ニュースを知っているから偉いわけじゃない 社会人が世の中の仕組みを学ぶ理由
社会人=ニュースを知っているというイメージ
社会人になったら、毎朝新聞を読んで、ニュースをチェックするもの。幼い頃見た父親の姿に、漠然とそんなイメージを持っていました。でも、いざ自分が社会人になってみると、イメージしていた「社会人の習慣」なんて全然身についていなくて、なんとなく朝の情報番組やネットニュースを流し見するくらいの毎日。イメージしていた姿と比較して、そんな自分を「だめな社会人」だと思うようになっていました。
ニュースを知るってどういうこと?
社会人たるもの世の中の流れを知り、仕組みを理解しておくべき、だというイメージがあります。それはその通りだと思うのですが、どこか腑に落ちていない自分もいました。
それはおそらくニュースを見てもその目的が達成されていないように感じていたから。就職活動が始まったとたん新聞を読みはじめる人たちの姿に、次々と流れてくる出来事をただ追いかけているだけのように感じてしまう。意味も分からずなんとなく世の中を理解している気になっているだけなんじゃないの?と思いながらも、何もしていない自分に対して焦りの気持ちもありました。
手軽に情報を得られるテレビやネットのニュースは見るけど、それがどういうことなのかは考えず、その中のことばを「世間の声」だと認識して、それを自分の脳で処理しているだけの感覚がありました。良いことなのか悪いことなのかをざっくり仕分けして、誰かの意見をそのまま頭の中にインストールしていたように思います。
良く分からないけど知っておかないと世の中から取り残されていく気がして、無理やりニュースと呼ばれるものを流し込んでいるだけの日々。そんなやり方だと本来の目的であるはずの「世の中を知る」ことからどんどん外れていくから、自分や仕事とのつながりが何も見えないまま、いつの間にか元々興味のあることや話題性のあるものにしか目がいかなくなって「だめな社会人」になっていたのです。
「分かっているつもり」でもふつうに生きていける
でも、そんな「だめ」な状態でも社会人として働いていくことはできてしまいます。政府のやっていることが分からなくても、海外で起こっている問題を知らなくても、明日の仕事には直接影響がないことの方が多いのです。朝の情報番組とネットニュースでなんとなく世の中を「分かっているつもり」になって日々を過ごすことは簡単にできてしまっていました。
でもその状態で本当にいいの?
どうにかしたいと思いながらもどうしていいかは分からない…そんな中で、会社の中で立ち上がってきた学習の場を通して、少しずつ見え方が変わってきたのです。世間のイメージと離れているからだめなんじゃない。このままだと仕事を通して「未来をつくる」ことはできないから、社会がどういうふうになっているのか知らないまま社会を変えることはできないから変わっていかないといけないんだと少しずつ分かってきました。
企業で働くわたしたちには社会の仕組みを知り、変えていく責任がある。本当に社会を知ることが「やらないといけないこと」だという感覚が落ちてきたことで、世間一般で良いとされるイメージの社会人になれないことに焦りを感じるのではなく、まずは自分の頭で考えることから始めないといけないと気づきました。
自分の頭で考えるということ
最近、社内の新しい学習の場として「ニュース部」という取り組みがはじまりました。
新聞などから気になったニュースを深掘りしていく会、ですが追いかけるだけじゃない、流し込むだけじゃない、そこに書いていないことまで読み解き、どういう仕組みなのかを理解するための場にしようとしています。自分の頭をつかって考える。当たり前のことだけど、全然できていなかったことです。
いざ自分の頭を使って考えようとし始めると、自分が思っている以上に今までそれをしてこなかったことに気づき、驚きます。今まで思い込んでいた色んな前提がひっくり返って混乱もしています。自分と関係ないと思っていた世界がつながって、今まで頑丈な建物の中で守られていたと感じていたことが、急にそんな場所どこにもないと分かって不安にもなります。
誰も教えてくれないことだから、自分で考えて気づくしかない。とても地道で、先も見えないし、絶望的にもなります。そんなことをする間に仕事を進めたらいいんじゃないかと思う人もいるかもしれないけれど、1人ひとりの考える力を鍛えて、仕事と社会を結び付けていけるようになると自然と良い方向へ向かっていける、これからの事業を前へ進める持続力になっていくと思っています。
言われたことをこなすだけ、流されていくだけの働き方で自分のやりがいや生きがいを見つけるのは至難の業だけど、考える力を使えば無限に動き続ける社会の中で目的を捕まえられるようになります。社会人がニュースを知り、世の中を理解しなければいけないのは「会社の売り上げをつくるため」ではない。結果としてそこに繋がっていくことではあるけれど、自分自身と会社、社会をつなげるためにやることなのだと思えるようになりました。