【ニュースコラム】RCEP・近代化・宇沢弘文
TPPに反対し続けた宇沢弘文さん
RCEPとは「アールセップ(コトバンクより)」、Regional Comprehensive Economic Partnership=東アジア地域包括的経済連携の略称である。いわゆる参加国間で関税(輸入の際の税金)を撤廃しましょう、という国家間の約束事のこと。ASEAN10ヵ国、日本、中国、韓国、ニュージーランド、オーストラリアなどが参加しているらしい。来年の1月から効力を発揮し、対象品目ごとに関税を段階的に撤廃していくという。記事には電気自動車の部品やお酒、家電、繊維などが対象として載っていた。ちなみに日本のお米は入っていないらしい。
この記事を読んで真っ先に思い出したのが数年前に他界された宇沢弘文うざわひろふみさんのことだった。宇沢さんは、RCEPと同様の趣旨のTPP(環太平洋経済連携協定)に最後まで反対し続けていたからだ。その意味するところを一度整理してみたくなった。
宇沢さんは世界的にも著名な日本を代表する経済学者である(であった)。これまた著名な経済学者であり(あった)、また、ゴリゴリの自由主義経済論者で知られるミルトン・フリードマンと共に働きながらも(1960年代のシカゴ大学にて)、それに違和感を表明し、日本に帰国して活動を続けられていた方である。『社会的共通資本』『自動車の社会的費用』『豊かな社会の貧しさ』という著作が示すように、経済一辺倒の発展に警鐘を鳴らし続けた方である。ご自身は都内での移動はクルマを使わず走っていたそう。晩年、マル激にも出演しTPP反対の持論を語られていた。私はその番組をもう5回以上は見ている(過去の分なのでVimeoで見れる)。
私は宇沢さんの生き方を尊敬する。素直にカッコいいと思う。そして、経営者こそ宇沢さんの思想を学ばなければならないと思う。日経の記事にはそうした思想のカケラも感じなかったのでここに記すことにした。
自由貿易協定の意味
RCEPの目的は自国の経済を膨らませることにある。これまで関税で輸出が不利だった国にも安く売ることが出来るようになる(そうした商品が増えるということ)。記事にはGDPが15兆円増えるとあった。日本のGDPはだいたい500兆円だから3%の増加ということになる。もちろん品目によってはその逆もあるのだが、日本トータルではプラスの効果の方が大きいらしい。
それだけ聞くと喜ばしいことでしかない。日本の商品がたくさん売れるのである。日本人の儲けが全体で増えるだろう。確かに悪いことではない。わたしもその点を批判したいのではない。宇沢さんも同じであろう。
しかし、「ものごとは常に多面体」なので、一面ばかりを見てわかった気になってはいけない。自由貿易協定の裏側と長期的な意味合いも考えておく必要があるのではないか、ということである。日本人はすぐに短絡的に結論を出したがる。すっきり納得したがり、問題が存在しないかのように錯覚して、考えることをやめてしまう。そこが社会を根底から蝕んでいるのだから・・・
関税自主権の意味
思えば明治の開国の時、日本は列強と呼ばれたアメリカやイギリスに力で関税の自主権(自由に輸入関税を設定する権利=独立国の象徴といえる)を奪われたのである。それをひっくり返すのに40年余りを要した。そして、その恨みの感情の蓄積が太平洋戦争を招き寄せてしまった。もう列強に国家としての尊厳を踏みにじられたくない、それが戦争の一番の動機だったのである。
国内の産業が外国の製品に潰されていくことは何を意味するのか。まだ弱い産業が経済発展で先行する外国の製品と同じ土俵で戦うことは、一見フェアにも思うが、歴史を眺めて見るとそうは言い切れないことに気が付く。消費者は安い商品が買えてラッキーなのかもしれないが、消費者は同時に生産者でもある。「つくる」は地域の文化を根底で支える。人間は消費より生産(つくること)で意味を見出すことが多い。生きる意味を奪われた人間は他の何かで埋め合わせようとするだろう。関税とは、巡り巡って人々の生きる意味を守っているという側面があるのである。それを急速に撤廃すると人間の心は対応しきれないのである。その何かが戦争であった、ともいえるのではないか。私はそう思う。同じ構造を今、経済的にまだ弱い他国に押し付けてはいないか。
コモンの創造を伴う経済発展を
経済の発展と生きる意味と。どちらをどれだけ優先させるべきか。バランスのカギは「時間」にあると思う。10年やそこらで関税を撤廃してしまうと、生産者は事業モデルを転換しきれない。違う強みを作り上げるのに20年はかかる。それが産業全体ともなれば50年スパンで見るべきだろう。国の産業政策とはそれくらいの時間軸で考えるべきではないか。
そして、もうひとつ重要な点。それが「なんでもかんでも市場取引に委ねるべきではない」という視点である。これが宇沢さんの主要な主張の論点である。つまりコモンの創造という視点。宇沢さんは特に農業を強調しておられた。農業こそが国の文化の根本である、と。だから、農産品の輸出を喜ぶより、自国の農業を文化として守るべきとおっしゃられていた。農業は生み出される作物を商品として見るだけでなく、そのプロセス全体を文化としてみるべきである。山や川や土、そして、家畜や人とのつながりなど、そのすべてが大切な文化を形成しているのだ。それが社会的共通資本(コモン)の代表的なものである、と。
コモンとはもう少し抽象的に考えると「生きる意味、それを生み出すもの」ということになると思う。お金で買えない何ものか。人々との触れ合いの時間やものを作るような時間。何かとの関係を楽しむこと、関係から作ること、そのリソースといってもいいのかもしれない。適切な時間感覚が必要なのである。
そう、コモンの創造を伴いながら経済を発展させようとするとどうしても時間がかかるのである。お金だけ、経済を膨らませることだけを考えることは時間がかからない。資本主義の中心価値(アメリカ建国の精神でもある)は「Time is Money」である。これを功利主義という。利益のみを追求すること。つまり経済しか考えないこと。わずらわしいコモンなど考えないから単純明快で経済には有利な思想である。だからアメリカは世界一の強国になった。正しかったからではなく、強かったからである。つまり、コモンの創造に関心がなかったからである。他国のコモンを奪い尽くし、加速度的に成長していった(他国の事情を外部化して見えないようにしてしまうからまったく心が痛まない)。RCEPにはこうした側面が必ず伴うこと、それを忘れてはいけないのではないかと思う。150年前、アメリカやイギリスに日本がされたことを、今、日本が他国にしている可能性はないのか。面倒でも考える必要があると思う。
社会主義に共感を感じる人がビジネスを学ばないといけない
生きる意味を気にしながら、壊れないように気遣いながら市場で戦うことは倍の労力が必要である。端的に、関わる生産者の学習速度に寄り添う必要があるからである。仮に一番学習速度の遅いひとに全体の成長速度をあわせようとすれば功利主義の10倍以上はかかるのではないか。それでも潰れないようにしようとすれば、やはり国家の保護が必要とされるだろう。規制(=関税)は一方で既得権益という甘えをも生むが、一方で文化を育てる余裕も生むのである。
要は、市場競争は必要だが、時間をかけるべきところは時間をかけなければいけないのである。一番時間がかかるのは人々の学習(認識の刷新)である。それを国レベルで考えること。それが社会的共通資本(≒コモン)を考えること、そう宇沢さんは言っていたような気がする。
考えなければならないのは「物事は簡単に割り切れない」ということ。新自由主義のように経済のみを考える思想は、その割り切れないものを割り切って考えるから勢いがあるし競争にすこぶる強い。しかし、新自由主義者は誰かの生きる意味を知らぬ間に奪い去っているということ。それに思いを馳せる必要があるのではないか。
コモンというものを考えながら市場競争をも勝ち抜こうと努力すること。それがマルクスの考えた社会主義・共産主義である。コモンの創造と競争と、両者を決して手放さないこと。『論語と算盤』を書いた渋沢栄一の思想やドラッカーの思想とも重なる思想である。
いま日本の経営者が一番、考えなければいけない論点だと思う。経済で勝つこと「だけ」が人生の意味ではないのだから。そして、意味を供給してくれた宗教は近代化で消し去られて久しいのだから。日本にはもともと神はいないのだけれど・・・
RCEPの記事を読みながらそんなことを考えた。