「どんな自分でありたいか」素直に言葉にしてみたら
本日の朝礼テーマ
毎朝のものかき部との朝礼では「どんな自分でありたいか」について話してみました。最近メンバーの1人から教えてもらった本の中に出てきた、自分のライフビジョン、ありたい姿を書き出してみてそれに近づくように意識と行動を変えるという話が印象的だったから。週末になんとなく考えていて、自分で実践してみようと思ったけれど、ぜひみんなの考えも聞いてみたいと思ったのです。
ちなみに私の場合、一部ですがこんな感じです。
・仕事に前向きで、新しい挑戦にも積極的に取り組む
・自分自身も楽しく働き、周囲も楽しく働くためにいい影響を与えられる
・社会と仕事、自分の内面を繋ぐために常に学習と内省を繰り返す
・女性として輝いており、外見にも気を遣い、内面からも美しさを感じられる
言葉に出してみるとなかなか恥ずかしいですし、現実の自分とのギャップが大きく「全然ダメだな~」という思いもあります。でも、どうせ無理だと諦めるのではなくこれを常に思うこと、考えることに意味があるように感じました。他のメンバーも素直な気持ちで話してくれて、お互いに受け止めあって。たったそれだけのことだけど、朝から明るい気持ちになったのです。
あらゆる方向から縛られている私たち
わたしたちの生きる社会には、思い込みによってつくられた暗黙のルールや、簡単には外せない頑丈な枠がたくさん存在します。それが良い悪いというわけではなく、その存在に気付いているかどうかが大事に思います。そんな社会の中で自分がどういう場所に立っているのか。職業、性別、年齢、経験・・・あなたは今この位置にいるよ、と知らず知らずのうちに思い込まされていたような気がしています。
それが不自由なものとして感じることもあれば、一方で安心感として受け取ってしまうこともあるのが厄介なところ。自分の頭で考えずとも「~だから、~であるべき」という世間の参考意見に従っていれば大きな間違いはないだろうと思ってしまうのです。「いい学校に入っていい会社に入るべき」「何歳くらいで結婚して家庭をもつべき」「会社で〇年目だと大体このくらいのポジションにいるべき」…何が正解で何が間違いなのかを決めるのは自分自身のはずなのに。誰でもない誰かに正解を思い込まされているようです。あらゆる答えが用意されている世界で、自分だけの答えを探すのは実はとっても困難なことでした。
苦しめていたのは自分自身
少しずつ学習していく中で、自分を生きづらくしていたのはあらゆる社会システム、そしてそれとつながっている自分自身の感情だったと気づいてきました。思い込みでできあがっているメカニズムの存在、そしてそれと自分のつながり。それが分かっていないと、こうあるべきなのにそうじゃない自分、なんだか理由は分からないけど、うまくいかない、自分に自信が持てない・・・という悪循環になっていくのだと思います。
自分を縛る思い込みに気づけていないと、「ありたい自分」を考えたときにも「それと引き換えダメな現実の自分」にばかり意識が向かって自分で自分を苦しめてしまうのです。私自身も以前はこの手の自己啓発法を聞いても思い込みが外せないからうまく使いこなせず、結局何もできない、変わらないままでした。紹介してもらった本にも書いてあったのですが、人は自分の思った通りになると安心するようにできているから、「うまくいかない、自分はダメ」と思い込んでいる時にはうまくいっても素直に喜べず、うまくいかないことによって「やっぱりだめだったなあ。」とその状況に安心してしまうんだそう。そうして永遠にうまくいかない負のループに陥っていくのです。
私たちのありたい姿
あらゆる思い込みを外して、素直な気持ちで「どうありたいか」を言葉にしてみたら。自分でも気づいてなかった気持ちに気づけたような気がしました。そしてそれをメンバーに共有してみたことで、「そう思っていてもいいんだ」と心強さのようなものを感じたのです。実際に今どうなのか、過去はどうだったかというよりも、今、そしてこれからどんな風にありたいと考えているのか。それを堂々と口にすることは全然恥ずかしいことじゃないし、無駄なことでもない。口に出して誰かに伝えることで思いがよりはっきりして元気も出る気がします。
私たちは、自分の思いを素直に打ち明けられる、認めあえる組織でありたい。社員同士もそうですし、お客様とも所謂「世間一般」の思い込みに囚われず本音での言葉を交わしたい。改めて自分のなかにある思いを確かめることができました。
少し元気の出ないとき、自信をなくしそうになった時にはぜひ「ありたい自分」を思い出してみてください。そうすることで自分を勇気づける自分に出会えるかもしれません。