経営計画の勘どころ

そこで作動している法則を読み解くこと

中期経営計画の立案に取り組んでいる。これまで、もう何十回・何百回と計画を立ててきた。創業当時の方が計画を立てる回数は多かったか。肌感覚では計画ばかり立てている感じがしたものだ。そして日々の実行。20年以上、それをくり返す中で、だんだん「使える計画を立てるコツ」のようなものを感じるようになった。巷の書籍ではあまり触れられていない、現場で格闘するひとりの経営者の勘どころである。

売上や利益など損益計算書をただエクセルに打ち込んでも虚しいだけである。こんなもの無意味である。鉛筆をナメナメ、適当に昨対の数字を置いていく。しかし、それでも、作った数字に逆に自分が縛られたりして・・・、社内では目標がノルマにすり替わり・・・、現場に言質を与えることになり制御が取れなくなることもあった。現場はただまっすぐに走りたいもの。計画は作ればいいというものではないのである。私はいつも「使える計画」というものを考えてきた。

計画を作る時のポイントは何か。それは「そこで作動している法則」を読み解くことである。少なくとも、法則を読み解こうと努力すること、それに尽きる。法則とは原理やモデルのこと。それを取り出せるかどうか。そして、その対象は会社の外部と内部、端的に、市場の状況と組織(社員と主要取引先)の状況に大別される。市場メカニズムと組織心理・人間感情のメカニズムである。それらはもちろん複雑に絡み合う。現実にはこんがらがった糸のよう。だから、見えている課題を一つ解決すればいいというように単純なものでは決してない。単純化は危険と隣り合わせでもある。

しかし、計画立案のコツもこの単純化のすれすれ隣にあるように思う。すべてが相互依存的な複雑な関係性の中に、原理となるキラリと光る法則を見つけること。そして、法則どうしを組み合わせたり、時には捨て去ったり。もちろん自社のビジョン・戦略にとって、と考える。一言で言うとこれが、役に立つ計画を立てるときの視点である。目の前に見えている現象を単純化するのではなく、その背後で動く法則をモデル化(単純化)する。

 

内部要因は「自身の感情」を含むメカニズムである

市場の法則の方は比較的カンタンである。この分野では大量に書籍も出ているし、MBAの主要科目でもあるのでみな関心も高い。私も創業当初は、この市場分析なるものがすべて、と思い込んでいた時期もある。しかし、現実の経営はそんなに単純ではない(学者やコンサルが陥りやすい罠である)。そこには実行する人間の心理・感情が複雑に絡む。これは経営の教科書にはまとめられない。強いて言えば原始仏教哲学の分野である。

経験の浅い経営者ならこう思う。モチベーションを高める方法もかなり研究されているではないかと。MBAなどでも必須の教科ではないかと。でも、私はこの分野、経営学的なアプローチ(経済学・社会学・心理学の3つのディシプリン)では届かない、そう思う。客観的分析・要素還元主義的なアプローチだけではザツすぎる。形式論理だけで真理は抉り出せない。

重要なのは、「事業とは、自分自身の内面も含まれたメカニズムである」という自覚である。つまり、二元論的に言うと、主観と客観の接続点、分析的には間に落ちてしまっている「人間の魂」のような要素をどう扱うか、という点に自覚的かということである。

しかも、それは社員全員が対象のメカニズムである。すなわち、組織を客観的に分析するだけでは全く不十分ということ。よく離職率や平均在籍年数、業界平均給与との比較などで分析して結論付けようとするアメリカかぶれの人がいるが、そんなもの役に立たない。So what? (だから何だ?)で終わり。現実は学問の成果より複雑で、常に先に進んでしまっている。

だから、経営者みずからが、そこにある具体的戦略と具体的人間の感情に宿る法則をその都度見つけなければならない。そして、そのキモは、自身の感情も「まるごと」捉えるメカニズム思考である。外部環境と内部環境、実際はひとつながりのメカニズムである。

 

過去と未来は法則でつながっている

SWOT分析に代表されるような伝統的な分析手法が無駄だと言いたいのではない。そうではなく、それだけでは不十分といいたい。それでは役に立つ計画までは届かない。形式論理は常に仮説である。

わたしたちが棲む近代社会とは、複雑に編み込まれた織物のようなメカニズムである。しかも一瞬たりとも動きを止めないし、変化をやめない。「システム思考」や「マーケティング」「イノベーション」「マネジメント」なる言葉も、そうした近代社会の産物である。近代以前には存在しなかった。社会がひとつながりにつながったからこそ生みえた概念である。

「株式会社」もそう。そもそも「憲法」や商法に代表される「法律」も近代になってその定義は刷新されている。「経済学」に至っては、近代的な自由市場を研究すること以外は考えることすらできない。近代以前に「経済学」はない。ことほどさように、私たちが棲む「会社」という枠組みで行われる仕事は、すべて、近代というメカニズムが前提で動いている。

ゆえに計画立案という仕事も当然、この近代のメカニズムが前提になる。そして、メカニズムには法則がある。人間疎外の法則がある。そういうことである。

人間疎外とは、仏教でいう「諸法無我」ということに等しい。意味は「法則には自我が入っていない」ということ。つまり、近代社会のメカニズムは基本、意識して動かせるものではない、そういうことである。人間の意識や努力とは関係なくその法則は貫徹される。あたかも万有引力の法則の如く、市場の法則も、その市場に乗っかる私たち近代人の損得勘定も、疎外された状態で動く。そういうことである。

そして、「過去」と「未来」は、この「法則」でつながっている。「つながっている」という意味は、過去の現象も、未来で起こりうる現象も、法則は変化「しない」ということである。少なくとも原理のレベルでは変化しない。もう少し表面的に捉えても、現象レベルの変化の速度より、圧倒的に緩やかにしか変化しないだろう。変わるものより変わらないもの、それを見るのである。

 

人間の心理は宇宙ほど広くて深い

変わるものはできるだけ現場に任せればいい。それに上司がいちいち口出ししていたら、どんな社員でも嫌になるだろう。上司は変わらないものにこそ注意を集中し、確率の問題でしかないものは「現場に試行錯誤させよう」と腹をくくるべきである。拒否権だけを発動すればそれでよい。

計画は変わらない部分を読み解くことが前提である。法則以外の「遊び」の部分を真ん中に置いては間違える。それは組織で動くときの足かせにしかならない。だいたいが上司がちゃんと考えていない結果でしかない。感情的な執着である。

そうではなく、社員の感情のメカニズムにまで踏み込んだ法則の理解を経営者はする必要がある、そういうことである。それは日本人が通過してきた学校教育を知ることにもつながる。日本人の典型的な家庭教育や社会状況、思想状況なども当然含まれてくる。MBAでは到底、覆いきれるようなものではない。

人間の心は宇宙と同じくらい広くて深く、そして、複雑なのである。その全容を知ることはとても不可能である。いまだに科学はこの世界の10%も解明していない。会社にいる社員の感情も同じである。わかることよりわからないことの方が多い。その自覚が重要である。そうすればアメリカかぶれから逃れられる。

とはいえそこには必ず法則がある。近代はむしろその法則を取り出しやすい。私たち近代人には典型的な感情パターンがあるからである。それは社会がひとつにつながってきたことと関係が深い。一方で複雑極まりない人間の感情も、近代人という視点では単純化が始まっている、そうとも言えるのである。

だから、近代を相対化するのである。経営者は近代社会の歴史的メカニズムを理解するように努力することである。それがひいては、役に立つ計画を立てる能力の向上につながる。カギはMBAにあるのではない。目の前の社員の感情の動き、そして、自分自身の感情の動きの解明・理解にあるのである。

 

経営は解明されていない法則との格闘

チームビルディングのABCDというのを聞いたことがある。Aは「Aim(明確な目標)」、Bは「Board(メンバー)」、Cは「Communication(精神的安全)」、Dが「Decision(必要な決定)」だそうだ。この中で一番難しいのがDの「必要な決定」である。「必要な」というのが形式論理的には全く意味不明だからである。「必要な決定」といういい方自体がすでに循環してしまっている。形式論理的には決定の後に行動が来るからである。ドラッカーもよくこういう言い回しをするがやはり形式論理的には理解不能である。しかし、経営の現場ではこういうケースが圧倒的に多いし、こういう風に考えたほうが役に立つ。まさに原始仏教の発想である。世の中をひとつの織物として捉えようとする。

これはドラッカーがアメリカの経営学会ではあまり尊重されない事実と符合する。学会は形式論理にしか興味がない。エビデンスがあいまいなものは受け入れられないからである。どうやって学者の座席を決めたらいいのかわからない。市場と繋がっていないと、こういう困難を引き受けることになる典型である。市場原理なき人事はし烈にならざるを得ない。(おっと話が逸れた)

「必要な決定」というのは、経営者にとっての難問である。しかし、気が付くことができれば、効果が絶大なのも実感する。形式論理的には浮上しえない課題にどうやって気が付くことができるのか。

 

そこにある見えない法則を見る

「そこで作動している法則を理解する」とは、こうした、なかなか浮上しえないメカニズムに気が付くようなものである。有効に機能しているときはその存在に気が付かないほど自然なものに「まだない時」にどうやって気が付くのか。今、眼の前に見える機能の連関の「欠けている機能」にこそ目を向けること。まさに、見えないモノを見るメカニズム思考そのものである。

『見えているものは見えているからこそ見えるのであって、見えていないものは見えていないのだから見えないのである』これはソクラテスが問答したメノンのパラドクスそのものである。ソクラテスは『見えないモノは見えない』という形式論理の世界観に悶絶した。しかし、このパラドクスは形式論理を脱すると解明できるのである。コツは形式論理の相対化なのである。むしろ仏教の原理(空・縁起・唯識)に近い。それが見えないモノを見る方法である。

計画立案の作業のコツは、このメノンのパラドクスの罠に陥らないこと、である。未来は形式論理で見ることはできない。それは自らの感情のメカニズム「も含めたそこで作動する法則」を「感じる」しかない。そして、その結果宿った「いける感」という感触をいかに組織で共有するか。紙に書く計画書より、こちらの方がはるかに使える「計画」である。そして、これのみが意味のある実際的な中期経営計画となる。組織に「いける感」が生まれるとき、そこには同時に目に見えないメカニズムも生まれている。

計画は今いる実際の社員の感情と自身の感情とともにある。計画だけが勝手に独り歩きすることはないのである。「客観的な」計画などありえない。

それが使える計画を立案する時の理解のキモである。多くの社員が奮い立つ計画づくりのキモである。

計画には、私とあなたの感情が含まれる。すべてが含まれた縁起的メカニズムである。