私たちの働き方哲学(1)「es」こそすべて

esは無意識、無意識こそすべて

esは、エス。ミスチルのヒット曲『es』から拝借した。意味は「無意識」。自分の無意識のことである。ミスチルの桜井さんは、フロイトから取ったそうだ。フロイトとは、『夢判断』の著作で有名な精神分析学者だ。だから、タイトルを「無意識こそすべて」としてもよかったのだが、記憶にとどめてほしかったので、印象深い言葉を使うことにした。私がミスチルのファンだということもあるが・・・まあ、今回は、そこにあまり意味はない・・・

 

自分の内面を頼りに仕事をすること

私たちの会社には、働き方に関するフィロソフィのようなものがある。仕事の哲学といってもいい。成果を上げるための実践的方法論である。今回は、その第1回。なので、もっとも本質的で、もっとも重要なものを取り上げたいと思う。これを外すと他にいくら努力をしても意味をなさない、そのくらい重要なポイントの話。これはどんな会社でも通用する、というか同じである。近代に生きる我々が社会の中で成果を上げるとしたら、必ず踏まえる必要があるもの、と思って差し支えない。会社で働くことに限らない。あらゆる「働く」に効く薬である。生きるに聞く薬といってもいい(かもしれない)。

esこそ、すべて」とは、自分の無意識との対話こそ、“より良い仕事をするうえで全ての基礎を形成する”という意味である。意外だろうか?少しずつ解きほぐしていきたい。

 

主体性を放棄せず・・・

仕事とは、結局、日々のひとつひとつの「場面」で、いかに優れたパフォーマンスを発揮するか、の積み重ねであろう。どんなに安全地帯で能書きを垂れても、現場で「ショボ」ければ、その人の仕事は「ショボ」い。「勝負は現場にあり。事件は現場で起きている。」それが我々実際人の鉄則である(フジテレビもたまにはいいことを言う・・・)。我々は学者ではない。“論理一貫性”と、“現実妥当性”の両方が必要なのである。ゆえに、優れたパフォーマンスとは、自分自身の考えを整理し、はっきりとした言葉に変換し、説得力をもって語ること(すなわち論理一貫性)。それに加え、その場面の状況(=意味)や目的を把握し、それにふさわしい文脈を紡ぐこと(すなわち現実妥当性)、と言える。その両方がそろって初めていい仕事をしたといえる。近代の知識社会においては、関係者の認知を、目的に向かって束ねることこそ、仕事の本質なのであるから。実際人は、その渦中の中心にいてこそ価値がある。ピンストライプのスーツに身を包むカッコつけるだけのコンサルのように逃げてはいけない。

そう考えると少し見えてくる。そのひとつひとつの仕事の現場、「場面」に対峙して、それを特別なものとして掛かるのではなく、自然体でリラックスして取り組む必要がある。あたかも、実家の両親と話しているかのように、自分の内面と外面が一致していなければならない。そこに一貫性がなければならないのである。そうしないと説得力が生まれない。人は付いてこないのである。そのために、自身のes(無意識)と対話する。人間は、無意識に支配されているのだから。無意識が自分のエンジンである。

あたかも、自分の内面に錨を下すように、自分の意見を形成していかなければならない。esの奥深く、掘り進んでいかなければならない。掘り進むとは、物理的な話しではない。淀みない言葉や文章で表現する、ということである。言葉を探し、しっくりくる表現を探求し続ける。求め続けるということ。周囲が気に入る答えを探すのでは決してない。気に入るべき主体は、自分のesである。esこそ、主体性の核である。

 

主体性(es)を放棄する典型的場面1:時間に追われる

少し具体的な場面を想像してみよう。自分の日々の現場での仕事を振り返ってもらいたい。思い出してほしい。その時、esはあるだろうか。いつも、esと共にあるだろうか。

目の前に、期限の迫った仕事があるとき、やっつけようとしてはいないか?その仕事の意味や目的より、締め切りばかりが気になっていないか?作業をこなそうとしてはいないか?これがesが不在になる典型的な例「その1」である。「絶対にバタつくな。目の前の仕事を作業にするな。」そういっている。作業にしてしまった瞬間、もう終わりである。あなたのその仕事に、意味はない。そう思うべきである。

 

主体性(es)を放棄する場面その2:偉い人の言いなりになる

その場にいる一番偉い人の意見を探ること。これがes不在の典型例「その2」である。会議や打ち合わせの場面、よく、上司の顔をジーっと見ている人がいるが、こういう人に顕著なので、自身を振り返るといいのではないか。自分のesと対話しているとき、人は他者の顔は見ないものだ。そうではなく、宙を見る。見えないモノを見ようとするからである。そこから意識は頭の後ろの方に向かい、何かで自分を包もうという意識になる。あたかも空中に絵を描き、その絵で自分を包み込む感じだ。決して、そこにいる上司に、焦点は合ってこない。そうして考える。esは、どうしたいのか。esは現実をどう理解しているのか、と。

 

主体性(es)放棄その3:組織の価値にコミットしない

es不在の典型例「その3」は、組織の価値に、あなた自身がコミットしていないこと、これである。しかし、これは少々難しい。詳しく見てみよう。

近代社会において、ひとりで仕事をする人はいない。そこには必ず関係者がいる。それは職人でもかわらない。関係を作りたくない、自分の殻にこもりたい、そう思っても無駄である。そこには、必ず、関係者がいるのである。というよりもむしろ、関係者がいるから、あなたの仕事がそこに出現するのである。それが人間として生きる上での原理原則・メカニズムである。まず、それを受け入れること。

では、それを受け入れたとして・・・、次に重要なのは、それではあなたは何と関係しているのか?であろう。仕事をする上での、あなたにとっての一番濃密な関係者は誰か、ということである。多くの場合、それが会社ということになるはずである(端的に上司)。

さて、ここからがポイントである。esとは何か?に戻る。esとは、関係から起こる現象である。これが理解の核心。自分自身の奥深く、何か、堅い岩盤のようなものからesは発現しているのではない。そんな岩盤はどこにもない。フロイトが言う、esや自我や超自我は、物理的なものでは決してなく、ホログラムのような現象でしかない。人間の感情もすべて、現象である。試しに探してみればいい。絶対に見つからない。頭の中を切り刻んでも、DNAをのぞき込んでも、決して、esを「見る」ことはできない。(遺伝子科学の最大の成果は、これが“わかった!”ことである。人間が遺伝子からできているという知識を手に入れたことではないだろう。)

とすると、どうなるか。論理的に考えよう。いちばん濃密な関係者のビジョンや関係性を、自分のこととして深く関心の対象にすること=自分のesに関心を抱くこと、になるのではないか?大事なところなので、もう一度、繰り返す。人間は、他者との関係の中にしか存在できない。そもそも、あなたの名前が関係の象徴である。関係性を示すもっともわかりやすい符丁である。飲みの席で、うわさ話に花が咲くとき、人の名前が出ないことはないだろう。誰しもみな、関係性の中に生きているのである。その関係性の中から「自分」というものが立ち上がる。意識も無意識も、同じである。「自分」とは、関係性という台風の中心に位置する台風の目である。そこは「空」である。実態はない。わかってもらえただろうか・・・

その会社の価値観が気に入らなかったらどうするか?それは二つに一つだろう。その会社のトップの価値観を変えるか、その会社を辞めるか、である。そこにいながら価値コミットしないのは許されない。それは、会社を大事にしない、ということもさることながら、自分自身をも大事にしないことになるのである。世の中を見下す心の大本には、自分自身を尊敬できないメカニズムが潜んでいるのである。それが人間存在の真理である。

 

esが大事、esこそすべて

仕事をやっていくうえで、最も大事なこと。それが「es」である。自分自身の内面との対話。es(=無意識)を言葉にすること。esに目的と意味をあたえてあげること。esを最も大切なものとして最大限労わること。自分自身の内面を、幸せにしてあげること。それが、仕事で成果を上げる最大、最高の方法である。

私たちの会社では、毎週末、『振り返りシート』を社長(私)あてに提出する。そこに、出来うる限り社長がコメントをする。社員も社長も、自身のesとの対話のきっかけにしている。これが、私たちの組織の、一番の武器である。