【ニュースコラム】医師会前会長インタビューに見る日本社会のマネジメント不在

【ニュースコラム】医師会前会長インタビューに見る日本社会のマネジメント不在

決断こそ、その立場にいる人の仕事

6月15日の日経に日本医師会前会長の横倉氏のインタビューが載った。【地域医療「医師会は努力不足」「コロナ対応、横倉前会長に聞く」「病床確保:国が指示する仕組みを」】という小見出しが付いている。内容は、現在の医師会および日本の医療体制への提言である。しかし、やはり巨大な違和感を感じざるを得ない。

日本医師会と言えば、自民党を中心に政治献金No.1の団体である。開業医や地域の医療法人を中心に「当選させることは出来ないが落選させることはできる」と言われるほどの力を持つ。地域への影響力はいまだ健在らしい。その前会長の昨今のコロナ対応に関するインタビュー記事である。端的にずれていると思った。

現在の緊急事態宣言は、その中身はと言えば「緊急医療事態宣言」である。コロナ病床のひっ迫を緩和しなければならないという唯一の理由で、飲食店が倒産しようとお構いなしに「自粛要請」なる空気を作っていることは周知。真実をまったく報道しないメディアも問題だが、その決断の責任を担わなければならない立場にある人の前任者が、何か人ごとのように語る様子も気分がすっきりしない。パンデミック対策など前から言われていたこと。家庭医制度の創設の議論なども含め、開業医に全権があるような今の医療体制に問題があることは前からの課題であった。国民皆保険制度にぶら下がるグウタラ医師の存在も以前から指摘されていた。そうしたことをまったく放置していた前任8年間のことはどう振り返っているのだろうか。今の会長を責めるだけの内容に今の日本人の腐った性根を感じる。立ち居振る舞いは紳士。しかし、これといって何もしない日本の偉い人々・・・

 

多くの人々に努力を要請することになる。反発があることも当然である。しかし、立場にいる人の仕事は横倉前会長が言うような認識では十分ではないだろう。いい人でいたいなら責任ある立場につくべきではない。前会長曰く、「会長の言動は社会に大きな影響を与える。注意しなさい。」と。今の会長に送ったメールだそうだ。どうしようもなくピントのずれた老紳士にしか見えないのだが・・・

 

病院の私権制限もどこかずれた議論である

前会長はインタビュー記事でこう言っている。「緊急時を見据え、あらかじめ確保するよう法律で定めるべきだ。パンデミックの際に感染症の病床を一気に広げる制度を作ったほうがいい。」その通りなのだが、ならばどうして自分が会長の時にあらかじめ手を打っていなかったのか。それをこそ反省すべきだろう。日本は他国に比べて独立事業者である開業医の割合が高い。病院の実に80%だそうだ。だから、そうした病院に儲けの少ないコロナ病床確保の指示を出すことは憚られる、と。個別の病院の経営に口出しすることはいかがなものかと・・・。前会長曰く「私権制限と憲法の在り方を国会で議論してほしい。緊急事態条項の創設を求める声もある。議論したうえで国民の合意を取ってほしい」と。でも、これも明らかにおかしな議論である。自衛隊を海外の戦場に派遣したり、監督官庁の権限を増やす法律改正はどんな批判があっても強行するくせに、国民の生命・財産が大きくかかわる事態には変な理由をくっつけて改革を躊躇する。そもそも憲法13条には「国民の生命・財産を守るのが政府の仕事」と書いてある。国会で議論する余地などないのである。政治世間で空気が醸成されれば社会がどうなろうとお構いなし。自分の立場の安心・安全が第一、そういわれても仕方がない振る舞いである。批判されないように常にアリバイ作りを優先させる言動に終始する。

もちろん医師会は政治家ではない。しかし、自民党に対して強力な力を持つのは事実である。団体の私利私欲のために正義を曲げてよいわけがない。私も独立事業者だから儲けのない仕事が苦しいのはよくわかるが、公の危機である。それが理由で飲食店に無理を押し付ける気にはならない。

 

デモクラシー(民主主義)を勘違いしている

やはり日本には「そもそも何をしているのか?」という問いだけがない。作為の契機、不在ニッポン。上から下まで、浅ましさが心の隅々まで浸潤する。そこには意思だけがない。デモクラシーの基本は一人一人が意見を述べることである。間違っていたらそれこそ議論して意見を変更すればいい。にもかかわらず、立場のある人が自分の意見を表明せず、誰かに議論してください、とは。

日本人は勘違いしているのだが、民主主義とはみんなの意見を聞くことではない。全員の意見を出来るだけ集めることが議会の役割ではない。周知を集めるのは重要だがそれは十分条件ではないのである。重要なのは、決定を支える論理的な建付けである。後で質問されたらおおやけに説明出来るようにしておくこと。国民の疑問には説明を尽くすこと。そうした覚悟で責任ある立場の人が決断すること。それこそがデモクラシーの基本理念である。ロシアのプーチンもやっている。アメリカの大統領が記者たちの質問に答えるテレビドラマで見ることのできる光景である。しかし、日本の立場のある人は、まったく説明しない。

 

日本人は勘違いしているのだが、デモクラシーの反対は独裁ではない。独裁もデモクラシーの一種。デモクラシーの反対はシオクラシー、つまり、自分以外の何者かに自分の意思を委ねてしまうことである。立場にある人が独裁的に決定を下すことはデモクラシーに反する行為ではない。決断せず、専門家の意見を聞きます、と言うほうがデモクラシーに反する。前会長の「国会で議論をしてください」もデモクラシーの理念にはそぐわない。

 

ひとのいい紳士ではなくマネジメントのわかる人を

日本人は政治家や団体の代表者を「いい人かどうか」で選ぶ傾向が強い。そもそもはっきり自分の意見を述べる人を敬遠する。しかし、近代社会における「立場」とはあくまで「機関(=機能)」である。近所ですれ違うおじちゃんではない。そして、その最大の役割は「決断」である。全体が効果的に回るように必要なことを意思決定する。会社の代表取締役社長、市の市長、任意団体でさえそうであろう。近代社会の「立場」とは名誉職と考えては間違える。あくまで社会的な「機関」。全体を見通し続け、構造的に必要な意思決定をすることこそ使命である。

しかし、これはドラッカーがいうマネジメントそのものである。近代社会の役職は決して「ボス」ではなく「機関」である、と。大きな声でハキハキとプレゼンできるとか、外交的に振る舞えるかとか、紳士に見せられるかどうかは関係ない。専門知識があるかどうかも関係ない。日本人が好むような質素倹約も関係ない。極端な話し犯罪歴すら関係ない。大事なのは、大真面目に全体のメカニズムを考えること。全体の連環を考え続けることである。そして、うまく機能しないのはどこのメカニズムが滞っているからなのか、どうすれば全体がスムーズに機能するのか、それをこそ考えること。機能しない理由を決して現場の能力や経験値に帰せず、全体を把握できない自分自身の責任とすることである。その能力・実績があることである。それが近代社会の「機関」である。

加えて、マネジメントは学ぶことが出来る。組織を動かした経験のなかで、立場にない時は気が付かなかったことを学ぶことが出来る。外野には決してわからないことも、その立場につくと見えることも多い。そして、近代社会であるからには、その知識は体系立てられている。目的の異なる組織でも抽象化するとその仕事の構造は同じである。

責任ある立場についたことがなく、全体をひとつのメカニズムとして見たことがない人、責任ある立場についたことがあっても「すべて自分の責任」としてその連環を必死に考えたことがない人は、そもそもマネジメントの存在に気が付けないことが多い。そんな人は、何かうまくいかないことがあると現場にいる個々の人々の能力の問題と考えてしまう傾向が強い。しかし、成果が上がらないのは個々の人々の能力ではないのである。もし、近代社会が個々の能力に頼って回っているのなら、この日本はすでに崩壊しているはずである。メカニズムが連環して辛うじて回っているからこそ、日本はその姿を維持し続ける。

マネジメントとは近代社会特有の「メカニズム」を操作する技能である。でも、メカニズムは決して目には見えない。その目には見えないメカニズムを見る能力こそ、「立場」にある人に求められる能力なのである。人の好さなど二の次なのである。

 

正しいことを言うのではない、物事を正しく行うことをこそ

評論家になってはいけない。外野から「正しいこと」を言うことが「立場」にある人に求められることではない。そうではなく、マネジメントは「物事を正しく行うこと」である。リーダーシップが物事の正しさを主張しそちらの方向に人心をまとめることであるならば、マネジメントは物事を正しく行うことである。

何をこそ見なければならないのか、何をこそ理解しなければならないのか、何をこそしなければならないのか。近代社会という通奏低音のごとく流れるメカニズムをこそ見つめ、正しく物事を行うこと。社会全体を一つの連環するシステムとして捉え、その流れを利用さえして目的地に到達させようと意思決定すること。それがマネジメントであろう。

 

Leadership is doing right things.

Management is doing things right.

リーダーシップとは正しいことをすること。

マネジメントとは物事を正しく行うこと。

 

ドラッカーの箴言である。

 

近代社会において、こと、デモクラシー社会において、大切なのは後者のマネジメントであろう。デモクラシー社会にはもはや強いリーダーは必要ない。必要なのは、仕事をするリーダーである。ゆっくりでも前進することである。変化させ、分析・検証し、次の施策を考えることである。エドモント・バークのいう真の保守主義(仮説検証)こそ、デモクラシー社会に求められることである。それを実現するのがマネジメント=マネジャーである。全体の連環図(メカニズム)を想起しながら物事を正しく行うことこそ肝要である。

 

日本医師会という日本最大の政治団体前会長のインタビュー記事を読みながら、そんなことを考えた。