「恐怖」という影の感情を捉える ある日のライター座談会より

先日、ライターたちとの座談会をしていた時のこと。
「日常の中で感じる恐怖」について書かれた本を最近読んで、“怖さとは想像力である”という言葉が印象に残ったという話をしてくれた人がいました。起こっていないことを想像した結果、恐怖という感情が湧き上がる。その現象に、読み物を書く仕事にも通じるメカニズムがあるような気がしてなんとなく気になってしまいました。夏だから、というわけではないですが、今回は「恐怖」についてのお話です。

日常の中にある「恐怖」

私はどんな時に恐怖を感じているんだろう、そして他の人はどうなんだろう。数日後の朝礼でそのことをテーマに話してみることにしました。

ちなみに私が日常生活の中で感じる恐怖として思い浮かんだのは電化製品のこと。特に壊れかけた家電がとにかく怖い。聞き覚えのない音がし始めると、そのうち爆発するんじゃないかと思ってやたらとびくびくしてしまうのです。

一方で最新の機能がありすぎるものも不気味さに近い恐怖があります。先日洗濯機を買いに行ったとき、お勧めされたものが、AIが搭載されていて私の洗濯パターンを学習してより良い洗濯方法を提案してくれるというものだったのですが、そこで何とも言えない不安感を感じてしまいました。

AIに支配される、操られるなんて話はSFの世界でもよく描かれますが、AIによって「自ら考えること」を放棄させられるんじゃないか、と想像すると、とても怖くなってしまうのです。

他の人たちから上がったのは、海や洞窟、あるいは干上がった地面の割れ目の奥、など人間の計り知れない世界に触れた時の感情や、もしも事故にあったら、食べた果物が酸っぱかったら、というような具体的な起こるかもしれない結果に対して湧き上がるもの。はたまた自分自身の体の衰えだったり、商店街のシャッターに描かれた楽しげな絵だったり・・・分かるような分からないような、実に多種多様な「恐怖」たち。

こういう話を聞くと、みんなの頭の中をのぞいているような気持ちになります。それぞれの頭の中で日常の景色がその人のことば変換されていく、その過程で恐怖も生まれているようです。

「かもしれない」と意識する恐怖と「わからない」無意識の恐怖

明確に分けられるものでもないと思うのですが、自分の経験や、お化けや宇宙人などなんとなくイメージできるものに当てはめて「こうなってしまうかもしれない」というカタチ、結果が見える、“意識する恐怖”と、何のイメージも持てないけれど分からないということに感じる不気味さや不安に近い、“無意識の恐怖”があるように思います。
何かは分からないけど、なんとなく違和感があるなあ…と感じることにことばを当てようと想像し始めていくと、だんだん恐ろしい正体が浮かび上がり、明確な“意識する恐怖”に変わっていくのではないでしょうか。そして、“無意識の恐怖”であることを“意識”した時にも恐怖は生まれるように感じます。そう思うとふとした瞬間にも恐怖は潜んでいるような、常に恐怖と隣りあわせなんだなとすら思います。

恐怖は影のような感情

また、分からない、知らないものに対して感じるのは恐怖だけではなく、好奇心やロマンのような気持ちもあります。怖いけど気になる、不安だけどやってみたい。自分の分からない、知らない世界に恐怖心と好奇心の両方を、まるで光と影のように感じることは実はわたしたちがよく経験していること。例えば、すでに出来上がっているコミュニティに初めて加わるとき。知らない世界に対して抱く期待と不安の感情。さらに、その輪に加わった自分自身がどうなってしまうんだろう、というまた別の恐怖と好奇心のような感情が立ち上がってくることもあります。様々な感情が複雑に絡み合うほどより大きくなり、心を支配していくのです。

人間の感情は常に一定ではなく動き続けているもの。今まで考えていたことが急にひっくり返ったり、何のことだかさっぱり分からなくなることもあります。それは感じたものをことばにどう変換するか、頭の中であーでもないこーでもないと常にぐるぐる回転しているからなのかもしれません。

自分の感情を読み解き、ことばに変換していく私たちの仕事

世界は常に動いていて、わたしたち人間の体も、頭の中も常に動いています。その動き自体を瞬時に捉えてことばに変換していくことがきっと「考える」「想像する」ということ。動いている、形の見えないものを捉えるために、頭の中でことばを重ねて、回転しながらどんどん立体的にしていっているようなイメージが見えてきました。

時間と空間の流れを立体的に捉えていく中で、知っている恐怖「かもしれない」を意識した時、もしくは自分の図り知れないところにまでいってしまいそうだ、と無意識を意識してしまった時に恐怖の感情があらわれるのだと思います。

読み物を書く仕事には、自分の感情を読み解き、ことばに変換していくことが必要です。ある一瞬を静止画のように切り取ることではなく、過去・未来に関わらず、動いている時間と空間の流れを捉えて、その動きをことばへ変換していくようなイメージです。それらのことばをさらに選び取って紡いでいくことで、物語りにしていくのです。様々な出来事や記憶に対して、よりたくさんのことばを使って立体的に読み解けるようになれば、読み物を書くことがずっと楽になるのかなと考えています。

あらわれる感情は「なんかいいなあ」「心地いいなあ」という幸せな感情もあるし、「好奇心」「わくわく」という前向きな感情もあるけれど、そのすぐ後ろには「恐怖」や「不安」が、影のように、表裏一体となってくっついているような気がします。それを見ないふりはせず、影のような感情まで捉えてこそ、頭の中でことばから物語りがより立体的に、はっきりと立ち上がってくるように思うのです。