである。

 

「あたりまえ」は社会構造と記憶と意識で作られる

自分自身の「あたりまえ」を形成してきたのは、また、現在もそのカタチを再生産し続けているのは、「社会構造」と「記憶」と「意識」である。社会構造が半分、残り半分が記憶と意識の葛藤だと思う。

「意識」して自分を変えようとしても、なかなかうまくいかないのは、この社会構造が影響を及ぼしているからだ。社会構造を知ったからと言って、意識を簡単に変えられるものではないが、知ると知らないでは、大きな差が出ることも確かである。少しずつでも、自分を変えるための行動を起こすことが可能になる。無駄な努力なのではないか、という不安を少しでも消し去り、着実に前に進める。

社会構造とは、出自や親の職業・学歴、意識を含む。それらも社会構造にかなりの影響を受ける。過去を変えようというのではない。親に文句を言いたいのではない。この世に生んでくれたことに感謝しながら、自分自身の置かれた位置を冷静に確認して、変革への戦略を策定する。

大事なのは、自分の無意識(「あたりまえ」)は変えられない確固とした岩盤のようなものではなく、「現象」する「流れ」なのだということを理解することである。岩盤なら動かせないし変化させられない。しかし、水の流れのようなものであれば、コツを掴めば変えられるのである。その力学・メカニズムを理解し、書き換えることが十分に可能なのである。しかも、その「流れ」は文脈という名の「物語り」である。

 

書き換えるための「ことば」を学ぶこと、整えること

「あたりまえ」は自身の口癖がカタチづくる。自分の口癖がes(無意識=「あたりまえ」)をカタチづくる。不平を口にすれば、不平のもとにある構造を再生産してしまうし、前向きなことばを口にすれば、同じように前向きな他者に助けてもらえる。善き意識も、善き仲間も、自身の「ことば」が招き寄せる。

よき「ことば」は良書が教えてくれる。よき「ことば」が詰まったものが良書である。そして、良書は、よき友人が教えてくれる。

おっと、循環している・・・起点はどこか?

起点は自身の健全なる動機である。

「動機、善なりや。私心、なかりしか。」

身の回りの顔の見える他者である「世間」と、メカニズムである「社会」の両方ともをないがしろにしない自身の健全なる動機である。そして、その健全なる動機に裏打ちされた自身の違和感を頼りに丹念に「ことば」を整えるのである。世界のメカニズムを頼りに「時代」を知るのである。

 

他者が自身のesの鏡

それでも、自身のesを掴みとるのはとても難しい。すでに形作られた循環が動いてしまっている。満足できないとしても、esはあるひとつの流れを形成してしまっている。そして、それは不満であっても安心を供給する。

私たちは、自分自身の認知を変えることに恐怖を覚える生き物であるのだろう。それは「無意識」に、安心を提供してくれるからでもある。たとえそれが不満なものであったとしても、安定しているがゆえに、安心を提供してくれる。

でも、その「流れ」は身近な他者をも巻き込む「流れ」である。ゆえに、他者は自身のesの鏡となる。他者はみなesの教師であるのだろう。私たちは、他者の態度で自身のesを知る。自身に向けられた他者の態度は自身のesを翻訳しているのであろう。

自分に近づいてきてくれる人は、今の自分のesを好んでくれている。逆に、遠ざかろうとする人を見て、自身のesを理解することもできる。他者はesの鏡である。

 

時代を理解すること、よき仲間をもつこと

突破口は何だろう。

それは端的に、時代であり、仲間であろう。

私たちはみな時代の子。そして、自分のような他者を無意識に招き寄せている。esesを引き寄せる。

ゆえに、時代を見る。そして、身近な人間関係を見る。それが、自身のesを知る突破口を教えてくれる。

 

そのうえで、変化へ向けて勇気をもって踏み出すこと

あとは少しばかりの勇気である。

esは安心のメカニズムでもあることを知ろう。しかし、安心は孤立のメカニズムでもある。社会は変化してやまない。一時もその場に、そのカタチのままでいることはない。無常・無我は、世界の摂理である。

安心・安全にしがみつくより、勇気を持って自身を刷新してみよう。損得勘定に長けた浅ましい自分より、立派な人間であることを選びたい。

そのために、健全なる動機をもって、未来に挑戦しよう。少しずつでいい。一歩ずつで構わない。何か新しいことに足を踏み出すこと。それがesという自身の無意識である「流れ」に波紋を広げ、ゆらぎを伝える。

それは少しばかりの不安を伴う。

しかし、そんなときの仲間である。そんなときの会社組織である。

不安な気持ちも孤立していなければなんとか耐えられる。

会社は、esを育てる装置でもある。

そんな会社が、わたしはつくりたい。