ビジネスって何だろう

「ビジネスという言葉に抵抗があったけれど、誰かのニーズに応え続けることがビジネスだと聞いてから興味が持てるようになった。」
以前どこかで目にしたインタビュー記事にこんなことが書いてありました。
誰だったか思い出せず、少し違う言葉だったかもしれないのですが、こんな内容だったと記憶しています。

わかっているけど、わからなかった

わたしも以前まではビジネスという言葉にお金儲けとか、お金を動かすゲームみたいな印象があり、なんだか物騒なことに感じて敬遠していたように思います。
とはいえ一会社員として働く身。売上がなければ会社が動かなくなり、仕事がなくなることくらいは知っていたので「会社を動かすのに必要な売上をつくるためのビジネス」はやらねばならぬと、そこにどう自分なりの楽しみややりがいを見いだせるか、という風に考えていました。

いまいち自分の心に灯がつかない、得体のしれないビジネスというもの。
それとうまく付き合っていくための手がかりを、どうにか見つけ出せないかとうろうろしている人もいるんだなあと、このインタビューを見て思ったのです。
このインタビューに答えた人も、そうやって(無意識にかもしれませんが)探していたのだと思います。

たしかに、ニーズに応え続けることだと考えるのも1つです。
でも結局、それは売上としてお金に変換されていくもの。
「それ以外」(売上にならないもの)を追い求めるのに意味はあるのかな。
ここ最近は、そんなことを考えています。

売上は大切。だけど、目的ではない。

もう一度言いますが、売上、お金は必要です。
きれいごとや理想だけで生きてはいけないですし、
ニーズに応え続けていく、ニーズを作り続けていくためにもまず、お金はいります。
わたしも売り上げのない会社でタダ働きはさすがにできないです。

そうであっても、お金がビジネスの「目的」になってはいけない、ということはわたしも理解していますし、一般的に、広く理解されているように思います。
仕事の目的としてお金のほかに働きがい、やりがい、生きがいと呼ぶようなものを求めるのが当たり前のようになっていますが、それはそれぞれ個人のことのように語られることが多いように感じていました。
そうではなくて、個人ではない、「私たち」として何のために、何を目的に事業をするのかという話になると「よりよき社会を」「顧客のために」「新たな価値」などという言葉で一気に捉えどころのないものになっていくような印象があります。

そんなスローガン的な言葉にすごく共感できて、会社で働くモチベーションが生まれる人もいるかもしれませんが、わたしはそういうものにほんとうの意味で心動かされることがなかったため、ずっとビジネスというものが腑に落ちず、私としての、そして私たちとしての付き合い方、向き合い方が分からずにうろうろしていたのだと思います。

説明できない余白がある

今も変わらずにうろうろしていますが、最近読んだ本(近内悠太著、世界は贈与でできている)に書いてあったことにヒントのようなものを感じたので、自分なりにビジネスの目的になりそうなものとして解釈してみました。

この世界にはお金などの対価に替えられないものがたくさんあって、
「交換」が当たり前である現代社会の中で、それはある意味異質で不合理な、論理的ではないことにみえます。だけど、そこに同じように不合理で論理的でない「生命力」とも呼べるような強い力を感じるのです。人はそういうものによって生きる意味を感じ、世界が保たれているように思います。

ビジネスというなにやら固く論理的に感じる世界にも、同じようにいい商品や親切なサービスという言葉では説明のつかないものが「余白」として必ず存在するはず。
働きがいや生きがいも仕事に求める対価とみることができるので、この「余白」はそれともまた違うものです。
求めて得られる、求めに応じて与えるものではなく、どこからか湧き上がってきたものを受け取って、それをそっとだれかに差し出す。そこに見返りは求めていない。
そんな命の動きともいえるものがきっとあって、それを真剣に大切に育てて、対話を通して余白を埋めていくこともビジネスの目的になるのではないかと思いました。

その湧き上がってくるものは、自分の学びからやってくるのではないかな、と考えています。

余白を作り続けること、埋めること

この余白は自然にできることもあるかもしれませんが、やり方次第でなくなってしまうこともあるように思います。
お金をつくりながら、お金に替えられないものをつくる
それは商品を売るため(お金をつくるため)のものではなく、
見返りを求めないもの。

これももしかしたらきれいごとかもしれません。
そもそもこれをやるにもお金が必要です。
ですが、わたしたちのブランドは、この余白をつくるために長い時間をかけ、いまやっと動きだしたような気がしています。
そしてそれを受け取ったそれぞれの人が、それぞれに共鳴した「ことば」によって埋められていくといいなと思っています。

私たちのビジネス

よみものも、将来的に売上につながっていけば・・・という思いもありますが、今書いているのは決して売上をつくるためのものではなくて、余白をつくるための、生命力のあるよみものを書こうとしています。
それが何になるのか、何が生まれるのかまだ分からない部分もあるのですが、
それでも「これが私たちのビジネスだ」と胸を張って言っていいんだ、と思えるようになりました。

最後に、もうひとつ言葉を紹介します。

企業よ
そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

これは暮らしの手帖社を設立した花森安治さんの言葉。
当時の時代背景も感じられる言葉ですが、今でも会社で働くすべての人が、私たちのこととして考えていかないといけないなあと思わされた言葉です。
会社がお金を稼ぐことは悪ではない、でも悪にもなり得ると、そうならないために余白の部分をつくり、命を与え続けなければ自分自身の生きる意味も失ってしまう。そんな風に受け取りました。

わたしも少しずつですが、ビジネスというものとの向き合い方が分かってきたような気がします。