プレコチリコ ブランドの起点(2)

哲学者、内山節さんに学ぶ「作る」という生き方

近代において、内なる「アイヒマン」は必然的に製造され続けてしまう。それは誰の心にも潜むメカニズムである。こうした爛れた、しかし、強力なメカニズムに対抗する手段はないのだろうか。私は何を追い求めているのだろうか。下りたくなかったその「軍門」をかいくぐり、できることはあるのだろうか。

内山節さんという哲学者がいる。201717日のビデオニュースに出演されている。『座席争いからの離脱のススメ』というタイトルのトークだ。神保さんと宮台さんと、3人の議論が出色だ。私は10回ほど見た。その中で内山さんが言っているのは、近代のメカニズムに対抗するには、「作る」ことに帰るしかない、というものだった。土をこねて陶器をつくる、農民が作物を作る、職人が着物を作る、商人が自分の商売を作る・・・。江戸時代の日本では、みな何かしら作っていたという。高齢化はそのころからあったが何も問題だとは認識されていなかった。それは、作るという行為の中には、どうしても「他者との関係を作る」という作業が埋め込まれざるを得ないから。人間はその行為を通じて「自分」というもの(「文脈・物語り」)をイチイチ確認することになる。他者との関係を整えるよう自分を刷新していく学習サイクルが自然と回るということだろう。

内山さんはこうも言っている。昨今の高齢化の問題は実は、高齢化そのものの問題ではなく、「サラリーマンが高齢化した問題」でしかないのだと。サラリーマンは「作ら」ない。上から与えられたメニューをこなすだけ。“選ぶ”ということはかろうじてやっているが、それは作ることではない。「選ぶ」と「作る」は全く違う。学校に行きだしてから、ずーっと「選ぶ」だけで定年を迎える。そして、突然、誰も何も与えてくれなくなる。何十年も慣れ親しんできたお作法をもう使えない。その時ハタと気が付くのだそうだ。自分は何も作ってこなかったな、と。

内山さんはこうした気づきは、実は世界中でそれに対抗する萌芽を生んでいるともおっしゃっていた。ヨーロッパでも、この日本でも。脱サラして農業を始める人。定年後、退職金で田舎に引っ越して手作りの雑貨を販売しながらカフェを営む人。アメリカの事例だったが、会社というものでも、従業員共同所有形態なるガバナンスが試みられているそうだ。

 

「作る」を会社に置き換える

「作る」という作法。私たちの“会社”に置き換えたらどういうことになるのだろうか。しかも21世紀のこれからの時代。高度経済成長期のような重厚長大製造業的なやり口はそのままでは通用しないだろう。いくら資金を集めてみたところで、我々のような後発企業に、そんな領域にチャンスなどあるはずもない。今更、クルマや飛行機や重電機械でもないだろう。そんなものこれ以上、社会は必要としていないようにも見える。

「これからは価値観の時代」ともいわれて久しい。しかし、この30年、ほとんど言われなくなってしまった気がする。どうしたことか。疲れ果ててしまったか、逃走してしまったか。価値観というやつを実現したいと思ったら、自分を取り巻くメカニズムを理解して、そこに適切に位置付けてやる必要がある。そうしてはじめて、自分の日常の生活と夢が結びつき始める。徒手空拳で妄想してみても、辛くなって諦めるだけである。この30年、方法論を知らない人たちによる実験が徒労感を生んでいるのだと思う。そう、「アイヒマン」を撃退する方法論を、だ。

 

「作る」=マーケティング&イノベーション

会社という組織で働きながら「作る」という人生を送るための方法論は、すでにドラッカーが教えてくれていると私は思っている。それがマーケティング&イノベーションという体系、そして、それを総括したマネジメントだ。

しかし、ここでいきなり難所にぶつかってしまう。「作る」ということと、マーケティング&イノベーションのイメージが全く結びつかないのではないだろうか。学校で習った、または巷に流布するマーケティングのイメージは、どちらかと言えば4PProduct-Price-Place-Promotion)などの技術的な面を掘り下げるもの。酷いものになると広告やPRの手法くらいにしか思われてない。イノベーションにしてもしかり。日経新聞ですらイノベーションを「技術革新」と訳している例が多い。高名な経済学者もイノベーションを技術革新とする人が多い。おそらく、シュンペーターの『経済発展の理論』を読んでいるからなのだろうが、読みが浅い。というか現場での実践がないのだろう。シュンペーターのこの本では、馬車が鉄道に変わった事例が取り上げられているのだが、その原理には当然、産業革命で有名なワットの蒸気機関が関わっている。それでイノベーション=技術革新と早とちりしたのかもしれないが、その弊害たるやすさまじい。こうして、マーケティングとイノベーションという社会メカニズム的、哲学的概念は捻じ曲げられた。ドラッカーの理念は、わかる人にしかわからない、一子相伝の技と化しつつある。でも、当然だが、ドラッカーはそんなこと考えてはいないし、マーケティング・イノベーションという概念は、そんなに難しいものでもない。私たちのような凡人がよりよく生きていくために、そう、内山節さんがおっしゃる「作る」という作法を実現するために存在する方法論といっていいものなのである。そりゃそうだろう。人間がよりよく生きること、をとことん考えたなら、それが西洋だろうと東洋だろうと、2000年前だろうと21世紀の未来だろうと、そう変わるものではないのではないか。

 

マーケティング&イノベーションとは何か

的は絞られた。私が昔、軍門に下ることを拒否した、ぶん回るマクロメカニズムの中にどっぷりと浸かる会社という最も就業人口の多い組織で、内山さんの「作る」を実践するには、マーケティングとイノベーション、つまりは、ドラッカーのマネジメントを理解し実践すればいいのである。「アイヒマン」撃退方法はこのマーケティングとイノベーションにある。

では、マーケティングとは何だろうか。イノベーションとはどんな概念なのだろうか。そして、ドラッカーのいうマネジメントとは?それを整理しなければならない。