経営のカタチ(1)まずは、その姿をスケッチする

抽象的な理念と今ココの現実がつながっていること

「いい会社」とは、どんなカタチをしているのだろうか?創業から20年余り、私は、そのことばかりを考え続けてきたように思う。中学の時、野球部のキャプテンとして、練習をサボる同級生を前に涙ながらに訴えた時から、私は組織の魔力と魅力に取り付かれてきたのかもしれない。どうして人は動いてくれないのだろうか。どうすれば組織は目標を達成できるのか。その中で、個人が幸せでいる条件は何なのだろうか。突き詰めると人間集団とは何なのか。どんなカタチをしているべきなのだろうか、と。究極、「理想的な組織」とはなんだろうか。

結局、私は会社を創業してしまった。子供のころからの疑問に背中を押されるように、気が付いたら創業していた、そんな感覚である。そして、ずっと、人間集団のカタチを考え続けている。

経営学でも組織論は盛んである。私もかなりの書籍は渉猟したつもりである。でも、しっくりくるものにはあまりお目にかかれなかった気がする。だから、「経営のカタチ」と称して自分の言葉で表現してみようと思い立った。しっくりこなかったのは、ひとのことばだったからなのかもしれない。私自身の、経験に根差したことばで表現しようと思う。お気に入りのことばで表現してみよう。

まず初めに、私が考える「経営のカタチ」をスケッチしてみたい。

そのカタチは、12項目に収斂されている。抽象度の高い理念から、現場現実のマネジメントの技術にまで至る12項目の連鎖である。連鎖のポイントは「抽象的な理念と今ココの現実がつながっていること」それを強く意識している。

①から順番に辿ると論理一貫性が確認できると思う。逆に、⑫から「なぜ?なぜ?」と遡って辿ると、その背景にあるメカニズムの繋がりに気が付けると思う。なぜ、12項目なのかというと、それは考え抜いたらそうなったとしか言いようがない。もしかしたら、後々、付け足したり、引いたり、するかもしれない。だから、細部にこだわるより、その全体像や意図を捉えてもらいたい。

結局、いい会社とは、そこで働いている社員が生き生きとしており、しかも、その会社の外にいる社会の人々からも存在し続けてほしいと思われる会社に違いない。細部はともかく、この2つの条件は必ず達成されているのではないか。いい会社ほど、この2つの条件は広く、しかも深く、そして、実際に創造され続けていることだろう。つまり具体的に、「今ココの業績が魅力的」と「今ココの社員が魅力的」が両立している会社である。そんな勘を手掛かりに導いていく。ゆえに、①の「会社の外の人々から存在してほしいと思われている」ことから、⑫の「社員が生き生きとしている」ことまで、論理一貫性・現実妥当性で満たされていることだろう。ゆえに次のようになる。

 

①会社の外の人々から存在してほしいと思われている_本業が社会改革的

②現在の日本社会の問題_戦後のアノミー、そして、ソリダリテの喪失

③人類はソリダリテをどのように創造してきたのか_世界の宗教

④宗教が作りたいのか?_否。宗教改革は1000年の計。だから種を撒く

⑤我々の事業は何か?顧客は誰か?価値は何か?_手持ちの武器を活用する

⑥成果は何か?_SDGs、統合報告(管理会計の進化)

⑦計画(戦略)は何か?_坪効率×リスト数、ミッションツリー、SDGs委員会

⑧社員にしてほしいこと_学習・内省、戒律の発生、就業時間改革

⑨人材配置の要諦_絶対優位より相対優位

⑩1週間の振り返り_いま、あなたは何をすべきですか、それはなぜですか?

⑪「役立ってる感(エネルギーの源)」と「いける感(社会に触っている感覚)」

⑫健全なソリダリテの創造_幸福感が生まれ出る

 

①~④は社会システムの中に会社を位置付ける作業

①から順に辿っていきたい。

会社の外の人、つまり社会から存在してほしいと思われている、少なくとも存在を許されていることは絶対条件である①。そのためには、日々の活動の中心である本業が社会改革的・社会問題解決的である必要がある。ただ単に、自身のお金儲けだけが事業の目的であってはならないだろう。もちろん、存続のためにはお金は必要である。つまり、業績を上げ続ける必要はある。善きことをやるにしても、活動には制約条件が付くということだ。つまり、利益は目的ではなく、社会改革の手段であること、それが第一の条件である。会社は、存在を賭して、社会改革集団に脱皮し続ける。

我々は日本の企業である。近代社会を形成する国民国家という枠組みのもとでは、日本発の企業であるという点は外せない。なので、社会問題はイコール、日本社会の問題である。

21世紀の日本社会の最大の問題は何か②?それは戦後のアノミー(社会病理)である。アノミーはソリダリテ(連帯・連帯意識・同胞意識)の喪失が引き起こす。際立つ孤立感というやつである。いざとなれば誰かが助けてくれる、自分には味方がいる、そうした感覚の喪失である。引きこもりの増大や自殺率の増加、理由なき殺人、共同体の崩壊、財政危機、デフレ・スパイラル、なんとはなしの息苦しさ・・・。これらすべてがその原因を戦後アノミーに求めることができる。

日本社会に巣食うアノミーはなぜ生じたのか?それは天皇が人になってしまったからである。「などてすめろぎはひととなりたまいし」と三島由紀夫が『英霊の声』に言ったとおりである。絶対神なき近代は、アノミーを生み、ソリダリテを失う。現在の日本に宗教はない。

そもそも人類はどうやってソリダリテを創出してきたのだろうか。それは宗教によってである③。カトリックでは教会やサクラメントがそれを演出する。ムスリムは、エルサレムへの巡礼により強烈な共同体意識を育むという。巡礼を終えたムスリムは社会のヒーローとなる。儒教国家では、親孝行などの戒律が同胞意識を育む。みな、同じ価値観や生活様式に従って暮らしている、そうした感覚が仲間意識という安心感を生み出す。

一方、今の日本社会にこうした宗教的戒律は存在しない。天皇の赤子としての国民という意識は確かに、かの戦争を生んでしまったのではあるが、逆に眺めれば、戦争するほどのエネルギーを個人に提供したともいえるのである。個人の強さは共同体の支えがあって初めて現象する。

戦後、この心の空洞を埋めたのが終身雇用・年功序列といった会社組織の掟であった。官僚は3000もの天下り先を作ることで仲間意識を育んだ。しかし、低成長時代に突入し、もうお金が回らなくなってしまった。グローバリゼーションがそこに決定打を与えた。今、日本社会は、市場競争という大波に晒されている。組織の人事制度も、競争を取り入れざるを得なくなっている。別の方法でソリダリテを供給しなければならない。

では、会社は宗教組織になるべきなのだろうか④?私も、はじめ、結局それしかないのか?と慄いた。しかし、違うのだろう。そんな大それたことが、一企業にできるとは思えない。そもそも宗教改革など1000年の計だろう。荷が重すぎる。だから、企業はその種を撒く。組織を作り、会社を作り、事業を作り、ブランドを作ることによって社会に種を撒く。自分たちが死んだあと、誰かがその種を拾い上げ、後世につなげてくれることを願って、事業を通じて種を撒き続ける。それが21世紀の企業の使命であろう。

 

➄~⑨が実際人としての経営者の中心的な仕事

ドラッカーは企業に言う。「手持ちの武器を活用して問いに答えよ」と。第一の問いはこうだ。

「我々の事業(=使命)は何か⑤」

すべての企業が社会改革を本業とすべきである。しかし、それはその企業のリソース(=手持ちの武器)を最大限活用した結果のモノであるべきである。そうしないと、現実から離れたただの夢想になってしまう。日本社会には300万社の会社がある。その300万社が束になって、日本全体の社会改革を達成する。そして、世界に誇れる国を創造する。我々はその300万分の一である。

第一の問いは、第二、第三の問いを誘発する。「我々の顧客は誰か」「顧客は何を価値と考えているか」である。こうして次第に事業(=使命)は具体性を帯び始める。私たちにとって、それがプレコチリコというブランドである。

そして、第四の問い「成果は何か⑥」が導き出される。私たちは、時間をかけて成果報告としての管理会計を磨いてきている。その管理会計の行きつく先がESGの文脈で研究が進んでいる「統合報告」である。ESGとは、社会改革企業に投資をしようという投資家たちの思想革新を表現したものである。Eは環境配慮(Environment)、Sは社会改革(Social)、Gは企業統治(Government)の頭文字である。

ESGは何も、上場会社に限ったことではない。広く社会に報告していく枠組みと捉えることが重要である。非上場だからといって儲けることだけを考えていていいはずもない。企業の使命は同じである。

ESGを企業側から眺めたものがSDGsになる。サステナブル・デベロップメント・ゴールズの略である。世界を善きものにするための17の行動目標が国連で採択された。2030年までの期限付きとされているが、その本質は未来永劫である。すべての企業が取り組むべきである。我々も当然、事業計画に組み込む。

必然的に「⑦我々の計画(戦略)は何か」が導かれる。戦略のモデルは創業以来「坪効率×リスト数」である。価値の創造・伝達・顧客と一般化してもいい。だが、我々はEC企業であるゆえ「坪効率×リスト数」と表現する。組織として何をすべきか、の集中原則である。これをもとにミッションツリー(=課題ツリー)が因数分解され、チームが編成される。

「組織は戦略に従う」の格言通り、次は人事なのだが、その前に、現実的にはもうひとつ重要な考えるべきポイントがある。それが⑧一人一人の社員にしてほしいこと、つまり「求める人物像」をはっきり定義することである。300万社の会社の存在は、300万通りの戦略の存在を意味する。みな、使命の達成プロセス、必要スキルは異なるのである。事業戦略に沿って、ルールや手法は設計されるべきである。(もちろん本質は同じだが)

そして⑨人事。人材配置である。ここには鉄則がある。それが「絶対優位より相対優位」を、である。

私の夢がプロ野球選手になりたいことだとする。しかも私は、野球が最も得意なことだと思っているとする。それが絶対優位である。その道を突き進んでも誰も幸せにはなれない。一方、周囲の人々を見回して、その中で求められている役割という視点を入れてみる。本人の中でその役割は、一番やりたいこと、一番得意と思っていることではないかもしれない。しかし、周囲はぜひ、あなたにやってほしいと思っているし、向いているとも思っている。それが相対優位である。こうして組織は機能し、個人は評価を受けられる。

 

⑩が社員の最大の仕事、自分の仕事を常に大きな絵の中で振り返る

あとは日々の取り組みである。月曜日から金曜日までの時間をどのように過ごすのか?そして、それを1週間単位で振り返る⑩。①から順々に構成されてきた物語りは、ここにきて個人の目標・課題にまで落とし込まれるはずである。「今、あなたは何をすべきですか、それはなぜですか?」に明確に答える努力は、こうして組織と個人の共同作業として整えられる。決して、上司の指示に従うだけの受け身の社員ではないのである。主体性は全体性、メカニズムの理解から生まれるのである。

これら①~⑩までの連環を、一貫性と現実妥当性という基準で精査・学習・責任を貫くと、組織の一員としての個人に、社会への「役立ってる感」と現実を自分が動かしているという「いける感」が生まれくる⑪。自分は、組織を通じて社会に貢献しているんだという充実感が湧き上がってくるはずである。湧き上がってこないのであれば、まだ、これらの連環が弱いのである。ひとつひとつの理解や習得が足りないのであろう。

とはいえ、これらひとつひとつ、どれをとっても生易しいものではない。それこそ、事業が続く限り、個人が事業に参加し続ける限り、追及し続けなければならないものであるのだろう。それは、一定の規律と努力が要求される。しかし、それだからこそ、人間集団に健全なソリダリテが生まれくる⑫。強烈で、正しい、納得した目標を持つ集団には、自然と規律が生まれ、約束事を守ろうという個人が生まれる。それは身近な集団(たとえば学校の部活)を思い浮かべればすぐに納得されるであろう。

こうして①~⑫までのいい会社の連鎖(物語り)が組みあがった・・・

 

12項目の連鎖に終わりはない

この12個の連鎖が生み出す成果に完成はない。この世は所詮「空」である。生み出した成果は、時間と共に変化し、消え去る運命にある。時代の課題もどんどん変わっていく。SDGsは2030年を見通しているが、その後も社会は続いていく。会社も、その変化する社会と共に変わり続ける。健全なソリダリテという種を撒き続ける努力も永遠の運動である。それは、後世に引き継がれる時を、常に待っているのであろう。

だから我々は学習し続ける。価値を、ことばを紡ぎ続けるのである。これが私たちが考える「理想的な組織」の姿、そのスケッチである。