合宿報告③_星座を呼び起こす・星座を拡張する

合宿報告③_星座を呼び起こす・星座を拡張する

日常と非日常

今回の中期経営計画の合宿は大成功である。具体的な数字やモデルを使って科学的思考にチャレンジするかなり高度な内容にもかかわらず、多くの社員が「生まれて初めて補習が楽しみ」だと言っていた。合宿専門で組んだチームの解散を惜しむ声も多い。そして、来週から合宿は4週目に入る。

しかし、これもいつかは終わりを迎える。ズーっと合宿をやっているわけにもいくまい。でも、この高揚感、日々、感じられるように出来ないものか。社員の誰しも考えることだろう。私もそう思う。それで、今回は「日常と非日常」の関係を整理してみたい、そう思った。合宿という「非日常」といつもの月曜日から始まる「日常」の仕事。そこにどう折り合いをつけたらいいのか。いつも合宿のような気持ちで仕事に望めないものか。それを考えてみたい。

 

「3択問題」問題

鍵は、常に全体像を見失わないことである。今、自分はどこにいて、どこに行こうとしているのか、それを見失わないように気を付けることである。合宿中に生まれた「『3択問題』問題」という視座を、現場のチームでも常に意識し合うことである。目の前の課題にそのまま(盲目的に)手を付けてはならない。まずはじっくりとその問題の本質を見極めてから。「それは何問題なのか?」「それは本当に問題なのか?」「状況を意味づける」「東西南北・前後左右を考える」・・・、言い回しは様々あるが、要は、瓦礫の集合に囲まれたまま仕事をしないことである。自分の周りに星座は輝いているのか?北極星の位置はどこか?それを、いつも確認しながら仕事に向かおう。

 

そのためのチーム

もし、星座が見えなかったらどうするか?そのためにチームで仕事をやっている。そのための上司である。上司がわからなかったら、上司は上司に問い合わせよう。わかったつもり、わかったふりは禁物である。最終的に「社長」まで行ってわからなかったらどうするか?それはあきらめるしかない。みんなでわかるまで考えるしかない。事業とはそういうものである。社長は端からそのつもりである。わかるまで考え続けて答えを出す。必要ならばそれこそ何年でも、考え続けることなどザラである。それが「事業を手作りする」「仕事をつくる」ということの本質である。

 

それでも必要な仕掛け

それでも人間である。一度、眠って朝起きたら、だいたい忘れているものである。事業全体を捉え続けることなど、社長でも難しい。だから、新たな仕掛けも用意しようと思っている。それは「ウィークリー・オントロジー」という毎週月曜日、朝の短いミーティングである。そこで、合宿で行われた議論を思い出すべく、また、洗練させるべく、簡単なチームでの議論をしてもらおうと思う。問いは経営企画や私が考えておく。毎週、朝、合宿モードを呼び起こす。オントロジーという星座の部品を、一つでも呼び起こしてから仕事に向かう、その仕掛けである。

 

星座を拡張する

それでも、それでも・・・

しばらくしたらマンネリ化は避けられないだろう。そんなときはどうしたらよいのか。

今回、実は合宿では扱えていないテーマが残っている。それは「人事制度」の議論と「資本政策」の議論である。これは事業戦略の議論よりもはるかに難しいし、高度な知識や経験を要する。特に「資本政策」については、特殊な会社に所属しない限り、社員という立場では、一生経験しない人も多いことだろう。しかし、これがなければ星座は完成しない。「未来」は本当の意味では「神」にはならない。自分が結局、どんな会社で仕事をしているのか、自分の努力が世界にどう貢献しているのか、どんな輝かしい未来のために仕事をしているのか、それが結局は明確にならない。

わたしは「会社をつくることは世界をつくることに繋がる」といった。それは「戦後日本社会の困難を少しでも癒すものである」と自負している。しかし、それは事業戦略だけでは完成しないのである。それだけでは、結局は「株主のために努力を続ける」という近代資本主義の大きな枠組みの中からは出られないのである。積み上げた経済的価値は、フローでは人事制度によって、ストックでは株主政策(資本政策)によって決まるのである。そこをこそ作り込まなければ、近代社会の「流れ」は変えられない。

 

今回の中期経営計画合宿の中では届かない。間に合わない。しかし、もし、そこに気が付く社員がいれば、それを問いただしてくれて構わない。来年以降の中計合宿で議論したいと思っているが、モヤモヤするようなら私が答えようと思う。そもそもこの会社は、どこに向かおうとしているのか?を。それは、私が新卒の時に感じた素朴な疑問でもある。

 

本当にこの会社に全身全霊を傾けてよいのか?

 

それが一番知りたいことであろう。私もそうだった。いま、一つだけここに書き記しておく。

今、頭の中にある、その「資本政策」はとても困難ではある。しかし、それにチャレンジしなければ、この戦後日本社会の困難、ひいては世界の資本主義・民主主義の困難の解決には寄与しないだろう、と思っている。会社は会社のまま、近代の枠組みを少しでも善きものにすることには貢献できないだろうと思う。

経済的価値は膨らませることが出来る。それは事業戦略の問題である。しかし、それは所詮、近代社会の内側の話である。その枠を突破することはできないのか?それが、私がこの会社を創業した本当の理由なのだから。

 

科学的思考という大きな武器を手に入れて、それを未来の世代のために使えないならば、何が善き会社か、そう思う。機が熟すのを期待したい。