創業から20年で思うこと_この会社を使っていいことがしたい。ただそれだけ。
8月7日は会社の創立記念日である。だからわたしたちの会社の決算は7月。来週から新年度が始まる。21年目のシーズンである。今日は創業から20年を経て、今、思うことをつらつらと書き残しておきたいと思った。思うままに書いてみたい。
何を使命と定めるのか
何かワクワクするビジョンが足りない。業績だけならゲームと一緒だ。そんなのつまらない。そんな感触が付きまとって離れなかった。中計の合宿を2か月半、社員の自主的な議論にできるだけ委ねる形で進めてきて、その後、1か月半の試運転期間を経験したが、やはり自分自身、身を焦がせる「ロマン」が明確に言語化できていないことに焦りを覚えていた。
中計の議論を始める前からSDG’sには関心があり海外の事例などをコンサルティング会社に依頼して収集はしていた。しかし、調べれば調べるほど、日本のSDG’sへの取り組みに嫌気がさし、急速に興味が萎んでいたのである。麻生さんが笑って写る写真やTVでの取り上げ方を見ると脱力してしまうのであった。日本はいつもピントがずれている。しかし、最近のEUの取り組みを見て心を新たにするに及んだ。「これはわたしたちにも何か出来るかもしれない」。やはり、焦点は、社会問題・地球環境問題の解決である。
「利益は目的ではなく手段である」
これは創業後すぐ、ドラッカーの本で学んだことである。世界の思想や哲学にも造詣が深いドラッカーは、「人類が自己のみの利益を目的に生きて社会がうまく回ると証明されたことなどない」と主張していた。株主価値至上主義や「神の手」をアダムスミスの主張だと権威づけることで自己を正当化するキャピタリストたちを向こうに回し、以前から論を展開していた。私はその論理一貫性に心打たれたものだ。こんな使命感に満ちた経営がしたい、心からそう思った。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。私には技能が足りなかった。理想を現実の社会で実装するには、数々の異なる技能を身に着ける必要がある。私はそれを痛感させられた。
武器は十分、そろっている
それでも何とか20年、会社経営を続けてきて最近思うことは、ようやく社会に理想を実装させる準備が整ったのではないか、という感触である。最後のピースはシステム開発。DXというコンセプトを深く理解することであった。
気が付いてみたらこの会社には、マーケティング・イノベーションの技能はたっぷりと蓄積されている。それに伴い、家具の開発・生産技術、貿易のネットワーク、そして、確固とした収益基盤も存在する。最近は新たな技能であるSEOにも自信を深めている・・・武器は十分に揃っている。あとはこれらの技能の蓄積をひとつのビジョンに昇華させることだけである。
わたしは再び、日本社会の問題と世界の倫理の潮流に目を向け始めていた。
哲学・思想史に照らしても
ドラッカーの思想に触れてからというもの、私はずっと、哲学を学ぶ必要を感じていた。それを数年前に実行に移した。約1年、現場を放り出して哲学書を読み耽ることにした。その間、現場は大混乱に陥ってしまい開発途中の基幹システムを破棄する羽目になったが、その裏で、私はかけがえのないものを手にしていた。「思想性」という名の自信である。
過去、人類は何に悩んできたのか。何は解決不可能なのか。そして、社会とは何か。人間とは何か。わたしたちが棲む近代とは何か・・・。頭の中に思想の地図が出来上がっていった。「50にして天命を知る」ではないが、私は、自分が、自分の人生を通じて何をするべきか、見えてきた気がしていた。あとは現実のこの事業と地続きにし、それをビジョンとして明文化すること。
中計合宿前にわたしが感じていたものである。
経営とはある意味、仲間づくりである
しかし、である。どんな事業もひとりでは出来ない。やはり仲間が必要である。直感で中計合宿に突入した私だが、2か月半を費やした合宿の途中で、私は改めて社員の存在に感謝した。たまたまこの会社に入社した社員もいる。合宿の最中、そんな正直なことを口にするものもいた。しかし、世の中そんなもの。そうしたセレンデプティを生かすことの方が重要だ。わたしは目の前の社員を裏切ってはいけない。そう強く思った。
でも、仲間とはどうやって作ればいいのか。人々が進んで組織に参加してくれるようにするにはどうすればいいのか。私は辞職する社員を尻目にそんなことを深く考えていた。
結論は単純である。このカイシャにはワクワクするビジョンがあるのか。つまり、このカイシャを使って何をしようとしているのか。このカイシャは、今の社会にいいことが出来るのか。その志はあるのか。実装させる具体的なプランを持っているのか。戦略はあるのか・・・
人間はお金には集まってこない。ビジョンに集まってくる。また、社長の人柄が人間を留め置くのではない。日々、やりがいを感じる仕事が人を留め置くのである。そのうえで、自分自身が唯一無二の存在感を組織の中で感じることができること。自身が成長している実感を得られること。正当に評価されること。
まさに人間は利益のために生きているのではないのである。利益は手段でしかない。
「商品はことば」 through Business Transformation with Digital
コンセプトは定まっている。商品に「物語り」を詰め込むのである。わたしは足元の課題から明確に位置付けることにした。ビジネスシステム全体を「良きこと連鎖」にトランスフォーム(置き換える)してしまうことである。15年間、動かし続けてきた既存のビジネスシステム(バリューチェーン・サプライチェーンをイメージするとわかりやすい)を「未来視座」で再構築すること。そして、システムの力を存分に取り入れること。特に、新しい基幹システムが稼働したら、APIを使って「つなぐ・関係づける」ことに注力することである。
新しい視座とは、まさに、「社会にいいこと」である。環境問題、社会問題の解決はデフォルトである。最低限の作法と位置付ける。そのうえで、自分自身の時間を大切にする生き方を応援すること。近代社会が構造的に抱える「鉄の檻」問題に解決の糸口を与えるべく、「作る」を応援するビジネスを展開すること。もちろん、収益もしっかり出していく。売上も拡大する。
目的合理と価値合理を、今のこの21世紀の日本及び世界でどのように位置付ければいいのか。わたしたちの答えが浮かび上がってきたように感じている。
企業理念・経営理念を考え続けて20年が経つ。
その間に失敗したことは数知れない。
でも、ようやく形になってきた気がする。
このカイシャを使っていいことがしたい。
夢物語では終わらせられない。
それではこの会社が存在する意味がない。
わたしはこのカイシャをつかっていいことがしたいだけである。
最近、その準備がようやく整ってきた気がしている。