「採用」と「育成」を科学する_現場で使えるモデルの開発

「採用」と「育成」を科学する_現場で使えるモデルの開発

採用・育成の基本モデル_「動機」×「読解力」

いたって経営者目線のお話である。経営者は人を半分このように見ている。見なければならない。人を科学的な目で見る方法論である。若い社員も、会社を外から見るとはどういうことか、イメージしながら読んでほしい。「人事の舞台裏」のお話である。

以下の問いに答える。

「求める人材とはどんな人か?」「この人は求める人なのか?」

である。この問いを正確に考えるための分析用モデルである。近代社会における人間に求められる基本能力といってもいい。AIに代替えされないための能力の基本部分である。その分析軸(抽象化要素)が「動機」と「読解力」。「動機」は「価値合理」に、「読解力」は「目的合理」に重なる。(CEOの内省『科学的と非科学的の違いを考える』参照)

わたしたち近代人を構成する2大要素をモデル化し、現実に迫る。

 

©Ueda Keitaro

 

横軸に「動機」、縦軸に「読解力」を取る。すると4つの象限に分けられる。すなわち①_動機が健全で読解力が高い、②_動機は健全だが読解力が発育途中、③_読解力は高いが動機が不健全、④_読解力が低く動機も不健全の4分類である。

「動機」が健全とは、私心がないこと。逆に不健全とは、自身の損得勘定ばかりを優先させてしまうことである。人を自身の座席争いに利用する対象として捉えることである。

「読解力」は説明が上手か下手かくらいをイメージして先に進みたい。

もちろんこれは「モデル」である。現実の人間はこんなにきれいに分類などできないことを、あたりまえだがお断りしておく。それを前提に議論を進める。

 

象限①_欲しい人はココ(動機が健全で読解力が高い)

会社が一番欲しいのはここ。基本、自力で課題を設定し、前に進むことが出来るので、カギはどんどん経験を積ませること。場数を作ってやることが育成の仕事になる。ただし、その人の能力にタイムリーな難易度を設定してやることが大事。難しすぎてもダメ、簡単すぎてもまたダメである。ゆえに経営者の仕事は業績を安定させ、徐々に拡大させることである。少しづつでもポジションを増やすこと。それが最大の仕事になる。

採用・育成という観点からすると、他の象限に比べたら難しくはないが、それでも気遣いは欠かせない。先にも言ったが、実際は、4象限にきれいに分かれる人間などいないからである。実際の育成の現場では、象限に当てはめるだけで満足することなどできはしない。

 

象限②_育成方法を考える(動機は健全だが読解力が発育途中)

動機が健全。つまり、たいがい「いい奴」である。でも、「読解力」で苦労している。心情としては活躍してほしい。しかし、現実問題、固定費の増加は苦しい。さて、会社として何が出来るのか。

端的に、その一、読解力は育つのか?、無理な場合、その二、担当させる合理的な仕事は会社の中にあるのか?である。「その二」は管理やビジネスモデルの問題。たいがい経営者との関係性で決まる。ポジションは多くないが、ないこともない。そういう問題である。近代社会とは関係ない。ゆえに、関心は「その一」の育成に向く。

その一、読解力は育つのか。私の経験からすると、「その人」が、育つかどうかはわからないが、育て方には一定の型はあるようである。それが「シニフィアン・シニフィエ」モデルである。

読解力は「ことばを形式論理的に使用するとき」を巡るものである故に、ことばを要素還元的に分解するソシュールの言語学は手掛かりになる。シニフィアンとはことばの「音」の部分。つまり、目に見える部分と考えればよい。シニフィエとはことばの「意味」の部分。つまり、目には見えない部分のことである。この二つを分けて考える。(図を参照)

 

読解力の核心は「シニフィエ(意味)を直和分解する能力」のこと

「読解力を育てる」とは、このシニフィエを数学の集合論的に直和分解する能力を育てること、である。すなわち、頭に浮かんでいるイメージという名の「意味」を説明可能な単位に分解する力のことである。漏れなくダブりなく抽象する。見えないものを見えるように図解する能力である。

トレーニング方法は、唯一、真っ白なキャンバス(紙や白版など)に向かい、頭に浮かぶイメージを手書きすることである。イメージを図解する。こういうものを「ポンチ絵」という。何度も何度も、手書きで図を描き説明を試みる。絵を描くときは、集合論的に直和分解することを意識する。直和分解とは、要は、マトリクスのこと。ツリーのことである。漏れなくダブりなく分けることである。

これは数学の集合論の考え方と同じものである。必要条件と十分条件、部分と全体である。現実世界では部分の総和が全体になることはないが、「仮に」そうなると仮定して分解していく作法のことである。モヤモヤした頭の中をスッキリさせる唯一の方法論と言えると思う。これを寝ても覚めても繰り返す。

 

読解の苦手な人は、このシニフィアン・シニフィエの区別がまずついていない。シニフィアン(音・見える部分)をうわ滑ってシニフィエ(意味)を図解できないでいる。ことばの目に見える部分を暗記しようとしてしまい、シニフィエ(意味)を図解するということにまで思い至らない。もしイメージできても、直和分解ができない。ゆえに、この部分を集中的にトレーイングするのである。脳みその筋トレのようなものである。人間であれば必ず成長できる。カギは耐えられるかどうか、であろう。何年でも、何十年でも、毎日、努力を積み重ねるのみ。日常の習慣になるまで繰り返すべし。

育成担当は、この「トレーニングを設計すること」に注力することである。あたかも筋トレメニューを組み立てるように、また、パーソナルトレーナーがそばで指導するかのように、脳みそのトレーニング・メニューを設計する。育成の科学的アプローチである。

 

シニフィエを空間軸と時間軸に位置付ける

シニフィエについてもう少し。

目には見えないから、図解することは必須である。この部分が論理的なコミュニケーションの基礎になる。仕事でのコミュニケーションはすべてこれである。

頭の中のイメージを空間軸と時間軸に位置付けてあげるのも一つだろう。これを一般的には「上から考える」「全体から考える」「未来から考える」と表現することが多い。手元の問題にかかずらわる前に、考えるべき問題かどうかを考えるのである。仕事で成果を上げるには「的を射た」ことをする必要があるが、その最高のノウハウが「シニフィエの直和分解」である。

電話のメモを上司に残す時も、稟議書を書くときも、何かプレゼンテーションをする必要に迫られた時も、「読解力」に自信のない人は、このシニフィエを意識してみてはどうだろうか。きっと新しい発見があるはずである。

(CEOの内省『シニフィエ・ノート_読解力を高める練習場』参照)

 

象限③_30歳を超えるとやっかいな人々(読解力は高いが動機が不健全)

ここは「会社あるある」「人間関係あるある」であろう。「動機が不健全」というのは潜在的に「承認欲求」が満たされていない、ということだから、子供のころの親との関係が決定的に重要ではある。いわゆるベーシックトラストの問題である。しかし、ここでは踏み込む余裕はない。その現象面だけを取り出すことにしたい。

この象限に分類される人の特徴は「他者を自己の承認欲求を満たすために利用しないではいられない」という点である。ゆえに、自慢話が多くなる。専門知識は他者にマウントするための道具である。絶えず自分を見ていてくれないと、その会社・上司はすぐに「いい会社」ではなくなる。「いい人」の基準も、自己の内面の空洞を満たしてくれることである。健全な動機を持つ人は、その目的を利他に置くものだが、象限③の人々にはそれがどうしても出来ない。そんなもの「偽善」にしか見えない。利他的な行動をとる人がどうしても許せない。象限③の人にとって、他者は自分のために存在するのでしかない。その人の近くにいて利用されているような気持ちになるならば、その人は象限③にいる可能性がかなり高い。

30歳を超える頃、つまり、社会人としての専門用語に慣れてきたとき、象限③の人には、もう会話は通じない。終身雇用の日本では、そのまま地位を上げ、力をつけ、生き残っている確率が高い。周りが次第に下の者が増えるため、本人も、自己の目的(承認欲求)の存在を意識できなくなってしまっている。これで何十年も「成功」してきたのである。よっぽどのことがない限り、もはや後戻りなど出来ないだろう。組織としては、やっかいで頭の痛い人々となる。最近で例えれば「陰謀論」にハマる傾向の強い人がこの象限の人々である。社会問題は比較的よく見ているが(承認欲求のための手段だから結構勉強していることが多い)、本質を理解しないまま他者を責めてスッキリすることを目的にしている。ネトウヨと呼ばれる人々も基本、ここに属する。専門性(スペシャリスト)に傾きがちな人々である(ゼネラリストを認めない、というか理解できない)。

 

象限④_会社にできることはない(読解力が低く動機も不健全)

ここは残念だが企業に出来ることは少ない。基本的に社会政策の担当領域である。企業に出来るのは、利益を出し法人税を払うこと。そして、健全な民主主義が作動するように「作為」の近代人を育てることである。象限④にいる人に会社が直接的に出来ることは、論理的にはゼロである。

 

まとめ

①と④はわかりやすいのであまり問題にはならない。難しいのは②の育成方法と、③をどう評価するかである。

②の育成に関しては「シニフィエ・モデル」で詳しく書いたのでここでは③について。

現場で「優秀なんだけどなぁ・・・」と感じたら、瞬時に「動機」を疑うセンスを持とう。しかし、これがなかなか難しい。「動機」と「読解力」は論理的に直行する。つまり、同時に評価することは不可能であるからである。論理的に直行するものを同時に考えようとすることは不可能である。だから、象限③の人に騙される確率が上がってしまう。象限③的な人を目の前にするとその「読解力」ばかりに気を取られ「優秀なんだけどなぁ・・・なんかなぁ」というような印象を抱くことになる。この「なんかなぁ・・・」は、「動機」に思いが至らないときにこそ発生する感情である。論理的に直行することを同時に考えてしまう「なんかなぁ・・・」である。「読解力」と「動機」は分けて考える必要があるのである。そのセンスを磨きたい。やはりだまされるのはよくない。分かったうえで「あえて」意思決定すべきである。

もう一言。

この人は頭の回転は速い人が多い。学歴も高い。東大を出ていたりする。典型的には日本の高級官僚ということになる。でも、この人、私心で自身を動かすがゆえ、大きな全体が見えていない。例えば官僚は「仲間のために仕事をする」と本気で考えて、天下り先をせっせと確保し国全体の経済を沈ませて平気である。社会貢献より世間貢献。「動機」が不健全だとメカニズム思考が出来なくなる典型である。逆に健全な動機で事に当たれば、最終的にはメカニズム思考に至らざるを得ない。象限③を分析するとそういうことも見えてくる。IQを磨くより自身の「動機」を点検すること。大きな仕事をしたいならそちらの方が効果的なのである。(結果、大きな他者の承認も得られるだろう)

 

こうしたことを整理し(特に②③)、現場でわかりやすく人を見るための科学的モデルを作りたかった。モデルを見ながらいろいろ考えられる。(スキルや経験はこのモデルの上に乗っかるものでしかない)

 

採用・育成は難しい。しかし、だからこそ、実際人である経営者の一番の仕事でもある。

 

モデルを駆使して現実を1ミリでも動かしたい。

その時、はじめて、経営計画は動き出す。