【ニュースコラム】「最低賃金」議論に見る日本人の論理オンチ
根拠に基づく政策?
「中央最低賃金審議会」なる厚生省の諮問機関が2021年度の答申を出した。一律28円上げ、全国平均で時給930円とする。新聞でも関連する記事がたくさん出ている。政府はかねてより「エビデンスに基づいた政策立案」といっている。日商の会頭は大企業の下請け企業の生産性向上が先だ、と公言して憚らない。労組は労働者の生活向上のために賃上げを、と相も変らぬ一本調子。日経はエビデンスを示せ、でも、大学の先生にはいろんな意見がある・・・としか書かない。利権蠢く政治の現場にビジョンを与えるのは日本人のもっとも不得手とすること。論理の力で人々を説得しようにも、その論理がわからない人が集まっているのである。そこで、最低賃金の議論について、わたしなりに論理的な整理を試みたい。自分自身をも納得させるために。
議論の目的を整理せよ
まず、最低賃金の議論は何のためにしているのか?それをはっきりさせることから始めるのが常套である。一番大きな目的‐手段図式に議論を設定して、利害が衝突する場所を「部分化」することが肝要である。アジェンダ・セッティングという。議論の前に議論の「場」をセッティングすること。これで7割がた着地は見えてくる。
最低賃金の議論の目的は、日本国経済の発展である。端的にGDPの成長。労働者の生活の質の向上は経済発展の「結果」であり、最低賃金を上げた際に心配になる中小企業の経営破綻は、そもそも経営者の個人的責任でしかない。一番大きな目的のためにルールを政府が作って、そのルールの中で自由に経済活動を行い経営者は結果に責任を持つ、それが民主主義国の作法である。その中で倒産する会社が出るのは致し方ない。資本主義は弱肉強食を原理原則とする。そうはっきり言うべきである。規制を入れるべき場所は「競争政策」のみ。現在のバイデン政権が推し進めている政策理念である。1社独占だけは許してはいけない。独占しそうになったら当局が分割する。あとは市場の原理に任せること。これである。
政府の役割り
政府は企業にイノベーションの「場」を提供すること。そして、障害を取り除くこと、である。過去には、1970年前後に田中角栄が行った「日中国交正常化」や「中東独自外交」がそれにあたる。角栄は、低成長に入りそうになった日本経済の生産地を中国に移すことを目論んだ。企業は原価を下げ価格競争力のある製品を世界に売ることが可能になる「はず」。また、エネルギーのほぼ100%を依存する中東と独自の友好関係を築いてその供給を安定させること。アメリカの都合で日本経済の地面が揺れることを抑えようとしたのである。巨大なビジョン、大きな「仮説」であった。
結局、アメリカに邪魔されて大きなビジョンはアメリカの主導で行われることになってしまったのではあるが、結果は角栄の目論見がほぼ当たったといっていい。日本経済はその後、再びの成長路線に戻ることになり80年代のバブル崩壊まで突っ走ることになった。
いまこれにあたる、一番楽な経済政策が「最低賃金の引き上げ」なのである。外交を交えずとも国内だけで可能である。角栄の時代に比べ内需経済に転じた日本である。その内需を刺激するのは人々の賃金である。しかも中小企業で働く人々の賃金。消費性向が高い人々の賃金を上げるのが消費を刺激する最高の策である。それを計画的・段階的に法律で行うこと。少子高齢化の時代、引き締まった経済を作りあげる論理一貫した唯一の政策である。
経済発展のエンジンは唯一、イノベーション
目的であるGDP成長の原動力は、唯一、企業によるイノベーションである。それが辛かろうが難しかろうが、そんなことは関係ない。ついていけない経営者が経営する会社が倒産しようが、辛くなった経営者が首をくくって自殺しようが、そんなこと些末なことでしかないのである。社員の仕事にもプレッシャーがかかることになるやもしれぬ。それで多くの社員が辞めていくかもしれない。でも、それも仕方のないことである。私たちの国は民主主義・資本主義体制を選んでいる。自由に発言できることに価値を置く社会である。
放っておいても給与が振り込まれるようにしてほしいから、と言って社会主義体制を選ぶ選択肢は確かにある。努力が嫌だから、みんなで一緒に貧乏になることもできる。今の中国のように強権的な政府に日常を監視させて給料を恵んでもらうことも可能かもしれない。しかし、自由な発言・行動と、今ほどの生活レベルの両方を維持したいのなら、「努力」がセットでついてくることを覚悟しなければいけない。いいとこどりは近代社会では無理なのである。
でも、みんながみんな努力出来るわけではない。「フツウ」の人々はたいがい怠惰である。論理思考もほとんど出来ない。日本人は特にそう。だから、小さな会社の経営者に働いてもらおうというのである。人的資源の一番貴重な部位である、160万人の「経営者」を最低賃金の計画的・段階的なUPで追い込んで、国民のために働いてもらおうではないか。経済唯一の成長エンジンであるイノベーションを起こしてもらおうではないか。それが「最低賃金UP」の議論の焦点である。とても合理的。これ以外、成熟した日本経済を再び成長軌道に乗せる方法は論理的にはないのである。
「生産性の向上が先だ」という日商会頭の発言は最低である
一番大きな目的手段図式を設定して議論を整理すると日商会頭の発言がいかに売国奴的か、というのがわかるだろう。彼は日本の中小企業のドンである。その彼が全体を見損なっている。日本国全体の経済発展などどうでもいいとしか思えない発言を繰り返している。それよりも何よりも、彼が「大企業の下請け」と定義している中小企業は、低賃金で働いて自分たち大企業に奉仕すればよろしい!そう思っているのではないかと勘繰ってしまうほど。論理一貫的に考えるとそうとしか思えない。彼の出身母体である鉄鋼業界以外のことを考えているとはとても思えないのである。一番大きな目的手段図式など、彼の頭にはないのだろう。日本商工会議所はもはや経団連の下請けということか。本当に腹立たしい。
エビデンスなど示せないのがイノベーションの特徴
政府や日経の発言もおかしい。イノベーションは前もってエビデンスを示せないのがその特徴なのである。イノベーションとは、市場にいる人々の認識が、企業の提案によって一瞬で刷新されること。そして、新しい、これまでなかった市場が生まれることを指す。つまり、この世界が私たちひとりひとりの思い込みで出来上がっているという、まずはベーシックな世界理解が大事になる。それを分かっているのが(わかるべきなのが)、希少資源である経営者なのである。実績のある経営者だけなのである。
何もないところから売上を上げたことのない人にはわかりようがない。指示されることを待って仕事をしている官僚や二世政治家、すでに構造が出来上がっている業界でしか仕事をしたことがない日商の会頭にはわかりようがないのかもしれない。仕事の規模はイノベーションには関係ない。イノベーションはスマホのような大きなものから、わたしたちが扱う家具のように小さなものまで多種多様である。スマホやプリウスしか、イノベーションの事例が頭に浮かばなかったら、あなたはイノベーションの原理がわかっていない。イノベーションとは、小泉進次郎のいうような「創意工夫」では決してないのである。
わかっている人が強権で進めるか、論理的な人々が集まって論理的な議論をするか
イノベーションの原理がど真ん中で絡む「最低賃金UP」の議論は、政策の中でももっとも難しい部類に入る。角栄のような天才的な政治家でも出現しない限り、膠着状態を突破することは出来ないのかもしれない。利権操作とビジョンが同居する人間などもはや出現しようがないかもしれない。私にやれと言われても恐れおののいてしまう。
もうひとつの方法は論理的な国民を地道に増やすことである。何十年かは日本経済が沈むことはもはや覚悟して、小学校1年生から「論理国語」の授業を徹底的に教えること。その子供たちが大人になって社会の中心を占める40年後、50年後に再び、国民がまともな議論が出来るようになってまともな政治家を選ぶこと。そうした幸福な国になれるように今から地道な努力をコツコツ始めることである。
日本人は論理力を誤解している
民主主義の基本の「キ」である、国民一人一人の論理力。つまりは、ことばの力。シニフィアンを暗記するのではなく、シニフィエの構造を描くこと。ことばの背景にある、構造や因果を読み解く力こそが論理力である。
しかし、論理力のない日本人は、論理とは「冷たい人が身に着けているモノ」と思い込もうと必死である。全体を考えること、物事の構造を考えることは、論理力のない人にとっては人間を捨てること、なのである。そうしないと自分の存在が危ぶまれるからでしかないのだが、論理力のない人は必死である。「優しい人間」というポジションまで奪われると自分の居場所がなくなるのだから。だからといって努力するのも嫌なのである。毎日、考えるという辛い作業もしたくない。だから、論理という厄介なシロモノを向こうに追いやって自己保身を図る。それが一番手っ取り早いのである。とことん卑怯な人種、それが論理力のない人々である。
そんな人間を増やしてはいけいない。そんな浅ましい人間が増えると社会はこうして沈んでいく。それが今の日本の姿なのである。
最低賃金の議論を見ると、論理力のない人間が日本の上の方を支配している姿が浮かび上がる。論理的な議論をする人間より、利権を操作しようとする人間を優しい人・いい人として認知してしまうのが今の日本人の姿なのである。論理的な人は、今は選挙で通らない。権力を握れない・・・
論理的に考えれば、最低賃金の議論はどこに着地させるべきか、は明確である。その際の痛みは受け入れるべきものなのか、避けるべきものなのかもはっきりしている。頑張るべきは誰なのか、みんなのために知恵を振り絞って努力すべきが小さな会社の経営者であることもはっきりしているのである。
小さな会社は給料を上げよ
本当は最低賃金のUPというカタチでみんなで給料を上げていくほうが好ましい。1社だけが給料を上げていけば、そのカイシャは競争上不利になってしまう。
それでも小さな会社は給料をどんどん上げていくべきだと思う。そうして経営者が自分自身を追い込むこと。追い込んで、イノベーションを計画的に狙って起こすこと。固定費が低く抑えられると経営者もどうしても辛い仕事から逃げてしまいがち。そんな怠惰な自分を追い込むのである。
それが小さな会社の経営者に課せられた、「今日」的な社会貢献である。
わたしもその「小さな会社」の経営者である。だから給料を引き上げる。来期から始まる新中期経営計画の締めは報酬制度の改革である。その趣旨は、経営者を追い込むこと。経営者に一番仕事をさせることである。その覚悟を示すこと。
日本人の論理力のなさを嘆く私である。そんな私が論理的な帰結を受け入れないわけにはいかない。最低賃金の議論は迷走を極めそうだけど、そんな中でも出来ることはあるはず。わたしにも出来ることはあるはずである。
最近、かまびすしい最低賃金についての「識者」たちの議論を聞いて考えた。
みなさんはどう思うだろうか。