正義が溶けていく
あらためて、インターネットのインパクト
アメリカの大統領選挙がほぼ決着を見たようだ。世界にとってはなんだかほっとしたような結果である。でも、大きなイベントの目くらましにあって、時代が抱える巨大な課題に目を背けている場合ではないだろう。時代の危機の本質はそんなものじゃない。大統領が変わったくらいでどうにかなるものではない。
時代の危機の本質はインターネットが起こした構造変化にある。インターネットが破壊したもの、そして、引き続き破壊し続けているもの。30年前に発症したインターネットという病原体は、いまや確実に人々を分断に導いている。
分断の本質は物理的なモノではない。その本質は形式論理という人類共通の遺産の溶解である。それは人々が善しとする近代社会「以前的な価値」である。かろうじて保ってきた近代という枠組みの土台そのものである。中世後期、宗教改革によって始まり、公式にはアメリカが主導して世界を形作ってきた「社会正義のための遺産」である。それは制度でもあるが、物理的なモノではない。本質的に人々のエートス(行動様式)である。法律という名で最後の俵を保っているように見えるが、それは本質ではない。正義の本質は人々の規範的な「ものの見方・考え方」である。だからそんなもの、損得勘定という本能的な行動規範の蔓延の前にはひとたまりもない。世界ではいまや「正義」が溶けてなくなろうとしている。ポストトゥルース現象の本質である。
その病原体蔓延の原因はインターネットというつながりである。インターネットは基本、国境など意に介さない。どこにいても一瞬でつながってしまう。コロナ禍で物理的な接触ができにくくなった結果、その傾向には拍車がかかった。もはや老若男女ともにネットユーザーである。危機の本質は今や、悪貨と良貨のせめぎ合いである。
「空(くう)」化する世界
近代社会の正義は、メカニズム思考で保たれている。メカニズム思考は形式論理で支えられる。それは全体を全体のまま考えようとする思考努力である。遠い歴史を参照し、空間軸を世界に広げて人類の幸福をメカニズムで考える努力である。近代の正義は「国民国家」「資本主義」「民主主義」の3本の柱で支えられてきた。社会の指導層は、空間軸と時間軸を目いっぱい広げてこの近代の物語りのシナリオを保つ責任を有する。エリートにはメカニズム思考が必須である。社会にアガペー(キリスト教的_愛)を行き渡らせるために、そして、私たち大衆の損得勘定という欲望を秩序立てるために。
しかし、今や、インターネットが形式論理の壁面を溶かしている。溶かし始めてすでに30年。アメリカもすっかり分断が進んでしまった。形式論理が溶けると人々はむき出しの欲望を隠さなくなる。世界は「空(くう)」の原理で満たされる。それは野生の論理であり、弱肉強食の原理である。ゲバルトを背景にした資本の論理が世界を席巻しつつある。GAFAはほんの走りでしかないだろう。アメリカも中国も、国家的利権が幅を利かす。
日本はそうした意味で課題先進国である。「空(くう)」の原理をもとにした経済活動は今や全体の80%に達するようだ。言わずと知れた官製経済、天下りネットワークである。イノベーションを枯渇させる支配欲原理の経済である。
日本でそれが始まったのは30年前ではない。実に今から50年前。ロッキード事件がきっかけである。ロッキード事件が葬ったのは田中角栄という天才政治家であると同時に、日本人の正義感だった。かろうじて保っていた戦後の形式論理=メカニズム思考=社会正義を、アメリカとそれに連なる支配欲人脈が踏みつぶした。A級戦犯右翼、児玉誉志夫に連なる利権人脈は今でも脈々と受け継がれる。先日亡くなった中曽根元総理大臣の葬儀に公金を堂々と使うあたりからもうかがい知れる。安倍首相も菅首相も、空の原理に支配される自己の欲望を優先させる人間である。つまりメカニズム思考で社会正義を貫徹させようとする熱血漢ではない。とってつけたような屁理屈で自己の欲望を正当化する。「・・・結べば芝の庵にて解くれば元の野原なりけり(慈円)」。空の原理が形式論理という近代的正義を蹂躙していることに気が付きもしない。
鬼滅の刃のヒット_人々が込める願い
田中角栄は50年前の鬼滅の刃の炭次郎だったのである。金権政治家と揶揄されながらも、そのカネは自己の懐に入れるのではなく、社会正義のためにこそ使った。社会正義のための権力・カネか、私腹を肥やすための権力・カネか、その違いである。田中角栄は社会をメカニズムで捉えていたと思う。アガペーをメカニズムを通して満たそうとした。形式論理に努力した政治家である。もちろん形式論理が正義、空が個人の欲望・損得勘定である。
この事実は最近発売された『ロッキード疑獄_角栄を葬り巨悪を逃す(春名幹夫著)』に詳しい。決して陰謀論ではない。綿密な取材とメカニズム思考的洞察力を駆使した社会正義の書である。角栄は、書籍内に登場する児玉誉志夫や中曽根元首相といった空の原理を駆使する欲望の人脈とは一線を画す。中曽根康弘は『鬼滅の刃』の鬼だった。書籍の成果はそれを物語る。
『鬼滅の刃』はこんな時代の腐敗臭を嗅ぎつけた結果のヒットなのであろう。主人公の炭次郎の行動原理は溶けつつある近代の正義感(=形式論理)そのものである。損得勘定ではなく、メカニズム思考を基盤にした正義感にこそ価値があると内省を繰り返す。作者は女性だという噂だが、それも、今という腐りかけた時代に対するアンチテーゼのような気がしてならない。インターネットが加速させる近代的正義の溶解への歯止め、それへの願いのような気がしてならない。児玉誉志夫的行動原理(利権で身内を肥えさす)ではなく、田中角栄的行動原理(よき社会メカニズムを創造し巡り巡って幸福をもたらす)を渇望する女性の鋭い洞察がこの作品をモノにしたのではないか。インターネットを伝う人間の浅ましさという病原菌は、田中角栄的正義を溶かしてしまう。日本ではもう50年を経過する。日本の財政は今やすっかりアメリカの子会社である。
インターネットという正義のワクチン
インターネットは確かに社会正義を溶かす病原体を運ぶ。それは全体を全体のまま見ようとする近代社会が前提としてきた形式論理を亡き者にしてしまう強烈な病原菌である。人々はそれに言い知れぬ不安を感じている。何か突破口はないものか・・・
インターネットの技術的進化はもはや逆回転しない。世界の「空(くう)」化=本能化も不可逆である。「国民国家」「資本主義」「民主主義」という近代の正義の枠組みは、2035年に中国がアメリカのGDPを抜き去る時に瓦解する。世界の空気は一変するだろう。世界が「日本化」する瞬間である。形式論理はどこかに追いやられ、社会貢献(システムを構築する地道な努力)より世間貢献(身内を肥えさせる)が優先される。世界は日本のような本音と建前の社会に脱臼する。もちろん本音が利権・欲望で、建前が近代社会の形式正義である。
でも望みはある。病原菌を運ぶ免疫機構は、同時にワクチンを運ぶメカニズムにもなりえるのである。その免疫的メカニズムを、病原体を運ぶためではなく、悪影響を中和するワクチンを運ぶ触媒とはできないか。そう思考実験してみる。インターネットは近代社会を形成してきた正義の枠組みを溶解するかもしれないが、そのネットワークは人々を感情的に分断してきた壁をも溶かすだろう。『鬼滅の刃』的正義感は、世界共通の価値でもある。日本のアニメが世界でヒットする最大の理由であろう。日本という課題先進国が意図せず生み出した物語りは、同時に世界の人々が無意識に欲している神話でもある。
世界はこのまま正義の崩壊に向かうのか。それとも草の根的な中小企業の良心が一縷の望みとなりえるのか。私たちは、当然、後者の援軍である。課題先進国日本の良心として、炭次郎的正義を育てたい。そう思う。
21世紀はアメリカ大統領選挙のような巨大なイベントはむしろ影響力を持ちえなくなる時代である。コロナに象徴されるように、草の根的正義が音言わず浸透する。そんな時代のメカニズムである。今回の大統領選挙の民主党勝利を横目にそんなことを考えた。